2023年5月10日水曜日

法人概念はムスリム最大の敵

https://yaf.ps/page-1245-en.html
「おどろきのウクライナ」(橋爪大三郎+大澤真幸)では、イスラム教国では法人の概念がないので民主主義が成立しないという話が出ていた。中田氏と内田氏の「一神教と国家」の対話でも、この「法人」について語られている。実に興味深いので、またまたイスラム教関連のエントリー。

まず内田氏がイスラム国家に独裁政権が多いことに言及。それに対し、中田氏は反対派を全粛清するからとあっけらかんと回答。内田氏は巨視的に見れば独裁制は労多くして実りが少ないと食い下がる。ここで、アラブ世界で独裁制が起こりがちな原因を、もともと部族主義で族長という大きな存在が、(オスマン帝国崩壊後)カリフ制が崩れ、国民国家の成立時点で、西欧的な国民国家の概念と結びついてしまった最悪な政体だからとしている。トップにいるのが個人であれば、いかにワンマンでも大した力はもちえないのだが、国家は法人であり、機関で全然レベルが違う。全てを牛耳る強大な権力になって危ない独裁体制が出現する。トップが個人か法人かでは、とてつもない落差があることを彼らはわかっていない。国家とはスルタン、カリフのようなものだろうと思っている。その根底には、神がお決めになった法に依って成り立っているのであり、人間の支配などどうでもいいと考えている面もあって、イスラムにとって法人概念が最大の敵、最大の偶像だと思っていると述べる。

中田氏の持論である、カリフ制復興を全体主義の国になると言う人がいるけれど、全く逆で、カリフ制のリーダーは個人であり、法人ではない。逆に法人概念がなくなるので、保険とか保障もなくなり、教育も個人になり、基本的に税金も取れなくなるので大規模なプロジェクトもなくなる。全体主義にはならない。大きな政府はなくなる。イスラムには相互扶助の文化があり、それに支えられた共同体がるので政府がなくてもカリフがいればやっていける。

内田氏から、部族主義と族長について再度質問。これに対し、平たく言えば、族長のところに部族の全ての資源を集中して、族長がみんなに再配分するカタチ。ドカンと集めてパッパと分配する気前の良い族長ほど良い。これは、イスラム共同体の、というより遊牧民の文化である。遊牧民の場合、共有財産(家畜など)が大きいので、そうなるのだけれど、リーダーの独壇場になるわけではない。彼らは一人では生きられない、群れから離れられない。共存しなければならないので、いやでも反対者も多数派に従わざるを得ない。この遊牧民の民主主義は、判断を誤ったら死ぬので絶対間違ってはいけない民主主義である。ところで、族長は大きな権力を持っていて、資源を集めることが汚職のように見えるけれど、それによってリーダーとしての権威が保たれるもの(=拡張主義。独裁ではない。)で、卑怯でも特権でもない。ところが近代国民国家の概念と悪く結びつくこととなりおかしく変容してしまったという側面がある。西欧では、絶対主義を倒して国家という法人が現れた。国家はどの国王より強固なシステムを持った機関である。西欧はその危険性や問題点がわかっているので解毒剤として人権思想とか(西欧の)民主主義(三権分立など)を用意した。しかし、イスラムはそれがないところに国家という外枠だけがいきなり入ってきた。それがもともとの族長の拡張主義と合体してとんでもないこのになってしまったのである。

補足として、中田氏は、遊牧民社会では判断を謝ると死んでしまうのでいろいろな場面で軍隊的な厳しさが加わる。即断即決で切り抜けなければならない。スピードも求められるし、皆に信頼されている強いリーダーが求められると述べている。ここが農耕文化の日本などとの相違である。

内田氏は、中田氏の論を受けて、PLOのアラファト議長(画像参照)が死んだ時、スイス銀行の個人口座に$3億とも$42億とも言われる資産が残っていたことについて、彼の感覚でいえば」PLOは法人ではなく部族集団であり、自分が族長なのでPLOの資金を全部いったん集め、適切に分配すると思っていたのだと思う。即自即決、上意下達、闘う組織の原理としては極めて合理的と評した。

…さて、私はこの中田氏の論は正しい、と考えている。法人概念はイスラム最大の敵であり、最大の偶像崇拝だというのは、遊牧民文化、族長の概念、西欧との差異などから、極めて合理的に導かれた論理である。さすが日本最高のイスラム法学者である。では、日本を代表する、橋爪・大澤両社会学者の結論とのマッチングは、どう考えれば良いのだろうか。中田氏は、この本の中では「イスラム教には法人の概念がない。」とはっきりとは言っていない。だが、再読していただければわかるが、日本の知識人の一人である中田氏は、法人の概念を理解したうえで対談でこの語彙を使っているが、アラブの指導者たちが理解していないことを嘆いているように私は読み取った。(=下線部)

…したがって、「イスラム教に法人の概念はない」というテーゼは、中田氏の説である程度裏付けされたと思う。このテーゼを文字どうりに受け止めた場合、もし法人の概念が、クルアーンやハディースににあれば、指導者もまたムスリムである故に、内田氏が指摘するような酷い独裁政体のイスラム国家は現れないと思われるからだ。また、最後の内田氏のPLOのアラファト氏の遺産の件のように、われわれの視点は欧米的視点に慣らされており、独裁と決めつけているのかもしれない。ならば「イスラム教に法人の概念はない」というテーゼは、「イスラムを欧米的な民主主義の視点で評価すること自体がおかしい。」ともいえるかもしれない。だが、中田氏の指摘するように「イスラムの指導者は法人という概念を知らないがゆえに誤っている。」というのが、真意のように私は思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿