2010年2月12日金曜日

非常勤講師の報酬に異議あり


 今日昼前、昨年春に国語科を卒業し、今は某国公立大学の夜間部で文学を専攻するOBがやってきた。彼は、昨年私のところに来て、「バーり語を大学でやりたいのですが…。」と言ってきた。そんなことを言われたのは教師歴30年で初めてである。「アビダルマでもやるんかい?」と答えた。要するに東南アジア等で盛んな上座部仏教の言語である。以来、インターネットで全国の大学のシラバスを研究した。バーり語が学べるのは、東大・京大を除くと仏教系の大学のいくつかだけであった。山口県立大学におそらく師事可能だろうという教授を発見し、二人で盛り上がったことを覚えている。しかし経済的な事情を優先し、今の大学を選んだのである。1回生のうちは、基礎的なものばかりだったが、いよいよ専攻を決めなければならないのだという。近くの喫茶店で、ランチを食べながら話を聞いた。卒論の指導をお願いしたい教授の話。院の話、学会の話。そして最も現実的な教職をめざす話…。
 で、今日の本題なのである。彼は、高校の社会科の教師をめざす道を模索していた。嬉しいことだ。しかし、私は彼にそれを勧めない。何故なら…。まず社会科教師の採用試験の倍率は途方もなく高倍率であること。(ちなみに私も100倍の難関を新卒で突破した。超ラッキーボーイである。)多くの先生方は、非常勤講師などをしながら、教師としてのスキルを身につけていく。おそらく現役の高校教師で非常勤講師の経験がない私などはかなりの少数派であろう。彼も、超ラッキーボーイでなければ、そういう道を歩むことになる。
 しかし、我が大阪府の某知事は、就任後非常勤講師の報酬を時間制にした。これまで10時間持っていたら、毎月10時間分の報酬だったのを、実際の授業時間数分にしたのだ。多くの市民は、合理的だ。教師はたるんでいる、あたりまえだろ、と称賛した。私たち現場教師から見たら、教育を守るとかきれい事を言うだけの某知事こそ、何もわかっていない。愚策中の愚策である。そんなことをしたら、非常勤講師は、生活できなくなり、塾や他の職種に流れてしまう。いい非常勤講師は、現場がほっておかない。校長だってそう考えている。某知事が考える財政からみた合理性は、結局教育現場の人材を空洞化するものなのだ。経済力のない人間は、教員への道をやがてあきらめざるを得なくなる。民主党の教員養成6年制も同じ観点から、私は愚策だと思っている。修士まで取れる経済力、あるいは非常勤でも親が援助してくれる家庭の出でなければ教師になれない。経済力があることが悪いとは言わないが、母子家庭や様々な問題を抱える児童生徒の痛みを本当にわかる教師こそが、今求められているのではないか?まさに逆行である。
 私もあと10年ほどで教職を引く時が来る。教師志望の教え子たちにも、教師の喜びを是非味わってもらいたい。だが、今の政治の方向は、全くの逆方向を向いていると思う。底辺の底上げこそが、いい教師を増やす。教育は人で決まる。…マスコミにええかっこしてる暇があったら、現場の声をちゃんと聞いてほしいもんだ。

2 件のコメント:

  1. 途上国の医療を良くしたい、と先進国で教育を受けても、自分の国は働く場所がなかったり、給料が極少だったりして、結局、優秀な人材が本当に必要なところにいなくなる現象と同じですね。先進国に行ける程の経済力があってもこのような問題は起きてしまうのは、ガバナンスの悪さなのでしょうか?日本も良いガバナンスだとは言えないですよね…。

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  2. 教育の重要性を、公立高校の難関大学進学数であると勘違いしている馬鹿な政治家の問題だと思うよ。先日、某公立中学の校長さんとそんな話になり、現場の声が届かない傲慢な姿勢に2人で怒っていた。これは私だけの意見ではないと思う。

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