2015年7月11日土曜日

「ある憲兵の記録」を読むべきだ。

例の世界遺産の「強制労働」という問題で、また自民党内で、交渉にあたった外務省に対して強い批判が出ているようだ。私は、こういう感覚がよくわからない。これが、愛国心であるというのであれば、非常に感情的なものであると思う。政治家が感情だけで動くのはいかがなものか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150710-00000545-san-pol

たしかに、日本人の美学から見れば、韓国の対応には違和感を感じる。だが、これが異文化理解というものだ。異文化理解の最大の敵は、自己正当化と異文化から学ぼうとしない姿勢であると私は思う。日本を覆う、危険な異文化「無」理解の暗雲を払うためにも、一昨日からのエントリーの続編を書こうと思う。古い朝日文庫の一冊。「ある憲兵の記録」の話である。

山形県出身の土屋さんという方が、軍に志願する。長男ではないので、言い方は悪いが口減らしのためである。憲兵になったのも給料がいいからだったという。土屋さんは、東北の人らしく生真面目で純朴な方であることがよくわかる。それが、満州での憲兵生活で一変する。未来のために自分の体験を語ったものである。

自らを鬼になったと土屋さんは述懐する。先輩憲兵の指導のもと、おそらくは無実の罪で連れてこらえた中国人を拷問にかける話が出てくる。当時は、様々な反日運動があり、それを摘発し撲滅するのが憲兵の役目だった。土屋氏も地元の顔役を部下として、不審人物を摘発した。生木(なまき)で、叩く。焼きごてを当てる。後ろ手で縛り吊るす。そして水責め。そもそも反日運動と関わりがない人を拷問するのだから、何も出てこない。拷問はエスカレートするだけである。結局、半死半生になった中国人を無罪釈放できなくなり、軍に送って日本刀の試し切りにすることになる。その最後を土屋氏も見たと書いている。こういう人びとが、731部隊のマルタとして、人体実験の犠牲になったことは容易に想像がつく。

…このようなコトを日本人は中国大陸や朝鮮半島やその他のアジア地域で行ってきた。他民族を人間扱いしない傲慢な姿勢。日本人の優秀さの裏側に潜む傲慢さ、それがアジアで様々な悲劇を生んできた。そういう事実を知った上で、日本はアジアで共生していかねばならないのである。

…異文化理解とは、綺麗事だけではない。日本の歴史認識は、「水に流す」「臭いものに蓋」「沈黙は金」といった、ジャパニーズ・スタンダードで、繭のように包まれていると私は思う。私も日本人のはしくれだから、日本が好きだ。だが、日本の過去については恥ずかしく思っている。

…愛国心とは、そういう日本の過去のマイナスの面を隠し、良い面ばかりを強調し、感情的に自己正当化することはではないだろう。

日本は確実におかしい方向に向かっている。アジアの人々の立場を正しく理解することこそ、アジアの人々との共生の未来を拓く道である。

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