2020年10月13日火曜日

左翼的「美学」考

http://bund.jp/?p=23892

私は昭和33年(1958年)生まれである。私たちはシラケ世代と呼ばれ、紛無派(紛争を知らない)世代である。私たちより年齢が上の人々は、紛争(大学紛争だけでなく、高校でも紛争があった。)、反体制運動にに青春をかけていた。岡林信康のプロテストソングを歌い、高石ともやの受験生ブルースを歌っていた世代だ。

70年安保は、私が中学生になった年である。TVで東大の安田講堂の攻防戦を見ていた。日本の若者のほとんどが、左翼的思考を是としていた。マルクスを読んだかどうかは別として、「反体制」は当然のスタンスであった。「革命」という語彙には力があった。しかし、1972年、あさま山荘事件が連合赤軍によって起こされた。紛無派の私には70年安保に敗北した極左が最後の悪あがきをしていたような感覚があった。どう見ても、この事件は犯罪であって、革命行動ではなかったからだ。

今の若者はあまり知らないが、左翼は、日本共産党(以後本部所在地名で「代々木」と呼記す。)が、その中心にあった。1955年の六全共で代々木は、毛沢東主義的(つまり農村から都市を開放する)な武装闘争を否定した。これに反発したのが、「反帝反スタ」(反帝国主義、反スターリン主義)の新左翼である。反帝国主義とは、アンチ・アメリカ帝国主義=日本帝国主義のこと。反スタとはアンチ・スターリン主義(ソ連型社会主義ならびに、長くコミンテルンの支配下にあった「代々木」の武装闘争放棄)を意味する。大学時代、新左翼は「代々木」の下部組織である民青を目の敵にしていた。立命館大学でわだつみの像が再建されたとき、関係のないうちの大学の構内で、民青が新左翼に角材でどつかれていたのを私は目撃したこともある。新左翼は、トロ(トロツキー主義者だ)と、下宿が同じだった秋田出身の民青の友人・Iが吐き捨てるように言っていたのを思い出す。私は左翼ではなかったし、民青にも新左翼にも距離を置いていた。だが、朝日ジャーナルを愛読し、本多勝一を愛読する人間であった。三里塚成田闘争に新左翼の学生が行っていたのもなんとなく支持していた。(カンパはしなかったけど…。)

教師になって、年上のいろいろな左翼の先生を見てきた。社会科教師である私は、ことさら中道であろうと心掛けてきた。だが、第三者から見れば、リベラル(どちらかといえば左翼的)であっただろう。だが社会教師の中でも「代々木」べったりで政治活動を行い、意に反する私などにいやがらせを加えてきた(陰湿で、非常にスターリン的だった)教師もいたし、政治経済のプリントを見て私が驚くほど左翼的なもので、授業ではぶつぶつと政権批判を繰り返す組合の分会長の教師もいた。反対に、元ブント(共産主義者同盟)の先生もいた。ウタハタ(業界用語で国歌・国旗のこと)問題の時は、大変だった。学校長に対して、日ごろとは全く違う団交スタイルで、敵対していて、思わず私は引いたのだった。

こうして過去を振り返ってみると、私より上の年代は、左翼的「美学」を信奉しているように思える。私より下で4年も違えば、そういうものは驚くほどない。なぜ、「美学」か?彼らは社会主義革命に幻滅しているはずだし、いまだ希望をもっているとすればまさに洞窟のイドラにこもっているとしか言えないからだ。社会主義の故郷・ソ連は崩壊し、中国共産党はあのざまである。まともに見えるのはキューバくらいか。そのキューバだって、一時アメリカとの国交回復を歓迎していた。日本で社会主義革命が起こるとは思えないし、今でも十分社会主義的な政策も行っている。

私の大学時代は、マル経(マルクス経済学)が主流で、「代々木」と「新左翼」の違いはあれど左翼を再生産していた。しかし、本気で、日本帝国主義の走狗になるのを忌避しようとすれば、そのまま大学院に行って学者を目指すか、弁護士になるか、公務員(教師も含まれる)になるかくらいしか道はなかった。プロレタリアートたらんと、工場労働者になったり、農村に行くものなどほんの一握りだったはずだ。本気でブロレタリアートの独裁、階級闘争をやろうとした人間は極少数派である。

今、日本学術会議云々の論議が盛んだが、結局のところ左翼の学者陣もその延長線上にある。いくら理論武装したところで、左翼の方が美しい、カッコいいと思っているだけではないのかと私は邪推している。戦争より、平和を唱えた方がカッコいい。人権を守るといったほうがカッコいい。体制=権力志向より、反体制の方がカッコいい。だから、「美学」なのだ。結局のところ、これまでの人生を共にしてきた左翼的美学を捨てられないだけではないのだろうか。

左翼的な美学には、教条主義が付きまとう。論理が破綻したゼロ記号をよく使う。今回の学術会議の問題では「学問の自由」がゼロ記号になっているようだ。法的な論議はあるだろうが、つまるところ「美学」を捨てれないというところに核心があるように思う。

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