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https://note.com/nenkandokusyojin/n/n0eaf7f360038 |
昭和天皇は、帝王学を身につけられていた。よって、普通人の感覚とは異なることがある。例えば、脱衣も着衣も自分ではされなかった。意外だが、英国に行かれて以来、洋風の暮らしぶりで、就寝時はパジャマ姿であった。最も印象的だった思い出は、ロンドンで自分で切符を購入したことだと言われている。この辺は普通人とかなり違うところである。
昭和の前期は、軍人の勢力が強かった時代だが、満州事変や日華事変の時は軍に対して、厳しく指摘をされ、当時の首相が辞任した。これに懲りてあまりきつくは言われなくなったようだが、2.26事件の時は激怒され、白馬にまたがり反乱兵を自ら征伐するような気迫を見せられた。暗殺された文官への思いが迸ったのであろう。
憲法上統帥権を持ちながらも、あくまで権威として接しておられたが、口調は穏やかでも軍部へは、不信感を口にされていたようである。天皇主権、統帥権が規定された大日本帝國憲法であるが、その筋は通しつつも、あくまでも権力ではなく権威をもって軍を統制しようとされていたわけで、戦犯であるという当時の連合国の主張はあたらない、と私は思っている。開戦に当たっても最も慎重であられたのは天皇であり、敗戦時は、軍の抗戦派に対し、最後の最後に自らの身命をかけて決断されている。この辺は、まさに帝王学の所以である。
意外な話を最後に。終戦直後、皇太子(現上皇)がカメラを欲せられた際、中古のものを与えられた。当時の国民の状況を鑑みて、皇室だからといって贅沢をゆるさないという、意外なほど普通の感覚である。人間天皇として、誰よりも新憲法の主旨を心肝に染められていたのではないか。
戦前は普通人と離れた感覚をお持ちであったのが、戦後は日本国憲法下の人間天皇として覚醒されていったと私は感じている。
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