2017年11月18日土曜日

帝国の復興と啓蒙の未来(5)

https://www.goodreads.com
/book/show/369010.
A_Study_of_History
「帝国の復興と啓蒙の未来」の備忘録を続けたい。この本には、中田氏の著書としては珍しく、トインビーが出てくる。超有名なイギリスの歴史家である。トインビーのイスラーム観を中田氏は、必ずしも肯定しているわけではないが、今回の書物で地政学的な視点を歴史から説く上で引用が多い。

トインビーは、西欧キリスト教文明をヘレニズム文明の継承文明とみなす一方、イスラームをシリア文明の継承文明と見なしている。一神教の発明をシリア文明の最大の偉業と見なす一方、キリスト教については、その創造力の萌芽は、ヘレニック社会本来のものではなく、外から来たもので、キリスト教自身は理論上の一神教と偶像崇拝の禁止を忠実に遵守しながら、実際上はキリスト教に改宗したヘレニック社会人の多神教徒偶像崇拝に譲歩したと述べている。つまり、トインビーによると、キリスト教は一神教としてはその発祥のシリア文明に由来しながらも、一神教の正嫡であるユダヤ教から分離しヘレニズムの多神教と偶像崇拝を混淆(こんこう)しており、また地理的ににはヘレニズムのヨーロッパ社会にとって外来の異質なものであったというわけである。また、トインビーは、ユダヤ教については、普遍宗教に脱皮したキリスト教、イスラームと比較して、神の地方性と排他性という2つの特徴を残した宗教であり、「シリア社会の化石的遺物」に過ぎないと酷評している。

アーノルド・トインビー
https://en.wikipedia.org
/wiki/Arnold_J._Toynbee
トインビーは、キリスト教をイスラームと比較して、イスラームの創造的萌芽は、シリア社会の外から来たものではなく、はえぬきの土着のものであったと述べている。キリスト教をヨーロッパにとって決して本質的ではなく、ローマ帝国で国教になって以来、中世においては表面的にはヨーロッパを覆ったが、あくまでも偶有的で表層的だとし、本来の一神教からは逸脱したものであることを浮き彫りにすることに成功している、と中田考氏は説いている。

要するに、キリスト教がローマ帝国の国教となり、ゲルマン民族やケルト民族などの周辺民族もまた表面的に受け入れたものの、一神教とからの逸脱とのひき換えであったというのがトインビーの認識であり、ムハンマドが解き明かした一神教の最終形態として、本来の一神教から逸脱したユダヤ教・キリスト教に代わって登場したイスラームの歴史理解とおおまかに符合するというわけだ。

…なるほど。トインビーの洞察はなかなか鋭い。偶像崇拝という一点から見てもキリスト教とイスラームの相違は大きい。私は異教徒故にその是非を論じる立場にはないが、トインビーの指摘は世界史を教える者としても極めて重要だと思う次第。

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