2023年5月6日土曜日

イスラム教と国家 考 2

https://polandballes.miraheze
.org/wiki/Arabia_Sauditaball
「一神教と国家」(中田考・内田樹/集英社新書)の備忘録として続けてエントリー。中田氏の言から。イスラム圏では、本来世俗と宗教を分けない。人間が生きる上で行う殆どすべての営為に神の判断を借りる文化である。それでも今は西欧的な価値観に右へならえして、かなり世俗的になりつつある。トルコのような国からイランのように厳格な国まで強弱はあるが進んでいる。…近代の領域国民国家は、西欧の世界支配システムなので、西欧が国家承認さえすれば、存在することが住民に厄災をもたらそうが、独立主権国家として存在してしまう。しかし本来は、ある地域の人々が、独立の国家を作ることに意味があるとすれば、少なくとも2つの条件を満たす必要がある。1つは、その国の内部に1つの国家として束ねられているだけの顕著な同一性があること、もう1つは、その国家と外の国家の間に境界が必要なほどの異他性があるということ。その点から言うと、イスラムの国家はあまり独立している意味がない。…宗教儀礼に用いる言語はすべて同じアラビア語。食文化や住文化と言った違いはあっても、ムスリムであれば度の国に行っても、一緒に祈ることができる。モスクに行けば16億の同胞とそのまま繋がれる。宗派の違いによって細かいことはあるが、大枠で一体である。

…中田氏は、最もイスラムの価値観に厳格なのは、ここでイランだとしているのが面白い。ワッハーブ派のサウジではないのだった。そういう視点から、今回アメリカ離れを起こしているサウジが、シーア派とはいえアメリカより遥かに価値観を共有できるイランと国交回復し、イスラムの大義から、イスラエルとの戦争を回避させようとしているように見えてくるのであった。

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