2024年8月31日土曜日

「聖書の同盟」書評 続編4

ニクソンの後、副大統領だったフォードが継ぐが、、民主党のカーターが政権を奪う。彼は南部出身の福音派で、1979年、キャンプデ―ビット和平合意(エジプトのサドト大統領とイスラエルの右派首相ベギンを13日間缶詰にした。)を達成、翌年両国は平和条約を結ぶ。両者はノーベル平和賞を受賞するが、サダトは第4次中東戦争開戦記念軍事パレード中にイスラム過激派に暗殺される。アラブ連盟はエジプトを除名した。また、カーター政権の末期には、イラン革命が起こる。

カーターを大差で破ったレーガンも、福音派で、キリスト教シオニストである。自伝では「私は人生で多くのことを信じてきたが、アメリカはイスラエルの生存を保証しなければならない、という信念より強いものはない。」「文明世界はヒトラーの狂気の最大の被害者に負債がある。」と書いている。

イスラエル国内では、東エレサレムのユダヤ化よ占領地への入植が推進された。リベラルな「アシュケナジ」のシオニスト主流派から、右派の「スファラディ」の”リクード”のベギンに政権が移っていた。キャンプデービッド合意で譲歩したベギンは、1980年東エレサレムを含むエレサレム全体を首都と宣言する「エルサレム基本法」を成立させた。国連安保理は国際法違反決議を採択。この時、アメリカは棄権した。安保理決議に従い、13カ国の大使館がテレアビブに移転した。さらに、1981年、イスラエル空軍は、イラクのバグダッド南方100kmにあるトワイサ原子力センター内の原子炉をF16 8機で空爆。(画像参照)成功後、駐イスラエル米大使に伝えた。”イスラエルを守るためにはどんな手段をも用いる”という「ベギン・ドクトリン」を宣言したのだが、防衛目的のみという条件で供与したF16を事前通告すらなく空爆に使ったことに、レーガンは強い不快感を示し、国連安保理での非難決議に今度は賛成した。ちなみに、この作戦に参加した最年少パイロットは、後年初のイスラエル人として、スペースシャトル・コロンビア号乗員となったが、空中分解事故で亡くなっているという。

更に、ベギンは、ゴラン高原を併合。またまた非難決意が採択され、アメリカも賛成に回っている。ベギンには悩まされ続けたレーガンだったが、レバノン侵攻の失敗の責任を負わされ退陣。後継のシャミル首相は、軍事研究開発・防衛産業間の相互調整・情報機関の連携強化へも関係強化を広げ、さらなる支援を引き出した。アメリカは、イスラエルを非NATO主要同盟国(MNNA)に指定したのだった。

https://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd250.html
…意外だったのは、アシュケナジ(東欧を中心としたヨーロッパにディアスポラしていた人々)は、シオニズムの中心的存在であったが、進歩的・リベラルな存在で、スファラディ(南欧からアフリカ・中東地域にディアスポラしていた人々)の方が右派的であるという構図である。私がこう思うのは、キリスト教徒からの迫害が強かったヨーロッパ圏に対して、イスラム圏は啓典の民として比較的差別がゆるかったからである。この逆転現象はどうなっているのか、新しい疑問が湧いてきたのだった。少しだけ、調べてみたが、どうやら経済格差の問題が絡んでいるようである。いつか、この問題についても、じっくり調べてエントリーしてみたい。

…「ベギン・ドクトリン」と、国際世論を強く意識しながら支援を続けるアメリカの構図は、基本的に現在も変わらないわけだ。よって、「聖書の同盟」の書評続編は今回で終了としたい。

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