2010年3月6日土曜日

財布の中のジンバブエ・ドル


 先々週に久しぶりに新書を買った。松本仁一の「アフリカ・レポート-壊れる国、生きる人々」(08年8月第1刷)である。「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」の改訂中だったこともあり、2日で読み切った。なかなかおもしろかった。松本仁一の本は、「アフリカで食べる」「アフリカで寝る」「カラシニコフ」など、読みやすくまた面白い。この新書の大きな特徴は、ジンバブエの経済崩壊と、南アの治安問題などを中心に、ガバナンスの崩壊について、平易に書かれていることと、ガバナンスの悪さに対して、民間から立ち上がるアフリカの民衆の姿に少し明るい未来を見ることである。さっそくテキストに挿入させてもらった。
 ところで、私の財布の中には、ジンバブエ・ドルが入っている。教材用にいつでも見せれるように入れているのである。(USの$1札もあるし、中国の100元札で、毛沢東、周恩来、朱徳、劉少奇の肖像が4人勢ぞろいの札もある。)昨年秋までは、私が行った時の500ドルと、裏がかなり手抜き印刷された5000ドルだったが、オークションで、世界最高額の100000000000000ドルの札も手に入れた。
 生徒にジンバブエのハイパーインフレを説明するのに、重宝している。最近のアフリカ諸国への論調は、ガバナンスの悪さへの批判が多い。その最たる国がジンバブエなのである。私は、ジンバブエの首都ハラレの公園で生徒の質問を持ってリサーチしたことがある。さすがに政治向きのことは文章にしなかったが、ロボラ(男性が女性の親に婚資を支払う結婚システム)について、アンケート調査をしたりしていた。ショナ人の人々はフレンドリーで、私は大好きである。私が行った頃は、白人農園が次々と逃げ出していた頃で、バスで隣になったマラウイ人と広大な荒れ地になった農園を見ながら、そんな話をしていたのを思い出す。
 ハラレの公園で、子供の物乞いに出会った。彼らは、黙って手を出す。親が裏で操っているのもわかる。お菓子をあげたが、手を引っ込めない。他に同じような子供もいないので、そっとお金をあげた。にこっと笑って去って行った。途上国に無理解な人々は、こういうことをするから貧困が無くならないなどと「永遠の相の下に」論評するが、これが彼らの仕事なのである。日本的スタンダードをアフリカに押しつけてはならない。富める者から資を得るのは、アフリカのスタンダードなのである。彼らは、結局ジンバブエの崩壊の中、どうしたのだろうか。南アまで行って難民となる術もないはずだ。来年度もこんな話を生徒にしようと思う。

2 件のコメント:

  1. 私もインドに行った時に物乞いにはお金をあげてはいけないという話を聞いていました。そして圧倒的な貧困の数を前に、高校一年生の私は貧困の撲滅なんて無理なことを考えても無駄だと考えるようになりました。
    最近は、貧しい国に行って、普通の日本人にできるのはお金を使うこと、あげることだと思っています。彼らに、必要なのは教育だという意見もありますが、本当に必要なのは給食ではないでしょうか。

    返信削除
  2. かなり難しい問題なのですが、ドグマチックに考えない方がいいと私は思います。財布の中に、昨年行ったブルキナファソのCFA札はありません。使い切りました。ただし、あまりに多くの人の前で渡すと大混乱になるので、TPOを考えた方がいいと思います。途上国に必要なものは、まず人間の安全保障です。給食はそれにあてはまります。そのうえでの教育と保健衛生政策が、開発経済学のセオリーですね。

    返信削除