2020年8月13日木曜日

鬼北町の一揆記念館を訪ねる。

昨年9月、三崎高校せんたん部主催のせんたんミーティングで、鬼北町の生徒が頑張っていた。彼らに再会する前に、鬼北町に行っておきたかった。と、いっても失礼ながら大した観光地もなさそうだったのだが、ふと「武佐衛門一揆記念館」というのが目にとまった。農民一揆の記念館とは珍しい。天気もいいので、急遽行くことにした。大洲から、肱川の道の駅へ。197号線をさらに進み、旧日吉村の中心街に歴史民俗資料館と隣接して、その記念館はあった。
昨日の愛南町の紫電改展示館同様、小規模だったけれど、実に素晴らしい展示だった。
1793年、宇和島藩の支藩である吉田藩(八幡浜の旧保内町も吉田藩の飛び地であったことがわかった。現在の西予市から鬼北町の地域)で、小藩故に厳しい年貢の取り立てと和紙の専売制が行われ、農民が窮乏。武佐衛門という農民が、一揆を企てるため芸人に扮装し、各村を回り仲間を集める。吉田藩に要求書を提出、家老の進歩派・安藤義太夫は理解を示したが、保守派に押し切られ具体的な解答が出来なかった。激怒した農民が実力行使に移り、次々と参加者が増え吉田藩ではなく宇和島藩領へと進撃した。ここで、安藤義太夫が切腹することで収めようとする。この切腹が転機となり、宇和島藩の指示もあって、吉田藩は農民の要求をすべて受け入れ、一揆の首謀者はじめ全ての農民に罪を問わないとの約束だったが、後これらは破られ、武佐衛門は首を切られさらされる。とはいえ、江戸期の農民一揆の成功率はかなり低いにもかかわらず、これは成功例だといえる。というような展示内容だった。

この記念館、内容も展示の方法もなかなか素晴らしいもので、大いに感激したのだった。あまり予備知識もなく、また期待も大きくなかったので、余計そう感じたのかもしれない。鬼北町は林業や農業が盛んな美しいところで、今日もまた素晴らしい1日になったのだった。

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