2024年9月19日木曜日

ヒュームの人種主義 考

アフリカの哲学者や人権概念の研究者にとりわけ評判が悪いのは、同じくイギリス経験論のデヴィッド・ヒュームである。1748年の「民族の性質につて」はかなり黒人への偏見に満ちていて読むに耐えないのだが、少しだけ引用しておこう。

「白人以外の顔つきの文明的な国民はけっしていなかったし、活動や思索のいずれにおいても著名な個人さえいなかった。彼らの間には精巧な製造業は見られないし、芸術も学問もない。」「黒人奴隷はヨーロッパ中に追い散らされているが、彼らのなんらかの才能のきざしさえ発見されていない。」

ヒュームは、観念が二種類の仕方で結合することにより知識が成立するとした。その一つが自然的関係であり、もう一つは哲学的関係である。彼によれば、後者は高度な知識の源泉であるが、劣った人種はそれを持ち得ないとした。彼は、特に黒人に対し差別的で、黒人が受け身の心的能力しかなく、動物に近いことを示そうとした。

多くの哲学者や聖職者、詩人などから批判されたが、彼の人種主義は変更されることはなかった。哲学的に深刻なのは、ヒュームの考えは、社会的・政治的な悪条件が集団に与える影響を無視して、集団の性格の原因を一般化してしまう点である。ヒュームは黒人奴隷の共通の性格を、政治的立場を持たない奴隷としての市民的地位から説明しようとせず、人種的なステレオタイプから一般化することに終始した。これが明確な植民地主義の証であり、かなり影響力のあった哲学者がそれほど多くない言及とはいえ、黒人差別に固執したことは、その時代の植民地主義者・人種差別主義者にお墨付きを与えてしまったことは事実であろう。

…倫理の教科書では「懐疑論」でイギリス経験論を牽引し、カントに大きな影響を与えたヒュームであるのだが、ロック以上にイメージが悪くなった。そういう時代とはいえ、独善的で傲慢なスタンスである。日本人、いや東洋人の1人として、「白人以外の顔つきの文明的な国民はけっしていなかったし、活動や思索のいずれにおいても著名な個人さえいなかった。彼らの間には精巧な製造業は見られないし、芸術も学問もない。」と言い切る根拠はどこにあるのだろう、と思ってしまう。現在のような情報社会でなはい時代とはいえ、結局のところ「経験論による認識の限界」を見たような気がしたのであった。

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