2025年4月5日土曜日

経済で読み解く近世史4

https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Unknown-artist/983241/
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第12回目は、オランダとイギリスの覇権・逆転劇の背景について。

17世紀前半はオランダの黄金時代で、アムステルダムの金融市場は、証券や株式の直接金融を行って世界の金融センターとなった。オランダ公債の金利は1600年から、25年毎にみると8%、6%、4%と継続的に下落しており、いかに巨額の資金が集まっていたかがわかる。三十年戦争では、豊富な資金力でプロテスタント側を支援し、勝利する。

ところで、イギリスは前述のようにオランダに毛織物をオランダに輸出し、資金力・販売力に依存し経済的に下位におかれていた。この依存脱却のために、1651年「航海条例」を発布し、オランダとの通商を事実上禁止した。毛織物業者にとっては死活問題だったが、貿易商の組合が活発なロビー活動を行ったのである。この保護貿易政策で、商船建造を行い、自前の販路を開拓することになる。当時の政権は、清教徒革命後でクロムウェルが握っていた。クロムウェルは、非常にシンプルな対オランダ政策をとる。すなわち、戦争である。まさに政治の一政策が戦争だといえるわけだ。

イギリス海軍は、航海条例をを根拠に、オランダ商船を臨検し拿捕していく。挑発に乗ったオランダは宣戦布告し、1652年から1674年まで3回にわたって英蘭戦争が続くのだが、全てイギリスの勝利となった。経済活動に重きを置き、利権を守るための軍事には予算を回さず長期的視野にたったな覇権構造を形成することをしなかった故である。

…マレーシアのマラッカの街には、ポルトガルの砦跡、ザビエルが滞在したカトリック教会、オランダのゴイセン(カルヴァン派)の教会、そして、イギリスの聖公会の教会がそれぞれ異彩を放っている。まさに大航海時代から近代にかけての歴史の証言者の呈である。その背景に、こうした経済的な動きがあったわけである。…感無量。

0 件のコメント:

コメントを投稿