2023年5月26日金曜日

イギリスの貴族院のこと

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いよいよ「日本人のための憲法言論」(小室直樹)の内容についてエントリーしようと思う。「公共」の授業で、政治分野を面白くするために読んだと言っても良いのだが、なかなか過激な論調なので使える部分を中心にまとめたい。だいぶ熟慮したうえで、イギリスの政治制度、アメリカの政治制度、そして日本の政治制度を対比しながら、日本国憲法に踏み込んでいきたいと考えている。

まずは、イギリスの政治制度なのだが、そもそも議会が成立したのは、中世から近世にかけて、国王と貴族階級のパワーバランスが問題になっている。当然ながら、中世の封建制度下、貴族と契約を結んでいた国王は立場が弱かった。税の問題や傭兵の問題など貴族の協力無しには成り立たない故に、貴族を集め一気に交渉したいという思惑から議会が生まれた。貴族側は伝統的な慣習を国王に守らせるためにこれに答えたわけで、民主主義といえば議会という現在のテーゼは成立しない。もちろん、議会は貴族院である。上院という名よりもイギリスは貴族院といったほうが、はるかに正しい。やがて、庶民院が「模範議会」という名で世界史に名を刻んでいくが、これも庶民=一般大衆ではない。ジェントリーやヨーマンといった準々貴族・準々々貴族の議会で、全人口の1%にも満たない代表である。

ヘンリー7世くらいから、貴族階級への対抗措置として、彼らを優遇し始めるのである。ヘンリー8世の宗教改革では、彼らを味方につけ国王至上法を成立させた。ただ、この後、議会の影響力は強まり、国王は議会と折り合いをつけていく必要が生まれた。かのエリザベス1世は見事に議会に自分の意思を代弁させ、スペインに勝ったわけだ。しかし、その後のスコットランドから来た国王連中は、そのへんが未熟でヨーマンのクロムウェルに討たれることになる。ピューリタン革命から名誉革命に至る混乱後、現在の君臨すれど統治せずの原則が確立されたわけだ。

現代の貴族院は、だいぶ様相が変わっている。当然ながら庶民院の方に優越がある。また世襲貴族の議員数は制限されているし、社会に貢献した一代貴族=男爵が中心になっているので、単純小選挙区制で、ともすれば一時的な世論に流されがちな庶民院への補完機能を保っていると最近は言われている。

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…イギリスの貴族院の成り立ちは、極めて現実的で非民主主義的なものであるが、名誉革命以後は、ローマの元老院を彷彿とさせる。ローマの元老院における貴族は、高い専門性と誇りを持っていたエリートである。もちろん長いローマ共和政治のなかで紆余曲折はあるものの、民会との関わりの中で、人類史上の様々な政治的実験を繰り返してきた。ローマに学ぶことは多い。この辺の人類の財産とも言うべき経験値が、イギリスでは一代貴族中心の貴族院に蓄積されているかのようだ。(そこまで専門性はないので、あくまでもイメージではあるのだが…。)

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