2024年9月27日金曜日

哲学史入門Ⅲを通読する

併読は私の常である。先日、「哲学史入門Ⅲ」(斎藤哲也編/NMH出版新書)を購入して、2日間でかなり読み進んだ。この新書は、現象学、分析哲学から現代思想について、専門の先生方にインタヴューした内容が中心である。高校の倫理では、現象学と分析哲学は、かなり重要でありながらも高校生には難解に過ぎるのでお茶を濁しているといってよい。良い資料集でもかなり”上澄み”という観がある。現象学抜きで現代思想は語れないし、現在、英米の哲学の中心は分析哲学になっている。いつまでもそれではいけないと私などは考えている。少なくとも、それ以前の西洋哲学同様、様々な逸話や例を引いて説明できるようになりたい、というわけだ。アフリカ哲学全史も超重要だと思うが、今回併読しているのはそういう理由である。

で、意外なのだが、まず通読していて面白いと感じたのは、現象学や分析哲学ではなく、第3章のフランクフルト学派の哲学である。共通テストでもよく出題されるので、それなりの蓄積があるだが、第一世代で有名なホルクハイマーやアドルノに比べて、資料集でも、ちょこっとしか書かれてない、同じ第一世代のベンヤミンの話なのである。彼は1921年の「宗教としての資本主義」を発表、資本主義の宗教的な構造の特徴を3つ挙げている。

第1:資本主義はひとつの純粋な礼拝宗教で、最も極端である。一切のものが直接的に礼拝と関わることによってのみ意味を持つ。第2:資本主義は、毎日が礼拝である。第3:この礼拝は人々に罪を負わせる。

またこの発想のもと、晩年「パサージュ論」を書いているが、19世紀の首都としてパリを論じ、「地獄の首都」と称している。WWⅠで資本主義は大量の死者を生み出したが、19世紀の首都パリが将来的な地獄へとつながっているとイメージされている。万国博覧会が開催され、ガラスの天井と鉄骨と大理石でつくられたアーケード(=パサージュ)が最先端の遊歩街となり、ショーウィンドゥにはそれまで奥にしまい込まれていた商品が、きらびやかに陳列され、人々の欲望を喚起するような場所が生まれた。美が商品につかえる、この場所こそ、資本主義の礼拝所となったという話である。…なかなか面白い発想と表現ではないか。

この背景には、当然マルクス主義がある。WWⅠ直後、社会主義が高揚しつつも、ヨーロッパでは結局成功しなかった。フランクフルト学派の本拠・社会研究所は、社会主義に傾倒していた資産家の息子が、1923年に親父に金を出させて創設したもので、そもそもが、プロレタリアートが革命主体となりえなかったのはなぜか?階級対立を押し留めた心理的メカニズムはどのように成立したか?などが研究課題だったのである。

…フランクフルト学派は、対ナチスという文脈で語られることが多く、なるほど、と納得したのであった。

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