2010年2月17日水曜日

追想ピーター・オルワ氏のことⅡ


 昨日に続き、ピーター氏のことを書こうと思います。ピーター氏には7つの顔がありました。ケニアの旅行会社社長・現地ガイド・コーディネーター、ボクシングの銅メダリスト・元日本のプロボクサー、歌手、ダンサー、日本の動物専門学校の講師、そして作家です。
 彼は2冊の日本語の本を残してくれました。その1冊が、「楽園(ペポニ)」です。ピーター氏が若かりし頃、アフリカンダンサーとして温泉地のホテルで働いていたころの話はいい異文化理解の教材になります。ピーター氏はルオ人で、本当はビクトリア湖畔の出身ですが、ナイロビ大学に進学した関係でナイロビ住まいが長かったらしいです。ナイロビは赤道に極めて近く、1年中朝6:00と夕6:00に日の出・日の入りがあります。雨季と乾季はありますが、気温差はほとんどといっていいほどありません。すなわち四季がないといってもいいのです。彼が、日本に来て、初めて秋を迎えた時、落葉樹が葉を落とすのを見てびっくりたといいます。ホテルの人に「あの木、病気だよ!」、葉が全部落ちて「あの木死んじゃうよ!」と訴えたといいます。また東京で銭湯に入り、最初はびっくりされたけれど、結局裸のつきあいができたとか、おもしろい話が満載です。私のすべらない話シリーズ外伝ネタといったところです。
 ピーター氏は、ケニアに、アフリカに誇りを持っていました。良き伝統を守らねばならないと考えていました。ある市の水道公社を視察した時、「盗水」という問題があることを知りました。アフリカでは、人口密度も小さく、移動も多いので、伝統的に土地や水などはみんなのモノという感覚があります。また情の経済というか、貧しい者は、富める者からその分け前を得ることが普通のことです。しかし、近代国家として発展するためには、個人として立脚する必要があります。資本主義はこの個人に立脚していますから。で、私は、水道公社の担当者に、「小学校などで公民という概念を教えないのですか?(公共)サービスは税や支払いによってなりたつという基本概念を、まず子供に教え、彼らが親になったころ、社会は変わると思うのですが…。日本では、人権についてまず子供が学び、その親の代になって人間は平等なんだという共通意識が確立しましたよ。」と質問しました。担当者のトンチンカンな答えが返ってきました。彼には理解不可能だったのだろうと思います。で、その後、ピーター氏と警備のアダム氏が私の元にやってきました。アダム氏はアルメニア系白人、射撃のメダリストで元警官のJICA専属ガードマン。アダム氏は英語で「ケニアでは小学校でスワヒリを教える。そのおかげでケニアは内戦を回避できた。あなたの言いたいことはわかるが、時期が早い。」と言い、ピーター氏が通訳してくれました。さらにピーター氏の意見。「そうやね。もしケニアで、子供に先に教えたら、親はその生意気言う子供を追い出すね。父親の権威は絶対やからね。」3人で真剣に語り合ったのでした。
 ピーター氏は、「アフリカ人が日本に学ぶこといっぱいありますね。でも日本人もアフリカに学ぶことがたくさんありますよ。」と言っていました。あれからだいぶ経ちますが、本当にその通りだと思います。

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