2010年2月26日金曜日

国際理解教育のActivityの罠


 もう3年ほど前になる。JICAの高校生セミナーで、「100円ショップ」についてのアクティビティが行われた。様々な種類の「箸」を並べて、どれが100円かを当てたり、どこの国の製品化を調べたり、100円ショップから見る南北問題という体験型学習だった。行ったのは某協会。ファシリテーター(進行者)は、おそらく小学校の先生という感じの御婦人だった。このアクティビティの結論は、途上国の低賃金労働が100円ショップの製品を支えているということだった。それはいい。ただ最後に彼女はこう結論づけたのだった。「日本の企業は、今、中国の工場で製品を作っていますが、さらに安い賃金のベトナムに工場を移転します。そうなると中国の労働者は失業します。なんて勝手なことをするのでしょう!みなさん、そう思いませんか?」…私は背骨が曲がりそうになった。なんとアホな結論なのだ!
 
 私は、国際理解教育のアクティビティをある時期、貪欲なまでに身につけようと、あらゆる機会をとらえてセミナーに参加した。とにかく、新鮮だったのだ。生徒の興味を喚起させる絶好のアイテムである。おかげでかなりのゲームや、参加型学習のノウハウを身に付けた。自分で教材づくりもした。しかし、多くのアクティビティは、導入でしかない。結論もない。生徒に疑問や思索の種を植えるのが最重要なのである。
 私は、同時に社会科の教師である。社会科学的な思考を生徒に伝えるのが、重要な使命の一つである。社会科学は、自然科学のように正解は1つではない。様々な視点から「社会」を捉えることの重要性を伝えたい。国際理解教育のアクティビティは、導入には適しているが、「浅い」という欠点がある。生徒の脳内のカテゴリーでしか回答が導き出されない。時には大きな勘違いで終わることもある。国際理解(狭義な意味での途上国理解)で、最も私が恐れるのは、「かわいそう」「私は日本に生まれてよかった」という類の結論である。

 100円ショップのアクティビティに話を戻そう。純粋で経済学に無知な生徒が聞いたら、ファシリテーターの言を信じてしまうだろう。なんという善悪二元論的な結論なのだ!(怒)中国からベトナムへ工場が移転するのは、市場経済から見て妥当な戦略である。中国の労働者は一時失業するかもしれないが、生産に関係するあらゆるスキルが残っている。彼らはそれを将来に生かすだろう。まさに日本も韓国も中国も、そうして経済発展をしてきた。これは社会科学的な「法則」といっていい。開発経済学(ポール・コリアー等)では、『途上国の強みは、大量の低賃金労働者をかかえていることである』と結論づけている。それを否定するとは、無知もはなはだしいのである。私は、この時、アクティビティの限界と、社会科学的な意味で正しい見方(これはかなり難しいが、少なくとも定説化していたり多くの支持を得ている学説)をきっちり学んで教えるということの必要性を感じたのである。国際理解教育においても、アクティビティ(興味)と社会科学(学習=勉めて強いる)の両輪をしっかり連動させる必要性を感じたのである。

 この思いから、それまで断片的に学んできた開発経済学をきっちり高校生に伝えるべく集大成したのが、昨夏作った「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」である。今、それをさらにわかりやすく、新しい統計資料や以後に学んだ題材(アフリカの9億人の市場の可能性や中国の進出、民主主義がアフリカ経済を殺す)を挿入しながら、来年度用にV3.01版として再編中である。
 「私のPRSP」シリーズは、このテキストを元に、ある時はアクティビティで「導入」し興味を喚起し、シミュレーションして討議し、テキストの記述をもとに社会科学的な教授もしてきた成果なのである。とはいえ、国際理解教育では、異端かな?と思う。

2 件のコメント:

  1. 国際理解(狭義な意味での途上国理解)で、最も私が恐れるのは、「かわいそう」「私は日本に生まれてよかった」という類の結論である。←激しく同意です。学ぶ側としてもそれでは思考停止です。
    いつの間にか学ぶことを辞めた先生が多い中でkatabira no tsujiさんの貪欲さには敬服します。

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  2.  ありがとうございます。国際理解教育のアクティビティには、こういう『罠』が潜んでいます。ESDを行う教師側は、常に学んでいなければなりません。地球市民を創るために、その努力を惜しむべきではないと私は思っています。また、この話題、いつしか続編を書きますね。

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