2010年3月22日月曜日

追想ピーター・オルワ氏のことⅢ


 今日は、私の誕生日である。52歳になってしまった。そんなことはどうでもいいのだが、ピーター・オルワ氏の命日でもある。2月のブログで、ピーター氏のことを連続して書いた。今日はその続編である。JICAのケニア研修旅行での最終日。ナイロビ空港に入る前が大変だった。スーツケースが重量オーバーの先生方が続出したのだった。(幸い私はいつもうまくクリアーしてしまう。)スーパーでウガリの粉2kgを売っていた。私も欲しかったが、我慢した。後で聞いたのだが、女性の先生方の中でこれがネックになった先生方もいたようだ。(生徒に見せたい、食べさせたいという気持ちがよくわかる。)とにかく、大混乱になったのだった。ピーター氏とアダム氏(2月のブログでも紹介した元警察官のJICA専属ガードマン)が、何をどうしたかわからないが、うまく通過さてくれた。彼らには最後まで世話をかけたのであった。
 最後の最後に、私は、ピーター氏に「レインボー!」と叫んで別れた。この「レインボー」という言葉、ピーター氏が何かにつけ、「これからのケニアは変わります。レインボーですね。」と言っていたことに由来する。ピーター氏は、前政権のモイ大統領が嫌いだった。ある街で、モイ時代のモニュメントを激しく批判していた。汚職にまみれた大統領だと常に批判していた。ピーター氏は、新しいキバキ大統領に大きな期待を寄せていたのだ。よく調べてみると、このキバキ政権誕生の母体となった野党連合が「レインボー」だったのだ。

 私が、エスカレーター上から「ピーターさん!レインボー!」と叫んだら、ピーター氏は「そう、レインボー!」と答えてくれたのを思い出す。彼は、新政権への希望に満ちていたのだった。(よくわからないかったのに「レインボー」と言った私も軽率だが…あの時は、何かの標語か、南アの新政権の影響だと思っていた。)

 ピーター氏の期待どおり、キバキ大統領は汚職撲滅に頑張った。しかし、だんだんと大統領権限を削減する法案を骨抜きにしたりして、アフリカの「並みの大統領」化してしまったのである。2007年末の大統領選挙では、最大野党を率いるオディンガ氏が有利となった。彼は、ピーター氏と同じルオ人である。(キバキ氏はケニヤッタ初代、モイ二代大統領と同じ最大民族のキクユ人である。)選管が、キバキ氏の当選を発表し、1000人を超える死者が出る暴動となってしまった。マウマウ団以来独立運動を指揮し、政権を握ってきたキクユ人へのルオ人をはじめとする少数派の長年の鬱積が背景にあるとされている。

 ピーター氏は、この悲劇を見ることなく、この世を去った(2006年)。もし健在なら私たちにどんな思いを伝えたのだろう。きっと、オディンガ氏の正義を熱く語ったと私は思う。だが、きっと暴動については否定的で、多くのルオ人を止める役割をしたのではないか、と思うのである。

追記1:http://www.maisha-raha.com/BKLchiaki.htmlに、ナイロビ在住の早川千晶さんのピーター氏逝去とナイロビ暴動を悼む素晴らしい一文がある。ご一読いただければ幸いである。早川千晶さんについては、いずれこのブログでもふれたいと思う。
追記2:学位授与式のため、雲南から帰国した愚息は、今朝がたフィリピンへとまた旅立った。2回目になるマニラ・スラムのスタディツアー参加とカトリックの研究のためらしい。

2 件のコメント:

  1. 今日お誕生日なんですね♪
    おめでとうございます。
    2007年3月卒業の国語科、たかはまです。

    やまもとさんから先生のブログのことを聞き、拝見させていただいています。
    先生のお考えはすごく深くて、私の知らない世界の人たちの暮らしに思いをはせています。
    JICAの研修に参加してから、世界の人たちの生活や経済状況について学びたいという気持ちが強くなったものの、
    なかなか前に踏み出せないでいます。
    就職活動が終ったら、チャレンジしてみたいです。

    また先生にお会いできるのを楽しみにしています。

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  2. コメントありがとう。来週里帰りとのこと、楽しみにしています。JICAセミナー1期生のOBのブログページもリンクに追加しました。リリ~☆の部屋と、☆あかばる☆です。また見てあげてください。yukimi君も台湾のブログ作ってみたら?(笑)リンクするよっ。

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