2010年2月5日金曜日

私のすべらない話Ⅱ


 今日は昼から、社会科研究会の研修があり、日本銀行の大阪支店を初めて見学した。旧館は前半分をうまく保存し明治の風情を残しており、新館は明治の風情をそれとなく生かした現代的なビルとなっていた。旧館のVIPルームに入ったり、新館の窓口業務を見学したり、展示室には、札束のレプリカとそれを運ぶ機材があったりして、なかなか面白かった。
 ところで、今日の本題はすべらない話Ⅱである。またまたNYC編である。実は、私は日銀に行ったのは初めてだが、10年以上前、アメリカの日銀と言ってもいいニューヨークのFRB(連邦準備銀行)に行ったことがある。ここには予約がないと行けない。地球の歩き方を見て、英文の申し込みをした。(もちろん前任校の英語の先生に頼んだ。)滞在先のB&Bに、そのプラチナ・チケットがと着いていたことを知って小躍りした。何故なら、FRBには、世界中の政府の金塊が保管してあるのだ。
 当日のツアーの仲間は黒人の学生と黒人のカップルだった。エレベータで地下に降りる。長い。ドアが開くと、金塊を運んでる白人のお兄さんがいた。ある黒人学生が「触ってもいいかい?」と聞くと、「ノープロブレム」という返事。「ミートゥー?」と言ったら頷いたので、私もすこし触らせてもらった。さらに違う学生が、金塊を持ち上げようとした。その瞬間、お兄さんは銃を彼に向けたのだった。「触ってもいいとは言ったが、持ち上げていいとは言わなかったぜ…ベイビー。」あわてて金塊をもどし、彼はホールドアップ状態になった。アメリカ人はこういうギャグが好きらしい。金塊のある部屋は、牢屋のようになっていて、そこに金塊が禁固されていた。政府間で金の取引があった場合、この牢屋内で移動するのだった。昔ソ連が、アメリカから穀物を輸入し、金で支払ったという記事を読んだことがある。私はてっきり、ソ連からアエロフロートで空輸されたのだと思っていた。
 さて、金塊の保管室から出て、質問会。様々な質問が出た。ネイティブスピーカーで同士で盛り上がっていた。愛想笑いするのが、辛い…。勇気を出して、「I have one question!」「私は日本からきた社会科教師である。我が日本の金塊は先ほどの部屋のどこにあったのか教えてほしい。」と質問した。すると、ガイドの太ったおばさんは、「私も知らないわ。トップ・シークレットなの。」と言ったのだった。そりゃそうだ…と思ったら、おばさんは、ボタンを押した。機械音がして、金塊の保管室と我々のいる場所を結ぶ通路が、突然廻りだし壁に変わった。ガシャーン!金塊の保管室との通路は鉛製の核シェルターだったのだ。私は、黒人学生たちと共に声をあげた。「すげぇ!」…これまた、文章で読むとわかりにくいが、毎年大うけする私のスベラナイ話である。日本とアメリカ、ちょいとばかりスケールが違うのである。

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