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ニーチェは、ユダヤ教については、このように考えている。そもそもエホバ(=ユダヤ教の神・ヤハウエ)は、民族を守る正義の神だった。しかし、アッシリアに滅ぼされる。他の民族ならここで、この神を捨てるのだが、ユダヤ人は、「神への信仰が足りなかった」と受取る。これは自然界の法則を無視した行いであり、その「道徳」は自然なあり方をゆがめてしまった。よって、(旧約)聖書は、ユダヤ教の宗教指導者が、神に対する罪と罰、祈りと報いといった子供だましのカラクリを使って歴史を改竄した。
…鋭い指摘である。古代の各民族の神は、民族の攻防の中で権威を失うことが普通。ニーチェの言う通りであり、民族の神に固執したユダヤ教の成立については、かなり特殊な事柄だと言える。ユダヤ教の宗教指導者が、ニーチェの言を借りると”猿芝居”とした、神の意志、神の国といった概念を捏造したのが聖書だというわけだ。たしかに旧約聖書は、出自となった文書によって、矛盾した記述(特に創世記)があることも明確である。
さて、ニーチェはイエスをアナーキスト(本日の画像はアナーキズムのシンボル)であるとする。そもそも新約聖書は、イエスを理解できなかった彼の弟子たちによって書かれており、後のキリスト教に都合の良い様に描かれたインチキ本で、読むときは手袋をするくらい嫌いだと書いている。(笑)
本来のイエスは、ユダヤ教に反抗したのではなく、ユダヤ教を支配していたシナゴーグや善なる正しい人・イスラエルの聖者(=神学者)に反抗し、下層民や仲間はずれ、犯罪者をあおって、ユダヤ教が支配する社会を攻撃した人物だという。そして、イエスとキリスト教は関係がない、と断言する。
イエスは、一切の決まり事を認めなかった自由な精神の持った人で、あくまで自分自身に見えていた「光」、精神の問題を純粋に証明したしただけ、人類に残したものは実践、実際に物事を行動に移すことであって、人間を救うたために死んだのではなく、人間はいかに生きるべきかを教えるために死んだと、ニーチェは結論付けている。
…このイエス=アナーキスト説は、かなり説得性があるように思う。高校の倫理では、律法の成就がイエスの功績とされているのだが…。
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