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https://www.tagesschau.de/wirtschaft/unternehmen/basf-konjunktur-stellenstreichungen-jobverlust-sparprogramm-chemie-100.html |
概要を先に述べると、イギリス・フランスが、ドイツ、アメリカに経済的な覇権を奪われるという流れになる。イギリスは、1880年以降工業生産のシェアでアメリカに1位の座を奪われ、20世紀に入るとドイツにも抜かれてしまう。これは、産業革命で成功したモデルが根強く残り、新しいビジネスモデルへの変革が行われず、設備も旧式化、中小企業が乱立、しかも彼らが利権団体を形成し現状維持の圧力となって議会に力を持ちすぎた結果、社会が硬直化したからである。
それに対し、ドイツはビスマルクによる国家主導での大規模な工業設備投資が行われ、独占的な巨大企業(電気産業のジーメンス、AEG、軍需産業のクルップ、化学産業のバイエル、BASFなど)が生まれ、金融でもドイツ銀行、ディスコント・ゲゼルシャフト、ドレスデン銀行、ダルムシュタットという「4D」という独占金融資本体制が形成された。
アメリカでは、南北戦争の北軍の勝利後、北部が主導権を握り、保護貿易体制のもと、産業育成が図られる。スタンダード石油、USスチール、GE、金融業ではモルガン、通信業ではAT&Tなどの独占資本会社が形成された。アメリカは、ドイツと異なり自由競争尊重の立場からシャーマン法などの独占禁止法が制定され、一定のバランスの取れた市場となり、新規参入企業も増大した。
イギリスでは、19世紀後半以後、慢性的なデフレ、低金利化、出生率の低下の三重苦に苦しみ、高金利の新興国や植民地への対外投資へ向かい、国内からマネーが流出、ポンド安が進む。植民地開発、対外資本投資で稼ぐ国家になる。フランスも植民地依存は同じで、アジア・アフリカ地域から綿花や染料などの原料を調達し、本国で加工し植民地に輸出し利潤を得る軽工業国になっていった。
植民地獲得競争に遅れたドイツは、大規模な鉄鋼、電気、化学などの重工業国となり、その輸出先はイギリス・フランスなどのヨーロッパ諸国であり、最も利益率の高い重工業というセクターをドイツが掌握する構造になった。イギリス・フランスが植民地獲得に成功したが故に、そこから脱却できずにドイツに経済覇権を奪われたわけである。WWⅠの遠因はここにある。
…これまで、英仏が、毒米に工業力で抜かれるという話を今まで授業で何度もしてきた。その内実が今日の内容である。なるほどと思う反面、今までその内実を掌握していなかったことを恥じる次第。私の見識もまだまだである。
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