2015年7月15日水曜日

ホロコースト全史を読む。(3)


ワルシャワのバヴィアク刑務所
http://www.virtualtourist.com/travel/Europe/Poland/Wojewodztwo_Mazowieckie
/Warsaw-468976/Things_To_Do-Warsaw-Pawiak_Prison-BR-1.html
さらに、ホロコースト全史のエントリーを続けたい。ポーランドの話である。ナチは、ポーランド人をウンターメンシェン(下等人種)とし、拡張の邪魔でしかないと考えていた。したがって、ドイツ人移住者がポーランド人の土地を奪い、全ての街をドイツ名に変えるというエゲツナイ植民化がはかられた。ポーランドの知識人階級や政治指導者は組織的かつ冷酷に殺害されていく。ドイツの目的は指導者を殺してポーランドの一般住民を労働者として従属させ、搾取することであった。要するに第三帝国の奴隷とすることであった。ポーランド人の処刑はワルシャワにあるパヴィアク刑務所と郊外のパウミリの森で連日のように行われた。カトリックの神父もその対象になり、平均で18%が殺害された。SSのヒムラーは、秘密文書の中でこのような考え方を示している。

「東ヨーロッパの非ドイツ人は、小学校4年までの教育で十分である。算数は500以上の数を使わない簡単な計算だけ、国語は自分の名前が書ければ良い。そしてドイツ人に従うことは神によって定められた法であるという原則を教える…字など読めなくてもいい。」「ポーランド人がどういう暮らしをしようと…われわれの知ったことではない。連中は奴隷として必要なのであり、われわれの役に立ちさえすればいいのだ。」

大量殺戮への道は、障害者の殺害から始まった。1939年10月、ヒトラーは「安楽死計画」の開始を告げる命令書に署名した。身体障害、精神薄弱、精神障害をもつ人々が組織的に殺されていくことになる。精神疾患をもつ家庭に調査が行われ、たった3人の専門医がその回答用紙に目を通し、診察するでもなく、カルテを見るでもなく、安楽死を決定した。6箇所の殺人センターに安楽死が決定した人々は送られた。SSが医療関係者のような白衣を着て移送したという。当初は、餓死させられた。次に致死量の鎮静剤、やがて一度に15人から20人がシャワー室に見せかけたガスによる殺人が採用された。その後、隣接する焼却室で焼かれた。まさにホロコーストの前兆である。

…ヒムラーの考え方は、アフリカの失敗国家で、今尚見られるものだ。権力を持つ人間の悪意の集大成のような発想であるというコメントの必要性さえ認められないほどの暴論である。

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