2025年9月30日火曜日

旧約聖書のトリビア知識6

https://www.islamreligion.com/jp/articles/332
『月刊言語』の2003年12月号、旧約聖書の世界という特集から、印象に残った記述のエントリー第6回目。本日は、選民思想の展開について。

ユダヤ教の「選民思想」とは、選ばれた民であるとともに、選んだ民であるという記述に驚いた。言うまでもなく、選ばれた民は、創世記のアブラハムの召命や出エジプト記で明確であり、申命記4章35節で「主こそ神であり、他に神はいない」という唯一神の認識が明示されている。これが、唯一神の教えと意思に従うことを促し、ユダヤ人のアイデンティティーの礎となったわけである。

第二神殿末期より、ラビ・ユダヤ教が台頭し、口伝律法における再編が行われる。民数記の聖書解釈などを中心に、「選んだ民」としての主張がなされていく。要するに、タルムードにそういう主張が記されているわけだ。特にディアスポラの中で、書かれた律法である成文トーラー(=モーセ五書)の”選ばれた民”と口伝律法の”選んだ民”からなる「書物の民」として活路を見出すのである。(ユダヤ教の宗教思想/勝又悦子)

…この二重の選民思想の存在も初めて知った。タルムード(画像参照)の内容の詳細については、さすがに私も不勉強である。まあ、高校倫理の教師としては、そこまで専門性は問われないとは思うのだが、興味は尽きない。

2025年9月29日月曜日

メッツ敗れ、レッズと対戦

https://mlbtours.jp/?p=112312771
ドジャーズのポストシーズン、最初の相手はシンシナティ・レッズになった。両者とも今日敗れたのだが、かのファン・ソトのいるメッツではなく、ギリギリ対戦成績で優位だったレッズとなった。

なにかと大谷選手に対して不愉快な発言をするソト選手は日本人を完全に敵に回している。あれだけの大金をもらいながらポストシーズンに出れなかったのは、実に愉快だと思っている日本人は多いのではないか。私もその一人であるのだが…。

2025年9月28日日曜日

旧約聖書のトリビア知識5

https://popehistory.com/marcion/
『月刊言語』の2003年12月号、旧約聖書の世界という特集から、印象に残った記述のエントリー第5回目。前述の加藤隆氏の『新約聖書にとっての旧約聖書』から。

キリスト教は、ユダヤ教を全面的に否定したのではなく、受け入るべきものは受け入れた。キリスト教の聖書の成立過程について段階的に述べられている。実に有為な解説であると思う。

1:律法を否定する段階 イエスは「神の支配」という原則を打ち出した。当時のユダヤ教は、「神殿と律法の支配」となっていた故に、イエスは基本的に律法を否定した。”律法に決められているから正しい。”という律法主義的な議論を基本的に認めなかった。律法に依拠した議論が新約にも見られるが、この姿勢を変えていないし、神の支配を語るために、”たとえ話”を多用している。また律法の規定や字句ではなく、その意味や精神について議論している。

2:ユダヤ教の聖書をそれなりに価値あるものとして用いる段階 しかしながら、イエスの死後、初期キリスト教では、伝導の主な対象はユダヤ教徒であるが故に律法の様々な箇所を利用された。ユダヤ教の主流との対立を避けるためであり、また実際的に有効だったからである。

3:キリスト教の側である程度以上のまとまった文書が作成されるようになった段階 最初の権威ある文書・マルコ福音書は、「書かれた律法」(前述のモーセ五書など)を重んじるユダヤ教のグループから生じたと考えられる。故に、マルコ福音書は書かれた律法の権威を認めるものであったし、当時キリスト教の主流であったイエスの教えや振る舞いについての口伝の情報に権威を認めてしまうと、「神の支配」の前に介入する「有力な指導者たちの支配」が生じる。ゆえに「書かれたもの」の権威が口伝に対置されたといえる。

4:ユダヤ教の聖書がキリスト教徒側でも、ユダヤ教においてと同様に権威あるものとして用いられ、またキリスト教独自の文書と同じように権威あるものとする態度が生じてくる段階 1世紀の末になるとギリシア語圏のキリスト教徒の間で、マルコ以外の福音書やパウロの書簡などが次第に権威をもつようになる。キリスト教の分離独立した際、ユダヤ教の律法を全面的に否定するかどうかという問題が生じた。ユダヤ教の口伝律法(25日付ブログ参照)など細部まで尊重する理由のないキリスト教徒は、「書かれた律法」だけが権威あるものとされるようになる。

5:マルキオンの聖書の成立 2世紀のキリスト教には、旧約聖書も含めて、ユダヤ教の律法の全体を否定しようとする流れも存在した。ルカ福音書とパウロ書簡だけをキリスト教の聖書としたマルキオン派はその代表的立場である。

6:旧約聖書・新約聖書がキリスト教の聖書として確定する段階 旧約聖書のすべてがキリスト教にとって有用ではなかったが、”有用な文書だけを抜粋した文書集”などにを権威あるものとはできず、故にすべてを権威あるものとして認めざるを得なかった。

…3のマルコ福音書については、イスラム教のクルアーンとの関係性が認められることを、24年6月24日付の「コーランの中のキリスト教」でエントリーした。律法を重視するキリスト教徒とムハンマドの関係性の話である。

…5のマルキオン(上記画像参照)について調べてみた。正典という概念を生み出した人で、異端とされたのだが、イエスをユダヤ教のメシア(=政治的指導者)ではなく、神によって派遣された存在で人間性や処女懐胎を否定した。さらに旧約の神とイエスの示した神は違うこと、よって旧約聖書は必要がないと主張した。実に興味深い人物である。

2025年9月27日土曜日

学院の文化祭 2025

https://www.osaka-shinai.ac.jp/blog/gakuin/detail/123
学院の文化祭に行ってきた。今年も3年生全クラスを教えているので、7つの模擬店を回ることになった。皆一応に喜んでくれたので嬉しい。今年は特に血糖値が上がるようなものが多くて、料金はそのままに、量を少なめにしてもらった。(笑)

軽音部や吹奏楽、美術部、華道部、茶道部にも寄らせてもらった。普段は大人しく授業を聞いてくれている生徒が皆活躍しているのを見ると嬉しくなる。理系の生徒が、昆虫標本を展示していて、小学生が標本づくりに興味津々だったのが印象に残ったのだった。

今春卒業したOB・OGにもたくさん会えた。これもまた嬉しいものだ。

今回も写真をたくさん撮ったのだが、個人情報の問題も有るので、学院のブログから2022年度文化祭のトップページを使わせてもらった。今年の風景はさらに人が多い感じである。

2025年9月26日金曜日

ドジャーズの地区優勝2025

https://www.jiji.com/jc/article?k=2025092600222&g=spo&p=20250926at09S&rel=pv
ドジャーズが長い坂道をやっと登りきって今朝(日本時間)地区優勝を決めた。ハムショー氏のライブにアクセスした瞬間、大谷選手の54号が飛び出した。山本投手は無得点ピッチングで6-0。その後もフリーマンの本日2本目のHRも飛び出したので、完勝を確信し、登校したのだった。学院の最寄り駅で確認したら8ー0で試合は終了していた。大いに溜飲を下げたのだった。

カブスとの東京シリーズで連勝して幸先の良いスタートを切ったドジャーズだったが、ベッツ選手の不振、フリーマン選手の怪我、マンシー選手やスミス捕手、エドマン選手の怪我、K・ヘルナンデス選手の離脱、さらにT・ヘルナンデス選手のライト守備やコンフォート選手の不調など様々な困難を乗り越えてきた。先発投手も後半は万全の体制となったが、カーショー選手やスネル投手、グラスノー投手は復帰したが故。最初から最後までローテーションを守ったのは山本選手のみ。ブルペンは、後半戦に大きく崩れ大問題化した。中でも、山本選手のあわやノーヒットノーランの試合や大谷選手の快投後に逆転負けをするなど、ロバーツ監督の采配批判にまで及んだ。まさに総力戦でやっと掴んだ地区優勝だった。

https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/photonews/photonews_nsInc_202509260000295-0.html
地区優勝は通過点に過ぎない。ワールドシリーズ連覇を目指すドジャーズにとって、ポストシーズンでは強敵が立ちはだかる。第1・第2シードを取れていない短期決戦をいかに乗り切るか。ずっと最前線で頑張ってきた大谷選手と山本選手の双肩にかかるプレッシャーは凄い。だが、不調を脱したベッツ選手やフリーマン選手を始め、多くの仲間がきっと支えてくれることを信じている。…野球は退屈ではない。

2025年9月25日木曜日

旧約聖書のトリビア知識4

https://newspicks.com/news/2439722/body/
『月刊言語』の2003年12月号、旧約聖書の世界という特集から、印象に残った記述のエントリー第4回。今回は、ユダヤ教の見識について、まだまだ不勉強であることを強烈に感じたことについて。

これは、私にとっておなじみの千葉大の加藤隆先生の「新約聖書にとっての旧約聖書」を読んでいて発見したことである。それは、口伝律法の存在である。モーセ五書のような文書になった律法=書かれた律法ではなく、ラビたちによって口伝で伝えられたもので、ユダヤ教では書かれた律法の意味を説明し明らかにするものとして権威があった。2世紀になって、民族の危機(ディアスポラ)に際してこれら口伝律法が書き記されることになった。それが「ミシュナ」である。加藤論文には、ミシュナについての記述があっただけなのだが、さらに口伝律法について調べてみた。

…すると、極めて重大なことが判明したのである。私は、これまで倫理の授業で、「タルムード」の存在について長く語ってきた。ユダヤ教について極めて重要な文書だからである。このタルムードのホンモノを見たのは、NYCのユダヤ博物館で、非常に感激した。新聞記事のように、その中心に記述があり、その周囲にさらに記述が犇めいている(上記画像参照)。ネットなどがなかった昔、タルムードはこういう構成になっていることは新鮮な驚きだったのだ。私は、律法の解説書(そういう記述を何かの書で学んだ。)としてタルムードを理解してきた。よって、この中心の記述は、モーセ五書の「書かれた律法」で、ラビたちがそれに様々な注釈を加えていると理解していたのだが、これは口伝律法の「ミシュナ」だったのである。教え子諸君に嘘を教えた訳では無いといえるのだが、口伝律法という概念は今の今まで認識していなかった。ちなみに、このミシュナの周囲の記述はゲマーラーというそうだ。いやあ、衝撃的な事実だったのである。加藤先生の論文については、後述するとして、衝撃の1日だったことを記しておきたい。

2025年9月24日水曜日

旧約聖書のトリビア知識3

https://app.fta.art/ja/artwork/9edfe64b24a660411733fa20d6f6aab50b8b5774
『月刊言語』の2003年12月号、旧約聖書の世界という特集から、印象に残った記述のエントリー第3回。旧約聖書のネビイーム(預言者:ナービーの複数形)について。

旧約聖書の預言書の部分をネビイームと称し、通常歴史書に分類されるヨシュア記、士師(しし)記、サムエル記、列王記が最初にある。これらを「前の預言者」(ネビイビーム・リショーニーム)といい、その後のイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書の「3大預言書」さらに後に続く「十二小預言書」を合わせて「後の預言者」(ネビイビーム・アハロニーム)と呼ぶ。

これら預言者の特質について、エリヤ、エリシャといった「前の預言者」は、行動に中心があり、「後の預言者」では、言葉にその中心がある。さらに、「預言」は、あくまでも現実の歴史に関わるものであることで、「諸書」に分霊されるダニエル書の「黙示」(歴史にかかわらない幻が多く記されたもの)とは一線を画す。

M・ウェーバーは、『古代ユダヤ教』の中で、社会学的な視点から、古代イスラエルの預言者の活動について周辺のオリエント世界に見られる現象との共通点を認めつつも、独自性に着目している。すなわち、「契約共同体」に基づく国家批判の伝統こそが預言者たちの活動であると。士師時代、軍事的カリスマをもつ指導者が危機の時代に民を率いたが、王国制度が確立すると常備軍が組織されてくる。この変化が、非軍事化された士師的存在を古典預言者の社会的背景になったとするのである。彼らは軍事力ではなく「言葉の力」を用いて、王ないし王国がヤハウェとの契約に反する政策を取る時、これを厳しく批判することになったとしている。

最初の古典預言者とされる紀元前8世紀半ばの北王国のアモスであるが、その影響を最も大きく受けたのが8世紀後半の南王国・エルサレムで活躍したイザヤ(上記画像参照)である。イザヤ書は、第一イザヤ書、紀元前6世紀のバビロン捕囚末期に活躍した無名の預言者に関わる第二イザヤ書、帰還後の第三イザヤ書に別れる。第一イザヤ書のイザヤは、ウジヤ王の没後に活動を開始し、アッシリアの侵略危機に対し、シリアと共に軍事的に対抗しようとする王に「落ち着いて静かにしていなさい。」とヤハウェの言葉を告げ、ヤハウェではなく、軍事同盟という人間の力に頼ることを批判(イザヤ7)、後にエジプトの軍事力に頼ろうとした王にも、これを批判している。(イザヤ31)これらは、イザヤの未来確信である。イザヤ書には、「メシア預言」と言われるテキスト(イザヤ11)もあり、ドイツの有力な旧約学者W・H・シュミットは「預言者たちは今日から明日を見るのではなく、明日から今日を見ている。」と預言者の本質を語っている。

https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Michelangelo-Buonarroti/84503/
エレミヤ(上記画像はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画)の預言活動は、南王国でイザヤの1世紀後になる。当時の南王国はかなり力を回復していたので、新バビロニアの脅威を訴える彼の言葉は奇異に感じられ、迫害を受けた。上から下への預言活動ではなく、下から上に語る新しいカタチの預言活動であった。また、エレミヤの預言活動は、「契約」ということへの言及で、出エジプトにおけるシナイ契約を自ら破っている(エレミヤ2-23/11-4)という旧約の根本を揺るがす事態であったが、晩年、「新しい契約」という神の言葉を聞く。(エレミヤ31ー31)石の板ではなく、彼らの心のなかに記される律法である。ちょうどヨシヤの宗教改革で、「ヤハウェを知れ」と言う必要がかくなり、最後に神の赦しということが記される。このことが後の「旧約聖書」「新約聖書」という名称の典拠の1つになる。

エゼキエル(上記画像参照)の預言活動は、紀元前6世紀バビロン捕囚の中で行われた。苦難の中、彼の希望の言葉でイスラエルの民は耐えれたと言われている。彼は「召命」を説き神の言葉を熟読玩味すること、また「象徴行為」(れんがを1つ取って眼の前に置き、その上に都であるエルサレムを刻みなさい等)を説いた。(預言活動とはいかなるものか/大島力)

…これらの預言者の詳細について、高校の倫理等の授業で触れる機会は極めて少ないと思う。だが、今まで以上に預言者について語る時には、さらなる深みを持てるだろう。そう、100の見識を50くらいで教えるのが理想のような気がする。

2025年9月23日火曜日

旧約聖書のトリビア知識2

『月刊言語』の2003年12月号、旧約聖書の世界という特集から、印象に残った記述をエントリーしたい。まずはモーセ五書の四資料の話。(画像は本書から)J資料やP資料の話は、この長いブログの中で二度ほどエントリーしている。今回はその集大成的な話になる。

創世記において、「神(エロヒーム)」と「ヤハウェ」という異なる表現が用いられている。この二系統の区別と、その後、「ヤハウェ」を用いる部分でも申命記は用語的、思想的に他の部分から区別された独自のまとまりをなすことが認識され、他方創世記で「エロヒーム」を用いる部分でも、相互に全く異なる特色を持つ二つの系統に分けられること(ただし、両者ともモーセ時代以降については「ヤハウェ」をも用いる)、しかもそのうちの一方は内容的特徴から職業的な祭司の手によるものであることがわかった。以上のことから19世紀後半20世紀後半にかけてドイツの聖書学者たちによって、「四資料仮説」が確立した。

長い間口伝で伝えられてきた素材を元に最初から「ヤハウェ」を用いる文書資料(J資料)がダビデ・ソロモン治下に成立。これにやや遅れて、普通名詞の「エロヒーム」を用いる文書(E資料)が分裂王国時代の北王国(=イスラエル)で成立した。族長物語ではヤコブの内容と北部伝承が多い故である。

申命記は、法典を囲むカタチでモーセの説諭が組み込まれている。南王国末期のヨシヤ王の祭儀改革時に関連して成立したD資料(Dはギリシア語の申命記:Deuteronomiumから)が第三の資料。第四の資料は、祭司によるものとされるP資料(Pはドイツ語の祭司:Priester)で、捕囚時代から第二神殿時代に成立したと考えられている。安息日や割礼、過越祭等の祭儀的習慣の神学的意味づけに強い関心が寄せられている。

この「四資料仮説」は、ほぼ定説化したのだが、様々な批判も寄せられているようである。(モーセ五書の成立/山我哲雄)

…これまでの私の理解は、まだまだ浅かったと言わざるを得ない。こういうトリビアな知識は実に興味深いのだが、どうも竹田青嗣氏とニーチェの著作を呼んだ直後なので、しょせん「物語」ではないかという諦観がある。しかもこれらの無謬性を主張する向きには、ちょっと理解しがたいところがあるというのが感想である。

2025年9月22日月曜日

カトマンズの春

https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=435511&pid=2231197
ネパールで、SNS制限の政策に若者が猛反発し、暴動が起こり首相が辞任した。ネパールは3つの社会主義政党が国会を握っているのだが、この首相は毛沢東主義の政党だったようだ。汚職まみれの政治に若者の怒りが爆発し、無政府状態になったのだが、なんとその後2・3日で暫定首相が決定した。73歳の女性、シスラ・カルキ元最高裁長官(画像参照)である。汚職の疑いのある警察署長の任命を取り消したということで、失脚させられていた人である。

この選出過程が驚くべきもので、今回の暴動を主導したハミ・ネパール(ネパール大地震をきっかけに設立されたNGO)が、SNS上で、1万人が参加したオープンな会議を行い、この会議で投票が行われ、カルキ氏が選ばれたのだ、という。(アルジャジーラの報道による。)わずか数時間で決定したのだが、もちろん問題は多い。オープンな場で多数の外国人が参加していた可能性があること、インターネットにアクセスできる者しか参加できなかったことなどであるが、無政府状態の中で汚職まみれの政治家が密室で決めるよりは、はるかにマシであるという声も多そうである。

https://www.youtube.com/watch?v=WiCxHuOs2FI

…たしかに民主主義的ではない。ただ、チャーチルが言ったように、民主主義は絶対でも正義でもない。マシな政治形態であって、今回のような無政府状態では賢明な動きだったと言えるのではないかと思う。

2025年9月20日土曜日

カーショー引退への祝砲

https://news.ntv.co.jp/category/sports/de859007d3274fc391bacd8d2ef9ac3b
ドジャーズのレジェンド・カーショー投手が、昨日突然引退を発表し、今日本拠地でのレギュラーシーズン最後の先発の試合となった。だが、このままでは敗戦投手となりそうだった。しかし、大谷選手の52号3ランとそれに続くベッツのソロHRで、それを救った。

そもそも大谷選手がMLBに挑戦する時、ドジャーズにも招かれ入団を要請されている。この時カーショーも同席した。しかしDHがなかった故にエンゼルスに入団した。以来、カーショーは大谷選手の印象は良くなかったようで、その後の対戦やオールスター、そしてドジャーズ入団後にその評価は大きく変わったらしい。

18年間、ドジャーズ一筋で、サイ・ヤング賞や大記録の数々を持つ大投手への大谷選手は敬意は凄い。なんとしても敗戦投手にさせてなるものかという想いのこもった一発だった。本人や家族、レジェンドなどの様々な称賛は、まさに全米を感動の渦に巻き込んだ。まるで、ホント映画のようなシーンだった。多くのファンが目頭を熱くしたのだった。私も含めて…。

旧約聖書のトリビア知識1

https://yphhpo.babedz.ru.com/index.php?main_page=product_info&products_id=20566
息子が実家に残した書籍の中に、旧約聖書の世界という特集が組まれた『月刊言語』の2003年12月号を見つけた。10人の研究者による様々な論文と、2003年度の言語学系の大学院の入試問題が載っている。面白そうなので、通勤のお供にリックに入れたのであった。

竹田青嗣氏に「物語」と断罪され、ニーチェに「ニセモノ」とボロクソに言っている旧約聖書ではあるけれど、比較宗教学的な興味はつきない。(笑)

旧約聖書をユダヤ教では、タナハと呼ぶことは知っていたが、モーセ五書のトーラー、預言書と歴史書のネビイーム、諸書のケスービームのそれぞれ頭文字をとっているらしい。正典化は紀元90年頃エルサレムの真西、ヤムニヤに置かれていたユダヤ教の最高法院で最終決定したらしい。キリスト教が(ヘブライ語から翻訳された)ギリシア語訳を広く使うようになったので、恣意的に誤訳されることに対抗したものらしい。キリスト教ではギリシア語訳の配列にしているが、本文と内容については、ヘブライ語訳に準拠しているとのこと。(旧約聖書には何が書かれているか/本田献一)

…以後、気になった内容をエントリーしていこうと思う次第。

2025年9月18日木曜日

野球は退屈ではない 2

https://www.google.com/search?rlz=1C1VDKB_enJP1148JP1149&sca_esv=2bdaff5eaf256dbe&cs=0&sxsrf=AE3TifPVc5ziq_a0zxGU-DQZ6J3AOMvtmg:1758188850108&q=%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3
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私の勘違いだったのか、今日のフィリーズ第3戦の先発は山本由伸投手のことが大好きなスネル投手だった。(笑)7回を無失点で抑える好投を見せてくれた。フリーマンのHRもあって、打線の援護も万全。8回には、大谷選手の51号も飛び出して、5-0の勝利だった。最後の抑えのスコット投手もなんとか無事に抑えて自信を回復できたようだ。

ところで、いろいろYouTubeを見ていると、フィリーズには大谷選手と関係の深い選手も多い。マーシュ選手(本日の画像参照)は、エンゼルス時代の元同僚というか弟分的な存在。大谷選手のアドバイスを受けて成長した選手で、第2戦では、兄貴分の大谷投手が無失点で降板後、ブルペン陣から逆転3ランを打った。顎髭が凄い。(笑)主軸のハーパー選手は、大谷選手が尊敬するスーパースター。オールスターゲームでは懇意にしている様子が報道されている。そして、現在ホームラン王争いをしているシュワーパー選手。彼とは、互いに尊敬しあっており、今日の試合後も会話しているようだ。

フィリーズのホームは、フィラデルフィア。ギリシア語の「兄弟愛」を名に冠する都市である。またポストシーズンで対戦するだろうが、なんか、いい話である。

2025年9月17日水曜日

野球は退屈ではない

https://news.yahoo.co.jp/articles/793a651144a76d8d7fc25c4c873f8e53f8041f5a
フィリーズと3連戦のうち2試合が終わった。まさにノーヒットノーランと勝利を一気に逃した時の山本由伸投手が、インタヴューで着ていたTシャツ「野球は退屈ではない」というような試合だった。

昨日は、延長戦となって最後は満塁にしながら点を取れず敗退。今日は大谷投手が5回を無得点で抑えて、キケのホームランも出て勝てると思っていたのだが、大谷選手からブルペン投手に代わったとたんに逆転された。しかしその後、チームを鼓舞する50号HR。これで、今年は去年とはまた違う50-50(HRと奪三振数)を達成した。盗塁数と奪三振数どちらが凄いかというのは愚問、大谷投手にしかできない50-50である。凄い記録だ。しかし、結局8回裏に同点に追いついたものの9回に得点され、2連敗になってしまった。この2試合まさに紙一重の戦いであった。…「野球は退屈ではない」

明日は、山本由伸投手が先発するという。このところ、彼の先発試合は凄い投球をしつつも援護がない。なんとしても、この負の「野球は退屈ではない」を払拭してほしいものだ。

2025年9月16日火曜日

アンチクリストの現代語訳 5

https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Antoine-Calbet/1440410/
ニーチェの『アンチクリスト』の現代語訳『キリスト教は邪宗です!』(講談社+a文庫/適菜収訳)の書評第5回目。帰宅時についに読破したので、最終回のエントリー。興味深い記述をいくつか挙げておきたい。

ニーチェは、新約聖書の中で唯一評価しているのは、ローマ総督のポンテオ・ピラト。彼は「真理」という言葉が間違って使用されているを見て、「真理とは何か」と言っている。ニーチェは、新約聖書の中でただ一つ価値を持つ言葉だといい、この言葉こそ新約聖書に対する批判だとしている。調べてみると、ヨハネの福音書18章37・38あたりのことを指しているようだ。

ドイツ人として、十字軍に参加した貴族の高貴なもの(イスラム教)への攻撃を仕掛けたことに胸が痛むと述べ、偉大な自由精神を持っていたフリードリッヒ2世の「ローマとは自刃を振るって戦え、イスラム教とは平和、友好」と語り実行したことを、賛美している。ドイツ人の場合、よほどの才能と自由精神を持っていないと難しい、とも。

さらに、反キリスト教運動であったルネサンスが、馬鹿なドイツ人によって失われてしまったと嘆いている。それがルターである。当時のローマはキリスト教という病気が克服されていた。法王の座にキリスト教はなく、「生(への意思)」が座していた。ニーチェは、チュザーレ・ボルジア(本日の画像参照)の名を出しているが、傭兵であり枢機卿であった彼のことを調べると当時の混乱がよく分かる。ルターは、法王が堕落していると思ったが、本当は全くの逆であるとニーチェは考えている。もう少しでキリスト教が滅ぶところで、ルターが教会を立て直してしまった。本当にドイツ人はろくなことをしない、と嘆いているのである。

…とにかく、最初から最後まで罵詈雑言の書であった。(笑)とはいえ、学院のシスターや洗礼を受けておられる先生方を見て、ルサンチマンをあまり感じないのも事実である。とんでもないルサンチマン集団が、外交・経済・スポーツ・芸能などであらゆる国際的非難を浴び崩壊寸前であることのほうに、これがルサンチマンの極致か、と強く感じてしまうからかもしれないが…。

2025年9月15日月曜日

ユニコーンとモンスターの1日

https://the-ans.jp/column/464368/
ドジャーズは、SFジャイアンツと3連戦。日本時間14日の試合は、カーショーが早くに打たれて厳しい試合だったが、大谷選手の今シーズン最長距離のバックスクリーン直撃の49号HRで、打線に奮起を促し逆転・大勝した。試合を支配する圧倒的な力を大谷選手は持っている。故にスーパースターであり、さらに100マイルの速球を投げるユニコーンと呼ばれる所以である。15日の試合も、その勢いをかって勝ち越した。MLBの過酷な戦いの中で、これだけ安定的に活躍することは本当に凄い。

さて、同じく14日、名古屋でボクシングの井上尚弥選手が、アフマダリエフ選手と戦い、判定勝ちした。これは、最初からの戦略であったようだが、完璧な試合だった。本人は何度もKOしようと思ったようだが、最後まで判定で勝つという戦略を忠実に守った。ハイライトを見たが、最強の挑戦者といわれるアフマダリエフ選手との実力差を感じた。さすが、モンスターである。

大谷選手は、投手復帰も実現しながら、最近は1番バッターとして、For the teamに徹しているように感じている。無理にHRを狙わず、状況に応じたバッティングをしているように感じている。実際、得点数はダントツだ。

ユニコーンもモンスターも、そういうメンタルが強固だからこそ、日本が誇るスーパースターであるのだろうと強く感じた次第。

教材研究 工業と金融の周縁化考

https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1574570.html
教材研究のエントリーの続きである。グローバリゼーション下では、自由貿易体制の工業は周縁化している。前回のエントリーで示したように、途上国はサプライチェーンに入っているか否かで、経済発展の可能性大きく違う。一方、先進国の中でも、先進的な技術を持つ国が優位である。その例を少しばかり語ろうと思っている。

設計開発能力:IT(半導体などのハード面とOSなどのソフト面)や航空機、自動車などの設計開発能力(開発資金も含む)をもつ国が最も優位。これは、アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリスなどになる。中国は、(かなり穏やかに言うと)リーバース・エンジニアリングを行い他国の開発能力を再現することに長けている。今のアメリカの対中強行経済戦略の原因でもあるわけで、このことも少し話しておこうかと思う。

高度な材質:半導体を例に取ると、必要なシリコン加工には、日本の信越化学(世界シェアが40%)とSUMCO(同20%)といった世界を牽引する企業が存在する。純度が高いので、他の追随を許さないようだ。凄いぞ、JAPANという話。

高度な生産設備:日本企業が作った純度の高いシリコン・ウエハースに回路を露光する装置・設備は、オランダのASMLが圧倒的シェア(95%)を占めている。(本日の画像はASMLからインテルへ装置を貨物航空機で運ぶ様子)昔はNIKONやCANONも参入していたようだが撤退したという。ちなみに、隣国の半導体はおろか、自動車などの機械工業の工作機械はほとんどが日本製で、以前感情的に不買運動を頑張っていたが、工作機械も破棄・不買したらよかったのに、と思う。

高度な部品生産:自動車では、最も生産が難しいのは、トランスミッション装置だそうで、日本企業は、アイシン(シェア20%)を筆頭に多くの企業が生産しており、極めて優秀だそうだ。これも同じく凄いぞ、JAPANという話。

先進的ではないが、どこでも作れるわけではない技術として、機械部品に使われる合金鋼がある。粗鋼ではなく、ニッケルやクロム。モリブデンなどを加えた強度・耐摩耗性・耐熱性が優れた素材で、中国やインド、マレーシアなどで生産されている。このあたりは先進国を中核とすれは、その周囲に広がるサプライチェーン国である。

その周縁に前述のサプライチェーンに入れない国々=経済構造の変化という「梯子」を外された国があるわけだ。

ところで、先進国の強みは工業だけではない。第三次産業で最大の収益を上げる金融のことに触れておかねばならない。ネットで、金融立国のランキングがあったので整理してみた。1位はアメリカ、2位はイギリス、3位はルクセンブルグ、4位はシンガポール、5位はドイツ、6位フランス、7位アイルランド、8位香港、9位スイス、10位はオランダ、11位カナダ、12位日本、13位イタリア、14位ベルギーと続いている。かの政府系ファンドのノルウェーは意外に22位だった。金融センターのランキングは、ニューヨーク、ロンドン、香港、シンガポール、サンフランシスコ、シカゴ、ロサンゼルスの順となっている。

…グローバリゼーションのモノ・カネの話をしたので、最後に人についても語っておきたいと考えている。少子高齢化が進む先進国では、外国人労働者の増加という問題を抱えている。ヨーロッパでは、旧植民地からの流入に始まり、EU統合後、旧社会主義国からの流入、さらにシリア難民などのイスラム教徒が流入したという経過が有る。移民国家アメリカでは、中南米からの不法移民を巡って、民主党と共和党の政治的な問題から分断の危機さえ言われている。

…2024年の移民人口ランキングを見つけたので表にしてみた。1位はアメリカ。2位はドイツで、伝統的にトルコ系が多いが、シリア難民を多く受け入れて苦悩している。3位は、アラブ諸国からの労働者の多いサウジ。4位イギリス、5位フランスと旧植民地からの移民の多い国が続き、6位スペイン、7位カナダ、8位はUAE(サウジと同じアラブ系労働者が多い)、9位オーストラリア、10位は意外でロシア、11位はトルコ(シリア難民が多い)、12位はヨルダン(こちらはパレスチナ人)、14位はこれも意外だがウクライナ、15位はインド、16位はパキスタン、17位はイラン。この辺は良くわからない。(笑)18位はマレーシア(インドネシアやバングラディシュなどイスラム系アジア人が多いのは経験上知っている。)そして19位に日本となっている。少しずつ解説する時間があればいいなと思っている次第。

2025年9月14日日曜日

教材研究 自由貿易と保護貿易考

https://www.senghuat.com.my/brand-pensonic
体育大会関連の5連休の今日は4日目である。とはいえ、ずっと教材研究と中間試験の作成に励んでいる。久しぶりに教材研究のエントリー。資本主義経済の歴史で自由貿易と保護貿易、歴史的考察とグローバリゼーション下の現状を開発経済学の視点から考えてみた。

最初の先進国イギリスは優位性の中で、リカードの比較優位説によって国際分業を提唱する。しかし、フランスはナポレオンの大陸封鎖令で保護貿易化し自国の工業を育成、ドイツもリストの保護貿易説をビスマルクが採用、関税を導入して自国の工業を育成した。また、アメリカでは南部の自由貿易政策、北部は保護貿易政策を唱え、南北戦争の遠因をつくった。日本でも関税自主権の回復が大きな政治課題であった。保護貿易ができないわけで、自国の工業化が進まなかったのである。WWⅠの後の世界恐慌後、英仏はブロック経済、アメリカはニューディール政策、ドイツと日本はファシズム(この米独日はケインズの有効需要を自国内のインフラ整備で行うか軍需で行うかという相違)で、すべて保護貿易化を行った。その結果WWⅡが起こったという反省から、戦後の自由貿易体制(CATT/IMF/IBRD)を生むことになる。さらに、情報通信・交通機関の発達、そして冷戦の終了後、人・モノ・カネが国境を超えるグローバリゼーションへと発展する。

さて、このグローバリゼーションにおいて、コストを最も容易に削減できるのは労働賃金である。そこで安価に抑えられる途上国で生産を行う企業が増えてくる。もちろん、前述の紛争の罠や劣悪なガバナンスの罠に陥っている国は避けられ、きちんと教育を受けた従順な労働力がある国に投資され、技術力によって、サプライチェーン(SCM)に組み込まれることになる。たとえば、日本のメーカーのパソコンでも、ある部品は台湾、ある部品はマレーシアといった具合である。こうした企業の途上国への進出は、企業はコスト面のメリット、途上国に生産・経営等のスキルを学べるというメリットがある。実際に代替産業が生まれる可能性がある。上記画像は、サプライチェーンに組み込まれた国々。輸出品目(額)を確認すると、機械類が多い。インドの石油製品とあるのは、精製を行っていることを意味している。

…マレーシアには、Pensonicという(代替産業の)家電メーカー(画像参照)がある。(笑)私は日本企業と勘違いして、えらく安いなあと思い扇風機を購入したのだが…。また日本企業の協力を受けて国産車メーカーが頑張っている。フィリピンと聞くとバナナを連想するが、マレーシアで、メガネ(日本のMIKIの店舗)を購入した際、フィリピンで私に合ったレンズを作ると言われて驚いたことがある。

ところで、(前述のように)自由貿易体制は、国家間の戦争を防止するという利点があるが、同時に保護貿易可で国内産表を発展させることが難しくなる。投資を受け、スキルを学べる国はいいが、様々な罠に陥って投資を受けられない国には、経済発展への展望が見えない。しかもIMFや世界銀行等は、そういった国々に半ば自由貿易政策(先進国の商品を低関税で輸入させられ、先進国は天然資源やプランテーションの商品作物を低関税で輸入できる)を強制しており、これを受け入れないと融資を受けることができない。すなわち、途上国側から見るとその経済構造を固定化するもので、梯子を外されているのに等しい。開発経済学では、このような状況を「構造的暴力」と呼んでいる。

…最後に、最近のニュースでもあった中国のアンゴラモデル(天然資源を担保に資源開発やインフラ整備を行うが、全てを中国企業と中国人労働者によって賄う方式)の解説と、新植民地主義についても論じるつもりである。

2025年9月13日土曜日

オススメYouTubeチャンネル

このところ、元テレビ東京のディレクターだった下矢氏のYouTubeをよく見ている。TVや新聞、週刊誌などのマスメディアの裏側を小気味よく解説してくれている。下矢氏がホントに優秀な人だと思うのは、「この件については、3つの原因があります。」などと極めて論理的に話すところ。快刀乱麻という感じである。

いろいろと見てきたが、大阪万博の問題点を指摘した回が最も面白かった。https://www.youtube.com/watch?v=CMNzY-DNKIA

マスメディアだけでなく、様々な問題にも触れてくれていて、私のお気に入りに見事に入ってきた。オススメである。あまり詳しく記すると良くないと思うので、是非一見してみて欲しい。

2025年9月12日金曜日

学院の体育大会 2025

実は、今日は学院の体育大会なのであるが、昨年の会場が工事とかで、かなり遠くの会場になった。生徒たちや先生方もも最寄り駅からピストンバス輸送という大変なことになった。周囲の駐車場も万博の影響で高騰しているらしい。保護者のみなさんも大変だ。ということで、管理職の先生方と相談の上、今回は見合わせた次第。

とはいえ、3年生は、男女とも体育祭のメインともいえる女子のメイポールダンス、男子はソーラン節を行うので、かなり以前から体育の時間頑張っていたのを知っている。今週の火曜日の5・6限は総合練習だったので、それぞれの練習風景を見に行った。せめて、練習風景だけでも見届けておきたいと思ったのである。

近くで見て、メイポールダンスが実際に編み込まれていく様がわかった。色取りどりの布を持った女子生徒が複雑な動きをして、ポールに編まれていくのだが、昨年は全体の上品なダンスに目が行っていたので、編み込みという重要な部分を見落としていたのだ。

男子は今年も元気である。普段は目立たない男子が頑張っていて嬉しくなった。成功を祈るばかりである。

アンチクリストの現代語訳 4

https://zh.freepik.com/premium%E5%9C%96%E7%89%87/flag-anarchist-painted-wall_40204293.htm
ニーチェの『アンチクリスト』の現代語訳『キリスト教は邪宗です!』(講談社+a文庫/適菜収訳)の書評第4回目。ニーチェのユダヤ教観とイエスの人物像について。

ニーチェは、ユダヤ教については、このように考えている。そもそもエホバ(=ユダヤ教の神・ヤハウエ)は、民族を守る正義の神だった。しかし、アッシリアに滅ぼされる。他の民族ならここで、この神を捨てるのだが、ユダヤ人は、「神への信仰が足りなかった」と受取る。これは自然界の法則を無視した行いであり、その「道徳」は自然なあり方をゆがめてしまった。よって、(旧約)聖書は、ユダヤ教の宗教指導者が、神に対する罪と罰、祈りと報いといった子供だましのカラクリを使って歴史を改竄した。

…鋭い指摘である。古代の各民族の神は、民族の攻防の中で権威を失うことが普通。ニーチェの言う通りであり、民族の神に固執したユダヤ教の成立については、かなり特殊な事柄だと言える。ユダヤ教の宗教指導者が、ニーチェの言を借りると”猿芝居”とした、神の意志、神の国といった概念を捏造したのが聖書だというわけだ。たしかに旧約聖書は、出自となった文書によって、矛盾した記述(特に創世記)があることも明確である。

さて、ニーチェはイエスをアナーキスト(本日の画像はアナーキズムのシンボル)であるとする。そもそも新約聖書は、イエスを理解できなかった彼の弟子たちによって書かれており、後のキリスト教に都合の良い様に描かれたインチキ本で、読むときは手袋をするくらい嫌いだと書いている。(笑)

本来のイエスは、ユダヤ教に反抗したのではなく、ユダヤ教を支配していたシナゴーグや善なる正しい人・イスラエルの聖者(=神学者)に反抗し、下層民や仲間はずれ、犯罪者をあおって、ユダヤ教が支配する社会を攻撃した人物だという。そして、イエスとキリスト教は関係がない、と断言する。

イエスは、一切の決まり事を認めなかった自由な精神の持った人で、あくまで自分自身に見えていた「光」、精神の問題を純粋に証明したしただけ、人類に残したものは実践、実際に物事を行動に移すことであって、人間を救うたために死んだのではなく、人間はいかに生きるべきかを教えるために死んだと、ニーチェは結論付けている。

…このイエス=アナーキスト説は、かなり説得性があるように思う。高校の倫理では、律法の成就がイエスの功績とされているのだが…。

2025年9月11日木曜日

アンチクリストの現代語訳 3

https://navymule9.sakura.ne.jp/Kant_as_watershed.html
ニーチェの『アンチクリスト』の現代語訳『キリスト教は邪宗です!』(講談社+a文庫/適菜収訳)の書評第3回目。ニーチェのカント批判についてのエントリー。

ニーチェは、カントを危険人物だとしている。悪意に満ちた間違いを2つ犯したという。実際にはありもしない「真の世界」をでっちあげたことと、「世界の本質としての道徳」というわけのわからない考えをでっちあげたことだ、としている。この2つの間違った考えを上手く料理して哲学として完成させてしまい、なかなか反論しがたい仕組みをつくり、キリスト教に支配されていたドイツの学会が大喜びしたと批判している。

…この記述の背景を帰しておくと、『純粋理性批判』において、先天的認識形式を確立した。この認識形式は、対象をまず感性が感覚的質量として認識した後、悟性が経験によって形成されるカテゴリーから当てはめるというもので、経験できないことは認識できないという結論になった。これは、カントが大学で教えていた形而上学(実証できない=経験できない対象についての学問)の終了を意味した。そこで、カントは、道徳の問題は、経験を超えた物自体の世界にあり、道徳形而上学を『実践理性批判』で成立させるのである。(経験を基盤にした道徳は、功利主義的な善=幸福になってしまうからである。)

…ここで、ニーチェの言う「真の世界」というのは物自体の世界のことで、「世界の本質としての道徳」というのは、道徳法則(自分がこれから行おうとしている行為を、世界中の人が同時に行っても良いかどうかを考えて行為せよ。)を中心にした物自体の世界から導かれた実践理性による道徳である。ドイツ観念論は、この後フィヒテの絶対的自我、シェリングの絶対者、さらにヘーゲルの絶対精神へと繋がっていく。

ニーチェは、カントを神学者として成功したと揶揄している。道徳は我々が人生において作り出したもので、自分たちを守るもの、必要なものであるが、それ以外のものではなく「道徳を大切にしよう」という考えは百害あって一利なし。普遍的な道徳・義務・善など、幻想にすぎない。人間はそれぞれ自分の道徳を自分で発見していくのが自然であり、カントの高いところから見下した、抽象的、一般的、義務的な道徳は危険思想だと散々である。自分で勝手に考えて、勝手に確信したことを真理とみなし、カントは、実践理性などと名付けて科学にしてしまおうとした。まさに思い込みに過ぎない。

…「カント以前の哲学はカントに流れ、カント以後の哲学はカントから流れた」と言われるほどの大哲学者であるカントを、ニーチェは見事なまでにボロクソに言っている。実に興味深い記述であった。

2025年9月10日水曜日

アンチクリストの現代語訳 2

ニーチェの『アンチクリスト』の現代語訳『キリスト教は邪宗です!』(講談社+a文庫/適菜収訳)の書評。とにかく、この現代語訳は、辛辣という表現では足りないほどのキリスト教への罵詈雑言がつまった一冊である。カトリックの学校である学院の図書館においてある事自体がホント不思議である。

膨大な付箋をつけながら読んでいるのだが、まずニーチェがキリスト教の問題点を5点にまとめ上げている部分を取り上げておこう。

1:神・霊魂・自我・精神・自由意志などといった、ありもしないものに対して本当に存在するかのような言葉を与えたこと。2:罪・救い・神の恵み・罰・罪の許しなどといった空想的な物語を作ったこと。3:神・精霊・霊魂などありもしないものをでっちあげたこと。4:自然科学をゆがめたこと(彼らの世界観はいつでも人間中心で、自然というものを少しも理解していなかった)。5:悔い改め・良心の呵責・悪魔の誘惑・最後の審判といったお芝居の世界の話を、現実の世界に持ち込んで、心理学をゆがめたこと。

キリスト教の敵は現実である。なぜなら彼らの思い描いている世界と現実はあまりにもかけ離れているからで、現実がつらいから逃げているにすぎない。素直に現実を認めることができなくなってしまった。これが作り物の道徳や宗教の本質である。

ニーチェは、この後、自信を持っている民族は自分たちの神を持っている。神をまつるのは、自分たちの誇りのためであり、自分たちの繁栄の条件や美徳を神に投影する。感謝する相手は自分自身である。有益でもあり有害でもある。味方でもあり敵でもある。悪いことにおいても良いことにおいても神は必要とされる、それが本当の神の姿である、こういう神の持っている一面を捨ててしまって、単に善のみの神にしてしまうことはできないのである、と述べている。

…ニーチェのキリスト教批判、就中、神の存在についての核心部分でもあるのだが、ニーチェは、キリスト教における神の存在を否定しているが、他の宗教の神も一緒に否定しているわけでない。上記の記述を見ると、ニーチェの超有名なアフォリズム「神は死んだ」が出てくる『ツァラトゥストラはかく語りき』を想起できる。(ゾロアスター教の開祖のドイツ語名がツァラトゥストラである。)ゾロアスター教は善神アフラ・マズダと悪神アンラ・マンユの二神教であり、上記の記述と一致するからである。

2025年9月8日月曜日

美学の相違を強く感じた日

https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/photonews/photonews_nsInc_202509070001195-1.html
昨夜、我が日本国の首相が辞意を表明した。参議院選の敗北から50日。今更という感じである。これで、首相とともにあの売国的な外相も消えてくれる。自分の保身のための50日。全く美しくない。

ところで、今朝、大谷選手が、オリオールズの菅野投手から2打席連続でHRを放ち、ベッツ選手も続いた。(これまでも元巨人の菅野選手にはめっぽう強いのだが、HRの分析についてはかなり難しい球だったとレジェンド達が称賛していた。)5連敗を阻止するとともに、昨日の山本由伸投手の無念を晴らそうとする強い意志とチーム のための献身さを感じた。このオリオールズ第1戦で、急遽先発登板したのも、侠気を感じる。

…この美学の違い。少なくとも日本国首相の座にあったヒトには、煩悩の多さゆえにわからないだろう。そんな違いを多くの国民が感じたのではないだろうか。総裁選では、まともな美学をもった人物に出てきてほしい。

2025年9月7日日曜日

山本由伸投手の衝撃的悲劇

このところ、ドジャーズの連敗が続いている。対オリオールズ、第2戦は山本由伸投手が先発したのだが、打撃陣も頑張って3点を取って、ノーヒットノーランを9回の裏ツーアウトまで続けていた。ハムショー氏のラジオ実況を聞いて、ドキドキしていたのだが、最後の最後にホームランを打たれてしまった。ここで、苦笑いで降板。その後、ブルペン陣が打たれ、ドジャーズはまさかまさかのサヨナラ負け。

…とんでもない試合だった。言葉がない。

2025年9月6日土曜日

アンチクリストの現代語訳

不思議な台風だった昨日、学院の図書館でニーチェの『アンチクリス』』の現代語訳を借りてきた。タイトルは『キリスト教は邪宗です!』(講談社+a文庫/適菜収訳)である。このようなタイトルの本が、キリスト教関係の蔵書で溢れている学院の図書館にあったことが不思議なのだが、すでに3人の貸し出しが記録されていた。(笑)

帰路に少し読んだのだが、やはり現代語訳なので読みやすい。詳しい書評は後日エントリーしていきたい。

2025年9月5日金曜日

台風はどこ行ってん?

https://tenki.jp/forecaster/domoto_yukiyo/2025/09/04/35543.html
今回の台風15号で被害を受けられた方には誠に申し訳ないのだが、大阪では「台風はどこ行ってん?」という1日だった。昨日の予報では、昼過ぎに大阪直撃と言われていた。たしかに朝は激しい雨だったが、1時間目の前には雨がやみ、曇り空だったが、昼には厳しい日差しが降り注いだのだった。備えあれば憂いなしで、気象庁の注意喚起の意義は認めるが、なんとも不思議な「台風直撃」だった。

学校現場では、それぞれ警報によって休校措置や帰宅待機などの要項を定めている。昨日の予報では、万が一の事態も想定されていたはずで、遠方からの通学の生徒もいるし、JRなどは実に脆弱である。心配の種が尽きない1日であったが、フツーに授業を消化できた。まあ、ありがたいことではあるのだが…。

2025年9月4日木曜日

竹田青嗣氏の陽水文芸批評

「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)の書評第15 回目というか、最終のオマケ的エントリー。最後の方で竹田青嗣氏が井上陽水の文芸評論を書いていたことが判明したので、井上陽水について、である。

上記画像の『陽水の快楽』だが、当然私は読んでいない。この本のレビューを見てみたが、かなり哲学的な内容であるようだ。「拓郎・陽水・かぐや姫」の世代として、竹田氏が拓郎ではなく、またかぐや姫ではなく、陽水を好み、文芸批評として選んだことは十分に理解できる。

昔々、商業高校勤務時代にサッカー部の指導をしていただいたM先生が、陽水の「傘がない」を題材として国語の授業をしておられたのを思い出す。竹田氏はこの「傘がない」については、五行くらいしか書いていないらしい。陽水の初期のプロテストソング的な名曲であると思うのだが…。

陽水には名曲が実に多い。私の陽水・ベスト1は、「ワカンナイ」である。これは、沢木耕太郎のエッセイ『バーボンストリート』に出てくる。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩の内容を陽水が沢木耕太郎に電話で聞くところから始まる。詩の内容を伝えた沢木だったが、これが歌になったのが「ワカンナイ」である。下記URLで聞いてみて欲しい。

https://www.youtube.com/watch?v=i1VF5AU3yYg

宮沢賢治を揶揄しているような歌詞ではあるのだが、私は2番にある「南に貧しい子供がいる」(南という語彙で途上国を表現している)「東に病気の大人が泣く」(当時の東は社会主義圏である。)の表現に震えた。そして「今すぐそこまで行って夢を与え、未来の事なら何も心配するなと言えそうかい?」と続く。シュール(超現実主義)なようで、全くシュールではない。

この「ワカンナイ」について、ネット上で解説しているページ(前編と後編)があって一読してみた。

https://note.com/vast_moose217/n/n17eb46155356

https://note.com/vast_moose217/n/ne3e101cc44e4

ここでは、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が、彼の死後全く異なる方向に受け取られてしまったという論が展開されている。陽水も、時代の違いを踏まえながら、その悲哀を歌っているのではないかというわけだ。なかなか興味深い考察である。

私自身は、ふと幼い頃に見た「エデンの東」のシーンを想起した。真面目で慎み深い弟が自暴自棄になってWWⅠの兵役につき、兵員輸送列車の窓ガラスを頭で割るシーンだ。幼くて、この映画の主題となっているカイン・コンプレックスなど知らない私だったが、悪である主役のジェームス・ディーンではなく、なぜ善である弟がこういう目に会うのか、という理不尽さだけを強く感じたのだった。

宮沢賢治の人生は、生前は決して恵まれ、喝采を浴びるようなものではなかった。善の人でありながら…。陽水は、この歌の中で、その善の人を揶揄しているわけではない。その善をハイデガー的に表現すれば、不特定多数の「ひと」にわかってもらえない故の悲哀を、「ひと」には「ワカンナイ」とあえてカタカナで表現しているように思うのである。

2025年9月3日水曜日

時間がない でも合格したーい

JRのドアの広告で、以前から気になっているものがあった。個別指導塾✕某予備校の広告なのだが、「時間がない!でも合格したーい!」と女子高生がハンドメガホンで叫んでいるものである。

受験生と接することが日常である私にとって、この「時間がない」という感覚はよくわかるし、実に効果的なキャッチコピーと、それにマッチしたイラストで実に俊逸だと思っている。イラストもほどよく、ジプリ的で昭和のオジサンにも違和感がない。(笑)

ところで、受験に関するYouTubeチャンネルは、できるだけチェックしている。関西圏では特に、生徒数の減少で指定校推薦や総合型選抜・自己推薦型入試、さらには年内の学力試験で私大は囲い込みを大いに図っている。来年の国公立などの難関校一般入試を受験する方が少数派になってしまった。今や、様々な入試方法があり、ある意味、受験生も迷うところだろう。

今週も、地理の課題(HDIやアフリカの地誌)をやってもらっている間、多くの生徒と進路について雑談をしていた。関関同立よりも、近大の人気が著しく高くなっている。オープンキャンパスや各学部の教育内容がいいという声が多い。今年もまた、生徒諸君からの要望があれば、社会科学的な部分のフォローをする予定でいる。

2025年9月2日火曜日

教材研究 産業別人口から Ⅱ

https://garden-index.com/botsuwana/
経済発展は、産業別人口の変化を促す。第1次産業から、第2次・第3次産業へと移り変わっていく。古くは、イギリスのエンクロージャー。農園を追われた人々は自由な賃金労働者となって、都市の工場へち吸引された。日本でも高度経済成長期に、農村から都市(工場)へという人口流出が起こっている。これは、農業技術の進歩や農業の利益が低い故の貧困が理由であるといえる。

都市に移り住んだ工場労働者は、その賃金で様々な財・サービスを消費する。(前述の竹田・苫野氏の指摘する「普遍消費」である。)ここから第3次産業が発展するわけである。これが、一般的な法則性で、先進国や中進国では、同様の動きが起こった。

ただ、アフリカ諸国では、農業技術が進んでいない関係で、農業の労働人口が過剰になることも多い。そこで、青年層を中心に血縁や地縁を頼り都市に出る場合が多くある。ここでも「情の経済」が有効に働く。ただ、劣悪なガバナンスのもと、先進国からの投資はあまり行われていないこともあって、彼らを吸収する工場の雇用は少ない。そこで、インフォーマル・セクター(正規の経済活動ではない仕事)につくことになる。タンザニアのマチンガ(路上で先進国から放出された古着を売る人々)が有名だが、ケニアでは、売り物にならなくなった花をまとめ、交差点で停車した女性に売る正装した男性を見たし、ジンバブエでもタバコを1本売りする少年、ブルキナでもマルシェ(市場)で、注文を受けて買ってくるのが仕事という人々にも出会った。これらは間違いなくインフォーマルセクターだと思うが、路上の商店など、どこまでがフォーマルで、どこからがインフォーマルなのか判別がつかない状況があった。

ところで、最貧国の内陸国、ブルキナファソには、コカコーラの工場があった。商品が重いので、他国から輸送するより国内に設置した方が効率的だという理由だと思うが、これは装置工業ゆえに雇用が少ない。産油国の中には、石油精製工場を持っているところもあるが、これも装置工業。輸入代替工業は、中国の安価な中国製品の進出を受けて発展していない国がほとんどである。アフリカの第2次産業化への移行はなかなか進んでいないのが現状である。面白いのは、モーリシャス。雇用が多く必要な縫製業が盛んで、GNIを押上ている。ボツワナでは、ダイヤモンドの生産から、研磨(画像参照)へ、さらにはデ・ビアズ社と合弁で首都ハボロネで国際取引市場を形成している。第2次産業から第3次産業まで一環して利益を挙げているわけだ。しかも内陸国ではあるが、ダイヤモンドは高価でしかも小さい故に、航空機輸送で輸出できている。

…ところで、東南アジアの中進国などでは、先進国からの投資を受け、輸出加工型工業が発展している。自由貿易と保護貿易の葛藤や比較優位説などの歴史を踏まえて、「グローバリゼーション」と、地理分野として今や無視できない「サプライチェーン」に話を進めていこうと、今考えているところである。

2025年9月1日月曜日

教材研究 産業別人口から Ⅰ

地理総合の教材研究は、近代国家論の資本主義に入っていく。どこから入るか大分悩んだのだが、産業別人口から考えていくことにした。

まずは、缶コーヒーの価格が120円であるとすると、コーヒー豆(第1次産業)は15円、缶代と缶の加工費(第2次産業)が25円、販売(第3次産業)が80円になる。それぞれ、労働賃金とコストと利益が含まれているのだが、コストについては、あえて細かく説明したい。高校生にとってこういう現実的なコスト(例えば、缶の原料費のコスト:鉄やアルミの採掘費用+精錬費用+輸送費+それぞれの労働賃金になる。)は、イメージしにくいからである。

このコーヒー缶の例で、利益は、第1次産業<第2次産業<第3次産業となる。第3次産業のなかでも金融業が最も利益率が高いのだが、これは後に説明するつもり。

次に、産業別人口比とHDIの順位を比較してみる。二宮書店のデータブック・オブ ザ ワールド(画像参照)から、15カ国をピックアップしてみた。第1次産業の人口比が低い順に表にしてみた。第1次産業人口比における先進国(低い)と途上国(高い)の差は歴然である。また特記事項として、農業従事者1人あたりの耕地面積(データブックの各国別データから引用)なども追加した。

第一次産業は農林水産業であるが、多くの国はその中でも農業の比率が高いと考えられるので、農業における土地生産性と労働生産性(これは地理のカテゴリーである。)について、少し深く見ていくことにした。①土地生産性が低く、労働生産性が高いアメリカやオーストラリアなどの(地理の専門用語で言うと)商業的穀物農業。②土地生産性も労働生産性も低い途上国の天水耕作の影響を大きく受ける(これも地理の専門用語で言うと)自給的穀物農業。③土地生産性が高く、労働生産性が低い(=安価で雇用)、途上国のプランテーション。この安価で雇用されていることについては、フェアトレードにも触れることにした。④土地生産性も労働生産性も高い園芸農業。農業従事者1人あたりの耕地面積が狭い日本やオランダだけでなく、途上国でも見られる。

…地理総合というフィールドで、資本主義を語ろうとした場合、意外にこの産業別人口比から見ることは有効だと思う。次回は、第1次産業から第2次産業・第3次産業へと労働人口が移動していく資本主義の発展の法則に繋げたい。…つづく。