2024年9月17日火曜日

アフリカ植民地化史ー1

「アフリカ哲学全史」(河野哲也著/ちくま新書)には、アフリカの現代哲学の最大のテーマは、植民地主義に関する事象についてであるとして、植民地化の歴史が記されている。詳細な記述には大変意義があると思うので今日は、この内容をエントリー。

近世において植民地主義は、スペインとポルトガルによって開始された。アメリカ大陸に進出したスペインは、対抗する強力な敵がおらず比較的容易に攻略したし、天然痘などの伝染病に抵抗力をもたなかったインディオは瞬く間に激減した。よれゆえに、農業用の奴隷が必要となる。一方、アフリカやアジアに進出したポルトガルは、内陸部に強力に武装した国家や帝国が存在し、海岸部に城塞都市を作って維持するのに精一杯であった。

ポルトガルは、海岸部の交易で、金、胡椒、象牙、奴隷を得るのに安価なヨーロッパ製品と交換していたが、やがてオランダやイギリスとの競争に敗れていく。アメリカ大陸の奴隷需要が高まると、ヨーロッパの最大関心事は奴隷の供給に変わる。カリブ海諸島では、フランス・オランダ・イギリス・スペイン・デンマークが植民地を築き、ポルトガルはブラジルに入植型の植民地を築いた。いわゆる三角貿易でアフリカから奴隷が供給されていくのだが、アフリカ大陸において奴隷売買は、ヨーロッパの参入以前から存在しており、犯罪者や戦争捕虜が奴隷化されていた。外国へ売買されたのは主にアラブ諸国であった。しかしヨーロッパの参入は16世紀から急増し、18世紀には7433000人の奴隷売買が行われた。

西アフリカでは、強い部族が内陸に王国や帝国をつくり、弱小の部族を大西洋岸に追い落とす傾向があった。その弱小部族がヨーロッパ人に買収され、奴隷貿易に関わり、他部族との戦争や好戦的な部族に依頼したりした。18世紀には奴隷貿易に利害を持たない部族はほとんどなく、小さな集団は、西に移動しようが、東に移動しようが、奴隷狩りから身を守ることはできなかったのである。

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