2013年3月3日日曜日

ジャック・アタリの『L’ego宗教』

Jacques Attali
毎日新聞の今日の朝刊第2面「時代の風」は、ジャック・アタリ(フランスの経済学者・思想家で、ミッテランの補佐官だった人物。アルジェリア出身のユダヤ系である。)の『宗教と民主主義』がテーマであった。なかなか面白かったので、エントリーしておきたい。

マリの軍事介入の話から、イスラム過激派について、様々な宗教にも原理主義的な人々がいるが宗教的なテロリズムに走るのはイスラムだけだと非難し、本来のジハードの意味を歪めていると批判している。アタリ氏の言。「過激な原理主義は最貧国ではなく、近代性に近づいている国で生まれやすい。富裕層、エリート支配層に近づけない中産階級の欲求不満が強まるからだ。例えばパキスタンはバングラディシュほど貧しくないが原理主義がある。」…私は、なるほどと膝を打った。

さらに過激主義を恐れることこそ本当の問題である、としてカタールやサウジの富裕層が自衛のために過激派に資金援助していることを非難し、先のアルジェリア人質拘束事件でのアルジェリア政府の対応を強く支持。武装勢力の活動を防ぐには、強力な国際連携が必要と説く。

一方こんな宗教論を展開している。「勢力を拡大する市場は、宗教の敵と見なされる可能性がある。市場は精神面より物質面、集団より個人、長期より短期的なものを優先し、宗教と対立するからだ。宗教と市場秩序の両立には、宗教が国家ではなく個人に属することが条件だ。国家の役割は個人が望む宗教を信仰できるようにすることだ。宗教規則への服従を強制する社会に自由はなく、市場は自由でない社会では機能しない。教育は非宗教的、近代的であることが重要だ。ナイジェリアの『ボゴ・ハラム』は『反近代教育』という意味で、彼らは宗教学校のみで行われる教育を要求している。穏健なイスラム教と民主主義は共存していけるが、イスラム過激主義と民主主義は両立しない。どのような宗教でもイデオロギーを強制する意思は全て、民主主義に反する。」

アタリ氏は、ここで「レゴ宗教」と呼ぶ彼独自の概念を出してくる。個人が好きなものをますます自由に選ぶ世界に向かいつつある。それは宗教にも当てはまる。現存する宗教を選んだり、様々な宗教の断片を集めて小さな宗教を作ってもよい。この断片で組み立てられた個人的な宗教こそ、あのデンマーク製のブロックのような『レゴ宗教』である。もうひとつのレゴの意味は、「L'ego」(自我)を意味するのだという。…まさに現代フランスの個人主義的な発想から生まれた概念だといえる。

…アルジェリア出身のユダヤ系フランス人であるアタリ氏がこれまで生きてきた空間は、まさに多文化共生のカオスであったはずだ。昨夏イスラエルに行って、いかに多文化共生が困難な問題であるかを実感した私は、『個人主義=人権という鎧をまとった自我』が必要不可欠な社会を見てしまった。善悪を越えた歴史的必然のような気がする。

アタリ氏は、最後にアフリカの話に触れている。やがて人口の4分の1を占めるであろうアフリカの最悪の事態は、カオスである、と。…そのコトバの下に、個人主義への帰依を主張しているように私には思えるのだった。レゴ宗教という概念もまさにそのコード上に構築されている。

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