2014年7月20日日曜日

アフリカの「コード・スイッチング」

http://www.etsumi.jp/watoto/
africa/faili/ol_language.html
夏季休業に入ったので、「アフリカ社会を学ぶ人のために」(松田素二編・世界思想社)で学んだことを少しずつエントリーしようと思う。今日は、小森淳子・大阪大学大学院教員が担当されているアフリカの言語についてである。

アフリカの言語は民族区分の主要素になっているが、基礎語彙90%以上が同じ(たとえばウガンダのンコレ語とチガ語のように)でも別々に数えられている。言語学的な区分ではなく、植民地支配による民族分離政策によるものである場合も多いからだ。アフリカの言語は系統的には5つ(ニジェール・コンゴ語族、ナイル・サハラ語族、アフロアジア語族、コイサン語族、オーストロネシア語族)に分かれるが、このうち、最も広域に分布するのが、ニジェール・コンゴ語族のパントゥー諸語である。およそ1500年の間に赤道以南の広い地域に分布し、互いによく似ている。一方、アフリカの手話言語は30種ほどあるようだ。

アフリカの言語状況について広く共通して言えることは「多言語の共存と多言語使用」である。それぞれの地域特有の民族言語は折り重なるように分布しており、さらにその上に地域の共通語、公用語が重なって分布する。個人のレベルで見ると、各人は生まれ育った環境によって複数の言語能力を有し、場面や相手に応じて言語を使い分ける状況が一般的である。例を挙げるとタンザニア北東部のルショット県では、主要民族はシャンバー語であり、共存する少数民族のマア人は誰もがジャンバー語を習得している。これらの大小の民族語に加えて、公用語であるスワヒリ語が使い分けられる。特にタンザニアでは、独立後政治的な努力によって公用語としての機能を高め、都市部では家庭でもスワヒリ語を使う場合が多い。教育を受けた人々は職場や日常生活でも英語を公用語として用いている。社会状況でも個人でも多言語使用が常態化しているわけだ。このことについては、私はすでに京大の公開講座で学んでいた。(11年7月16日付ブログ参照)この相手によって言語を変えるという使い分けだけでなく、一つの会話のなかにおいても言語が切り替えられる状況も生じる。これを「コード・スイッチング」という。

…私は、ジンバブエから南アへ帰る夜行バスの中で、この「コード・スイッチング」を体験した。たまたま隣に座ったガーナ人と英語で会話していたら、左斜め前のガーナ人が会話に入ってきたのだ。会話の主題はジンバブエの白人支配についてだった。私がジンバブエの首都ハラレでリサーチしたら、「White,come back,」と多くの人が言っていたというと、ビジネスマン風の隣人は同感だと述べたのに対し、斜め前の民族衣装を着たガーナ人は、「それは、君がハラレという都会で聞いたからだ。農村で聞いたら答えは違うものになったはずだ。」と反論してきたのだ。ガーナ人2人と討論になったのだが、やがて、彼らは同じ「ガ人」であることが判明した。急に、語彙が判らなくなった。ガ語で話始めたのだ。だが、討議するにはガ語の語彙だけでは無理なようで、結局英語に戻ったのだった。

最近、ケニアのナイロビでは「コード・スイッチング」から、複数の言語(キクユ語やルオ語・マサイ語、スワヒリ語、英語など)が混淆した言語が生じているらしい。2・3の言語を恣意的に混ぜ合わせて使う段階から新たな文法まで獲得しており、新言語の誕生を予感させるのだと言う。こうしたナイロビのスワヒリ語ベースの混淆語は「シュン語」と呼ばれ、若者コトバであったものがやがて幅広い世代、さらに他の都市部、マスメディアにも用いられているという。

ヨーロッパ言語をベースにした新言語は、クレオールと呼ばれ、英語ベースのナイジェリアのビジン語などアフリカ各地に様々なものがある。

もちろん、書き言葉としては、現在もヨーロッパ言語がエリートの道具としてアフリカでは大きな力をもっている。初めて訪れたケニアで、私はそれに大きな衝撃を受けた。高等教育を行うためには、ヨーロッパの言語の語彙(注射器とか国債とか、弁証法とか言ったコトバ)がどうしても不可欠なのだ。だが、南アフリカのように、国歌などで各民族語を恣意的に混淆しようとしている例もある。(本年4月4日付ブログ参照)私は、言語学的才能に欠けているので、これ以上はよくわかならないのだが、この新しいアフリカの新言語の動き、なかなか面白いと思っている。日本語におけるジャパニーズ・イングリッシュであるコンセントやベッドタウンなどの語彙も、同じカテゴリーに入るのかもしれない。(笑)言語は、まさに生き物だ。

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