2011年4月20日水曜日

アフリカのバイオ燃料の話

ジャトロファ
先日の京大の公開講座で、太田先生が懸念されていたジャトロファの話を少し書こうと思う。私が最初にジャトロファの事を知ったのは、車で聞いていたラジオからの情報という「偶然」だった。思わず妻にその名前をメモしてもらったことを思い出す。だいぶ前、5年くらい前の話だ。「乾燥した荒地でも栽培できる、バイオ燃料となる草木。毒性があり、食料とはならない。」そういう情報だった。少しずつ勉強していくと、夢のバイオ燃料と思えてきた。小規模農家でも、農地にならないところに植えれば現金収入になるではないか。単純にそう考えたのだ。

3年前にブルキナファソに行くことを決めた理由のひとつに、当時オランダだったかアメリカだったかのNGOが、ブルキナでジャトロファを実験栽培していることをWEBで確認したからだった。残念ながら季節が合わなくて栽培現場を見れなかったが…。ジャトロファの詳細については…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%83%AA

私にとって、ジャトロファはアフリカの農業再建のひとつの光だった。そういう風に書いているWEBも多い。実際、日本の環境省も委託事業として、タンザニアでプロジェクトを立ち上げようとしている。
http://www.afreco.jp/2-5tanzania.pdf

これをよく読んでみると、ジャトロファを栽培し、持続可能な利益を上げるためには、かなりのインフラ整備と投資が必要なことがわかる。要するに大農園が成立して初めて、小規模農家にも栽培のチャンスが回ってくることがわかる。そんな大農園を成功させるには、いくら乾燥した荒地でいいとはいえ、採算や生産後の輸送コストを考えると、どこでもいい、辺境の地でもいい、ということにはなるまい。(環境省委託事業は、なかなか、その辺をよく考えているといえると私は思うけれども…。)

うーん、夢のプロジェクトはなかなか難しいのである。
日本政府のTICADⅣでも、「民間セクターとのパートナーシップにより食料安全保障と両立するジャトロファ生産の可能性調査」という項目があり、ケニアも日本企業とのパートナーシップによるジャトロファ・プランテーションの促進をうたっている。(プランテーション!である。何度も書くが、やはり小規模農家の現金収入増大のためには大農園を基盤とするしかないのであろう。)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/report/status/PR000269.html

私が旅したブルキナのサヘルへ向かう道。それは、農耕地帯から、ミレットやソルガムしか取れないような乾燥地帯を通過し、それさえままならない牧畜民トゥアレグの土地への道だった。

太田先生の言われる「ジャトロファの危惧」は、牧畜民との利害の対立であろう。
牧畜民にとっては、おそらく何のメリットもない。ジャトロファのプランテーションが増えれば彼らの土地が侵食されるというデメリットしかない。それ以上に、ジャトロファというバイオ燃料生産という現金収入の魅惑・市場経済の進展の中で、牧畜民はますます周辺化するしかないのである。たしかに牧畜民に持続可能な開発はあるのか、と思わざるを得ない。今日もまた、うーんと唸るのである。

2 件のコメント:

  1. tsujiさん
    ネリカ、そしてジャトロファとものすごく慎重にならないといけないと思います。

    ご指摘の牧畜民の話ももっともですが、実際に耕す土地には、ものすごく複雑な土地制度があります。長年の社会開発の成果もあり、乳幼児死亡率が低下、平均寿命は確実に伸びているアフリカの社会、裏返せば、急激に人口が増えていて、これまでの土地所有制度などもある意味疲弊してきています。何もしなくても、ずいぶん大変な変革期にある中で、プランテーション、農業の職業化を促すのは、この変革をさらに助長します。

    今僕がプロジェクトをやっている北部の村、小さいほうの村は一人当たり、約1-2haほどの耕地面積しかありません。プランテーション式にやらなければダメだとするとどうやって土地を得るのか、というところにまず疑問があります。

    そして、そもそも、「木≒燃料の切りすぎ」が砂漠化を助長している、と言うのも、かなり怪しい仮説で、よく見ると、それなりにご存知の方はいつの間にか使わなくなっているロジックです。「石油が枯渇する」と言われていましたが、私が小中学生の時に習った石油の残りから計算すると、すでに石油などなくなっていたはずですが、今、後何年と計算されているのでしょう?

    何がなくなる、とかいう以前に、自然に目を向けさせる環境の教育は非常に重要で、私も益々盛んになるといいな、と思う分野です。ただ、きっと自然は人智を越えた部分が必ずあります。それは、昔計算された石油の埋蔵量であり、また人間社会においても、電気自動車が開発され、火力発電に変わる電力供給源として、今、話題になっている原子力発電が推進されていきました。

    この自然と人間の葛藤を考えると、すべての問題をクリアしてしまうという触れ込みの、ジャトロファは、ずいぶん簡単な方程式の中で合理性が確認されてしまっているように思います。太田先生のおっしゃっていることは、限られた時間の中で説明し得たごくごく一面。問題はその何倍もあるのではないか、と推察します。

    実際に現場を踏んだ経験から、教科書に書かれている「持続可能性」は、幸福な生から何度も積み直して考えないといけない、深遠なテーマであるような気がします。それは、自然がそうであるように、そして人間がそうであるように。です。

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  2. 荒熊さん、コメントありがとうございます。「太田先生のおっしゃっていることは、限られた時間の中で説明し得たごくごく一面。問題はその何倍もあるのではないか、と推察します。実際に現場を踏んだ経験から、教科書に書かれている「持続可能性」は、幸福な生から何度も積み直して考えないといけない、深遠なテーマであるような気がします。それは、自然がそうであるように、そして人間がそうであるように。です。」同感です。今回は、太田先生のレジメを元に書きました。今読んでいる京大の島田先生の本には、地域研究というミクロの視点と、国家経済・世界経済的なマクロの視点の関係性について書かれています。まだ私の血肉になっていませんが、きわめて深遠な問題だという認識をもっています。

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