2014年1月15日水曜日

セルビアの「仲人」の話

本に出てくるセルビアの映画監督・エミール・クストリッツァの村
http://www.welcometoserbia.travel/ethno_villages.php
5限目、総合的学習のアメリカ学入門では、十数年ぶりにNHKの番組「(アメリカ各地の)ボールパークに連れてって」のVTR(VHSテープである!)を上映した。田舎のマイナーリーグやボールパークが紹介されていて、みんな興味深くに見ていた。6限目、我がクラスでも、LHRで先日3年生で久しぶりに実践した「バーンガ」(9日付ブログ参照)をやってみた。予想通り思い切り盛り上がったのだった。(笑)異文化理解は、ホント重要だ。

だが、今日のエントリーの主題は、通勤時に読んでいる清水義範氏の「夫婦で行くバルカンの国々」(集英社文庫)の話である。旧ユーゴスラビアの旅行記の部分は、どうしても内戦の話に向かっていく。大まかに言えば、セルビアもクロアチアも、中世には一時的にせよ王国を立てていて、それが民族のアイデンティティとなっていることがよくわかる。オスマントルコやハプスブルグ家、ベネチアなどに侵略されつつも、民族的なアイデンティティが確立していたことが、大きくマイナスに作用したといったら言い過ぎだろうか。セルビア人の文化・伝統として、次のような逸話が載っていた。これは、異文化理解上、記しておくべきだと思う重要な薀蓄であると思う。

セルビアでは結婚式の仲人は親も同然で死ぬまで強い結びつきを持つのだそうだ。子供の名づけ親になったり、借金の保証人になったりし、子供が結婚するときは親の次に報告しなければならないという決まりがある。そういう人との関係の強さが民族主義につながっていくのかもしれない。(P167)

もちろん世界の民族の中には同様、あるいは同様以上のの地縁・血縁を重視する民族もあると思うが、被害者側でもあり、加害者側としても重要な位置を占めるセルビア人がそうである、ということはユーゴ内戦を考える上で非常に大きい。

もとを正せば、旧ユーゴの民族の相違は、スラブ人の分派である。昔王国として隆盛したとか、民族の正義とか言っても、所詮は感情論でしかない。私はどうも最近、「民族」とか「国益」とか言ったコトバに大きな違和感を感じているので、どうしても批判的になってしまうのだった。

2 件のコメント:

  1.  お久しぶりです。元H高のAです。
     僕も最近「民族」や「国」ということばに対して違和感を感じます。僕は1994年生まれですが、その前後にルワンダとボスニアのスレブレニツァで虐殺がありました。虐殺には「民族」だけでなく旧植民地や宗教の問題も深く関係していると思いますが、それでも、自分が日本に生まれたとき、遠い国で「民族」が違うために虐殺された人々がいたという事実は、無視できるものではありません。こういった過去の、またいまも続く民族問題のことを思うと、近頃目立つ人種差別的な若者や保守回帰する政治家には、暗澹たる気分にさせられます。
     異文化を理解しようとしない、つまり相手の話を聴くことのできない人は、おそらく自分の言っていることも本当はよくわかっていないのだと思います。相手の話を聴くことができるなら、自分の言っていることにも十分に自覚的であるはずなので。

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    1. A君、コメントありがとう。全く同感やね。

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