2024年7月19日金曜日

英国国教会 鳥瞰的考察6

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「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)による聖公会(=英国国教会・アングリカン)の考察の第6回目である。

…私は、今ふと、WWⅡ後の中国共産党の歴史である「紅」と「専」を繰り返した”揺れ”を想起している。「紅」とは、毛沢東が権力を握り、社会主義イデオロギーに忠実な時期、「専」は経済復興のために資本主義的な政策を取り入れた時期のことである。大躍進や文革の元凶だった毛沢東と、首相としてなんとか舵取りを続けた周恩来両名の死で、鄧小平中心の「専」が根づき、現在の系譜となっている。ピューリタン革命は、まさに中国で言えば最も「紅」的な時期(イギリスの宗教革命では、最も改革派的な時期)である。国教会の中心である国王を処刑し共和制に進んだ時期だからだ。

内乱中の1643年、ウエストミンスター会議で教皇制や主教制を廃止し、長老制が承認された。現在も長老派の綱領的文書となっている「ウエストミンスター信仰告白」(画像参照)が作成された。この宗教的個人主義は、後のアメリカ独立やフランス革命に大きな影響を与えたが、宗教的分裂へ発展することは避けられなかったし、国民の多くは、国王処刑後、国王を殉教者として扱い、追慕の情を持つ者も多かった。これは処刑数日後に『エイコン・パシリク(王の像)』という書物が出版され、飛ぶように売れたことが証明している。よって、1658年、護国卿として神権政治を行ったオリヴァー・クロムウェルが死去すると、1600年議会は、チャールズ1世の息子チャールズ2世の復位を認め、そらに2年後には祈祷書による礼拝が復活するのである。とはいえ、前述のロード主義ではなく、エリザベス1世時の「ヴィア・メディア」に戻ることを選んだのである。この後、前述の第五祈祷書が制定される。…「紅」から緩やかな「専」に戻った感じである。1689年には「寛容法」成立で、反国教会的教派も活動の自由を獲得したのだが…。

しかし、チャールズ2世はカトリック的傾向があり、フランスの軍事力を借りて、カトリックに戻そうと動き、国民の不信感が深まる中、死去した。後を継いだジェームズ2世は、さらに露骨にカトリックの登用、カトリック修道院の再建を始めた。これに危機感を抱いた教会と政界の指導者がいわゆる名誉革命を起こすのである。この両王の時代は、行き過ぎた「専」の時代だといえる。名誉革命については、いろいろと調べると面白いのだが、とにかく、オランダのウィレム公と、妻でスチュアート朝の血を引くメアリー夫妻が共同統治者として迎え入れられ、「権利の章典」に署名するのでる。彼らは、ゴイセン(オランダの長老派)であるが、「君臨すれども統治せず」の聖公会のトップとして、これ以上の混乱を避けた、というより、外交戦と戦争に忙しく、クロムウェルに続き、アイルランドの征服と少数派のプロテスタントがカトリックを支配する体制を作り上げた以外には、国内の宗教政策にはあまり関与していない。

…まさにジグザグに、「紅」と「専」が繰り返され、カトリック、聖公会、改革派・長老派の揺れの中で、ある時は大きく、ある時は小さめに行ったり来たりの宗教改革であったわけだ。この後、分離派(聖公会から分離を目指す意)と呼ばれる人々は、アメリカに渡り、(カトリック的な)聖公会を忌み嫌うカルヴァン派の長老派、会衆派を植民地の様々なに形成する。またクウェーカーなども海を渡る。(ペンシルベニア州の名の由来であるウィリアム・ペンはクウェーカー教徒で、宗教的な自由を植民地のモットーとしたので、アーミッシュなどの様々な少数派も入職していく。)同時に、長老派だが、聖公会の中で改革を続けようという(分離派に対しての)改革派の人々も生まれる。メソジストの祖・ジョン・ウェスレーは聖公会の司祭の地位を貫いた。後、メソジストの多くははアメリカに渡り一大勢力となる。イギリス本国より、アメリカの方が信仰心が篤いと言われるが、中道的な聖公会に満足できない人々がそもそも多かったから、また初期のバージニア王朝と言われる人々がジェファーソンを中心に、彼らが信仰していたにも関わらず聖公会をあえて国教としなかかったことと、信仰の自由を高らかに謳いあげたことも大きいだろう。

…血で血を洗うような聖公会の宗教改革史であるが、新約の使徒行伝を読むと、迫害を受け、殉教した使徒が多い。意外と処刑された人々は、カトリック、聖公会、プロテスタントを問わず、そんな自分の運命を呪うのではなく、神の恩寵だと確信していたのではないかと思う。自画自賛すぎるかもしれないが、こういう感想を最後に述べているブディストの私も、だいぶキリスト教の学びが深まってきているような気がするのだった。

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