2010年4月22日木曜日

歴史書・アフリカ33景を読む


 火曜日だったか、愚妻に普通の薬局や化粧品店では買えない「某社のクリーム」の購入を頼まれていたので、大阪ビジネスパークという駅で途中下車した。その後、京橋まで歩いて帰ることにした。ツインタワーを突っ切ろうとしたら、『大古本市』をやっていた。財布の中は春だというのに北風が吹いていたのだが、こんな空間を無視して立ち去れるほど私は大物ではない。結局、安そうな文庫本を中心に見て回るはめになった。

 北風の影響で、1冊だけ購入した。『アフリカ33景』伊藤正孝著、朝日文庫。昭和60年2月20日第1刷発行。軽く25年前の本である。目次に並ぶ項目は、「ハイレ・セラシエの日本庭園」、「アミン大統領都落ち」、「アダムソン婦人の死」…などなど。出た時は、”報道”であったろうが、今や完全に”歴史書”である。その歴史書という価値に、私は300円という代価を払った。安い!ちなみに、ハイレ・セラシエは、エチオピア皇帝で、ブルキナで荒熊氏に『ラスタ』(ラスタファリアニズム)について教えてもらった時、その名が出てきて、なるほどそういう風に捉える事ができるのかと感激した人物。アミンは、ウガンダの独裁者、なにかとスキャンダルの多い大統領である。アダムソン婦人とは、「野生のエルザ」を書いた白人のオバンサンである。

 エチオピア皇帝ハイレ・セラシエの項を読むだけでも十分価値がある。ちょっと引用してみたい。『彼は、近代的憲法を作り、国会を創設し、エチオピアを立憲君主制に導いた皇帝だった。奴隷制度を一掃したのもこの人である。しかし半世紀にもわたる彼のエチオピア近代化の努力も、封建制度の再編成にすぎなかったのだろうか。』『皇帝の日本びいきは本物ではなかったかと思う。書斎に入る。西洋人によって書かれたアフリカ関係の本が網羅されている。その中に漢字の本が一冊混じっていた。日本語読本下巻という書名、黄ばんだ表紙をめくると、扉の部分にアムハラ語の書き込みが入っていた。皇帝の自筆のようだ。』『ハイレ・セラシエ皇帝は、1974年の革命の進行中、抵抗らしい抵抗、反撃らしい反撃をしなかった。このことはエチオピア革命における謎とされている。(中略)逮捕された朝、皇帝は自分を取り巻いた軍人たちに対して、「君たちの、国家建設のお手並みを拝見しよう」と述べ、静かにほほ笑んだと言われる。(中略)アフリカの為政者としてはきわめて異例な心境である。日本式庭園での瞑想が、皇帝をこんな東洋的諦観に導いたのだろうか。』

 なるほど、大きい。ラスタの人々が慕うだけのことはある。次の「国家元首の宿命」の項で、1963年のOAU(アフリカ統一機構/今はAUに発展した。)の会議での様子も描かれている。『OAU創設に最も貢献したのはエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝と、ガーナのエンクルマ初代大統領だった。この二人に比べると、今は長老になったセク・トーレもニエレレも、小僧っ子にすぎなかった。』とある。(セク・トーレはギニアの大統領で、完全独立を果たす。「隷属の下での豊かさよりも、自由のもとでの貧困を選ぶ」という言葉は有名。ニエレレはタンザニアの大統領である。ウジャマー社会主義の理想を掲げた。)ますます皇帝に興味が出てきた。

 すでに半分ほど読んでしまった。読めば読むほど、面白い話が出てくる。大当たりである。だからこそ、ますます古本市を素通りすることなど出来なくなる身体になるのである。

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