2021年9月24日金曜日

中国とマレーシア華人の相違

https://aminoapps.com/c/polandball/page/blog/a-bit-late-but-heres-chinese-new-years/LWxp
中国の大学の先生が、「あなたが何でもできる独裁者であるとして何をしたいか?」という問いを発し、学生に少しだけ考えさえ、こう言う。「それが人間です。」と。あるYouTubeの中で語られていた蘊蓄のある話である。多くの学生は、自分の欲望を満たすことを考えてしまう。国民のために、このような善政を行うと考える者もいるだろうが、それを続けるのは疲れる。実際、名君とよばれた専制君主でもそれを終生貫くことは至難である。「独裁」に潜む真理は、「人間はそんなに善ではない。」ということであり、歴史は証明している。特に、共産党独裁の歴史は、ソ連も中国も、司法もマスコミも独裁側で批判勢力がない故に極めて暗愚な分配を行ってきた。ノーメンクラツーラも中南海もである。

マレーシアの華人は、中国本土の人口圧から錫の採掘のため渡馬してきた。その後商工業も得意なのでさらに渡馬してきた。私の大切なPBTの教え子たちや友人はその子孫である。マレーシアでは、ブミプトラ政策のために、ある程度制約がある。華人からみればたまったものではないのだが、その重石はうまく働いているといえるかもしれない。マレーシアは中進国で、今なお開発独裁が行われているが、民主主義は根付いている。言論の自由は「微妙な問題」で完全ではないが、マレーシアの民主主義は、汚職にまみれたナジブ政権を駆逐することに成功した。人口比でマレー人の政治的優位は動かないが、経済政策などは中華系がリーダーシップをとっている場合が多い。

民主主義は絶対ではないが、独裁政治よりは良いというのが、現在の世界的潮流だろうと思う。マレーシアの華人は、勤勉で、労働意欲や克己心が強い。拝金主義はあるがマレーシア社会の重石がうまく作用して相互扶助へ向いているような気がする。旧正月には、ミカン(オカネと同じ発音)があふれ、赤と金色に彩られるが、マレー系、インド系への配慮もある。猪年の際は干支である豚を前面にださなかったり、西遊記の映画の看板では猪八戒が消されていたりする。多民族国家マレーシアでは、自民族の誇り、アイデンティティを重視するが他民族に対する批判中傷はご法度。互いにその暗黙のルールを守っている。だから、良い国民国家となっているのである。もちろん、中華系の教え子たちの中でも、マレーシアへの愛国心と中華系としてのアイデンティティのどちらを重視するかでは、意見が分かれるところだろうが…。

一方、中国本土にはそういった重石はなく、共産党のやりたい放題である。とんでもない拝金主義が経済格差を生むとともに、人口圧がそれに拍車をかけている。鄧小平以後の中国は資本主義化が進んだ分、最低限のモラルさえ守れない暴走を続けているように見える。この暴走が世界的な混乱を生んでいる。すでに、看過できない局面に達しているように私は思う。

今回のエントリーは、主にPBTの中華系の教え子諸氏を対告衆としている。私が中国共産党とマレーシアの華人を決して同一視していないことを明確にするためである。この点、理解を乞いたい。また、将来のマレーシアを背負うマレー系の教え子諸氏にも、この微妙な在馬華人の立場、ブミプトラ政策が華人に及ぼしている正・負の両側面を理解してもらいたいと願うところである。

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