2015年7月6日月曜日

池上彰氏 経済学的「言論の自由」

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日経、今日の朝刊の「池上彰の大岡山通信」でも、例の醜悪な言論の自由の問題が取り上げられていた。昨日の内田樹氏の論と対比してみると面白い。池上彰氏は、経済学的の観点から見る。まずは、その概要。
言論の自由が保証されている先進国の経済体制はいずれも資本主義経済であるから、そこに両者の親和性がある。自由なマーケットに任せれば、世の中はいい方向に進むという思想がある。言論の自由が保証されれば、自由闊達な議論が交わされ、人々はどの主張が優れているのか比較検討でき、その結果最も多くの人の心をつかんだ言論が、社会の主流になる。

高い視聴率が取れるTV番組は、それだけ視聴者に支持されているといえる。商品に置き換えると人気商品である、といえる。(ただし、「市場の失敗」と表現される、公共性の強い警察・消防・福祉などのサービスは、TVの世界ではNHKなどの公共放送が担っているといえる。)

自民党の勉強会での「気に食わないマスコミを懲らしめる」という発想は、自由なマーケットの力を信じていないということになる。安保法制を多くの国民が支持していたら批判報道している番組は次第に姿を消す。そうなっていないということは、これを国民に理解させることができていないことを意味する。要するに自分たちの力不足を棚に上げている。自らを省みるべきである。言論には言論で、それが自由なマーケットの力を信じる先進資本主義のルールである。

…なるほど。膝を打つほどの話ではないが、池上流の見事なロジックである。ただ、私は少し引っかかるのである。戦前、多くの新聞が販売部数を増やすために、蓑田胸喜や平泉澄のラディカルな主張を採用した過去だ。(14年1月28日付・2月19日付ブログ参照)これは、やたら中国や韓国を悪くいうことで販売部数を増やそうとする週刊誌の話ではない。普通の一般紙の話である。当時の民主主義的な練度と今を比較した場合は、はるかに差があるようにも思えるが、自由なマーケットの力を私は完全に信頼しているわけではない。

…池上彰氏より、内田樹氏の哲学的な視点を尊ぶのは、やはり私は社会科学ではなく人文科学の徒であるからか、などと自問するのだ。

ところで、同じ日経の「核心」に、芹川洋一論説委員長が、今回の安保法制について書いている。憲法学者が違憲だとしていることに関して、解釈変更に踏み出すお墨付きを与えた首相の諮問機関(安保法制懇)が国際政治学者だということが最大の論点。この両者のスタンスの違いと、国際政治学側のリアリズムを擁護していた。芹川氏ははっきり書いている。「いちばんのねらいは対中抑止力だ。」要するに、以前にも書いたが、もうこのグローバル化の中、新帝国主義では、戦争はできないのである。安保法制は、あくまでもブラフである。これも、なるほどと思った次第。

1 件のコメント:

  1. >そうなっていないということは、これを国民に理解させることができていないことを意味する。

    国民の理解に関して、国会議員の説明責任というより、報道する側の怠慢を私は思います。国会で論議している内容を、リアルタイムで視聴できる選挙人がどのくらいいるでしょう。
    大抵は労働しているはずで、その大多数の層に、解りやすくかつ中立性を保った報道がなされていない。
    そのところに最大の欠陥があると思います。
    安保法制を「戦争法案」として報道する愚を犯すテレビを中心としたマスメディア。もしくは、「戦争法案絶対反対」のがわばかり取り上げるマスメディア。
    これでは、衆愚政治になってしまう。
    安保法制の本当の中身を、いい加減報道すべきです。

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