2014年9月1日月曜日

日経 開発経済学から中国を見る

http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2005_14178/slides/11/6.html
8月28日の日経朝刊の「経済教室」・川島博之東大準教授の「アジアと中所得の罠(下)中国、農村部の発展に挫折」は非常に面白かった。メモするにも膨大な量になるので、モーニングの後、わざわざコンビニで日経を買い求めたのだった。自分自身の思索も含めて、じっくり寝かしてエントリーしてみた。

「中国の発展は開発経済学をあざ笑うものといえよう。」川島先生は論の最初にこう述べている。開発y経済学は途上国が発展するために、先進国からの援助、農村開発、民主主義の導入、汚職のない政府、人権の尊重などを主張してきたが、中国の発展はこれらをすべて無視したものであったからだ。たった30年で、「G2」米国と対等に渡り合うまでに成長したが、とても開発経済学の教科書にお手本として載せるわけにはいかない、と。

中国がこれほど急速に経済発展を遂げることが出来たのは、強力に工業化を押し進めたからに他ならない。途上国における経済発展とは、農業国が工業化することである。

工業化には勤勉で均質的な労働力が必要になる。この点において、中国共産党が建国以来科学的社会主義を掲げて因習を打破し、男子だけでなく女子にも初等・中等教育を普及させていたことが功を奏した。良質な労働力が用意されていた。川島先生は、特に長江以南で稲作が広がっていたことも大きいと考えている。稲作に必要な協調性が有効に働き、故に中国の工業化は広東省や浙江省などで始まっている。資本を集めることに成功したのは、農民に農地の所有権がなかったことが大きい。地方政府の周辺に作られた公社が都市周辺の農民から農地の使用権を安く入手し、それを整地して開発業者に使用権を市場価格で売却した。その売却益が地方政府の経済発展の原資となった。経済が発展し始めると、農民を置き去りにして、都市に住み工業に従事する人々は豊かになった。

長期的に見ると、農産物の生産量の増加は人口増加に等しい。静的な産業であり、工業のように年7%などといった目覚しい発展を遂げることはない。しかし、この基本原則を農業研究者や農政官僚、地方政治家は理解していないようだ。経済発展=工業化であるのだから、農業振興策をいくら打ち出しても、農業発展で地方が豊かになることはない。そこで2億人といわれる「農民工」=都市流入者が生まれる。これといった技能を持たない農民工の収入は低い。背後には7億人の農民がいる。中国の全人口の7割の農民は、経済発展から取り残されている。

開発独裁で工業化を推し進めることは歴史的に見て難しいことではない。しかし、農村の相対的貧困化が進み、流入した農民が都市でスラム化し、治安や政治的不安定を生むことも多い。メキシコやブラジルが失速した理由もそこにある。これが「中所得国の罠」である。中国ではスラム街はないようだが、都市と地方の格差に苦しんでいる。

日本の場合、61年に農業基本法を制定、農業振興を図ったが報われることはなかった。農村の貧困化は自民党に危機感をもたらし、田中角栄の日本列島改造論に繋がる。地方を工業化し、交通インフラで結ぶという列島改造は第一次石油ショックで軌道に乗らなかったが、思わぬ副産物を生む。公共事業による地方の雇用創生である。公共事業は農工間格差を是正し、日本を均一的に発展させる上で大きな役割を果たす。もちろん、地方がいつまでもいらないダムや道路の建設を続け、地方の自主性や創造性を失い、平成になってから地方が苦しむ一因となっている。

中国の農工間格差に役人の汚職が加わり、貧富の差が天文学的オーダーとなってしまった。同じ中心国のタイも農村部にバラマキ政策を続けたタクシン政権以後政治が著しく不安定化している。日本が中進国の罠から抜け出した経験は誇るべきものである。日本は自らの経験を、メリット・デメリットを含め積極的に教える必要がある、それはアジアの政治の安定に繋がる。

…開発経済学から見て、日本列島改造論に始まる地方の(ちょっと悪意のある言い方になってしまうが)土建政治が、中進国の罠からの脱却であったというのには、言われてみればなるほどと思うのだが、その後のデメリットの方にどうしても目が向くので驚きをかくせなかった。民主的な日本では、汚職への透明性、や公共工事への信頼性などがある程度補償されているので、有効な政策であったとは思うが、中国ではかなり危険な政策かなと思ってしまうのは私だけではあるまい。

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