2014年1月26日日曜日

日経 オバマ大統領のアタリマエ

http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im1398555
21日の日経の「春秋」に、オバマ大統領が司法省で行った演説の一説について書かれていた。

「市民の自由は権力の座にある者など当てにできない。自由が当てにするのは、権力を持つ者を縛る法律である。我々の政府という仕組みは、そういう前提のもとにつくられている。」

世界史Bでは、イギリスの市民革命やフランス革命をやっている。結局のところ、民主主義というのは、権力者から自らの自由・権利を認めさせ、「人の支配(絶対主義)」から「法の支配(民主主義)」へと転換したことなのだ。アメリカもまた独立戦争で、それを勝ち取った。建国時の指導者は、それを熟知していて、そういう市民本位の政治システムを作ったわけだ。

ところが、日本では、このオバマ演説を聞いて何故こんな事を言うのかと感じる人々も多いのでないだろうか。民主主義というと、多数決や選挙、法の下の平等といったイメージが強い。授業で、生徒に問いかけても、そういう表面的なキーワードしか出てこない。

日本では、近代国家の三要素である民主主義・資本主義・国民国家が成立したのは、欧米とはかなり順番が違うと私は思っている。欧米では、まず民主主義が確立する。個人の自由、財産権が確立することが資本主義の基盤である。民主主義も、近代資本主義の生みの親であるカルヴァン派のピューリタンやユグノーの宗教戦争にそもそも起因している。法の支配が確立して近代資本主義が成立できるのだ。国民国家は、ナポレオン以後である。

ところが、日本の近代国家成立の歴史では、「国民国家」化がまずありきだと思っている。不完全ながらも西南戦争がその分水嶺だ。山縣有朋は、意地でも武士を政府軍の兵隊に入れなかった。(武士出身の警察官はやむをえず参加させたが…)これ以後、日清・日露戦争で国民国家化は完成する。資本主義は、政府主導で進められたし、民主主義にいたっては、一応カタチだけ明治期の最後にできたといってよい。実際の民主主義は、大正期になるのだろうか。あるいは戦後の日本国憲法だろうか。もしかしたら本質的な民主主義(グローバルスタンダード)理解はまだなのかもしれない。

日経の春秋では、こんなアタリマエのことを(世界各国で情報収集していたような覇権国家権力の中枢にある)オバマ大統領にだけは言われたくはない、と揶揄している。私も同感だ。だが、日本の政治家で、このアタリマエのことを権力者が叫ぶということの奇異さを感じる者がどれくらいいるのだろうかと思ってしまう。

0 件のコメント:

コメントを投稿