2023年9月3日日曜日

女王陛下の私掠船

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「世界史を作った海賊」(竹田いさみ/ちくま新書)の書評、第3回。海賊マネーでエリザベス1世時代のイングランドは、海賊の活躍によって、徐々に富を増やし、やがてスペインを凌駕することになるのだが、本日は、その女王陛下の海賊たちについて興味深いところを記していこうと思う。タイトルにある私掠船とはprivateersと呼ばれる王室が関与した海賊船のことである。ところで、海賊行為の定義は国連海洋法条約(1982)で、「公海その他いずれの国の管轄にも服さない場所において、私有の船舶または航空機の乗組員または旅客が私的目的のために行うすべての不法な暴力行為、抑留または略奪行為」とされている。…航空機の語彙が含まれているので、「天空の城ラピュタ」に出てくる飛行船のドーラー家も海賊になるのか確認するとウィキでは「空中海賊」になっている。脱線してしまった。(笑)

またかなりの蘊蓄の部類になるが、16世紀当時のヨーロッパではカトリックの暦とプロテスタントの暦が10日間ほどズレていて、事件発生日などがスペイン側とイギリス側では記述が異なっているそうだ。

女王陛下の海賊として、最も有名なのはフランシス・ドレークである。彼は、世界一周を初めて成し遂げた船長(マゼランはフィリピンで死亡している故)である。彼の研究では、およそ60万ポンド(女王はその半分を懐に入れたらしい。)をもたらしたとされる。当時の国家予算は20万ポンドであるので、その3倍の海賊マネーである。女王は、アントワープの金融業者に宮廷費の借金返済と、後に発展する海外貿易会社への出資にあてらしい。ナイトの称号も受けている。ドレークは、プリマスを本拠とする親戚のホーキンズ一族という、ヘンリー8世の時代から王室御用達の海賊に預けられ航海術をマスターした。

ドレークが主に狙ったのは、現ボリビアのポトシ→(太平洋岸の)アリカ港→パナマ港(ラマでカリブ海側へ運ぶ)→現キューバの難攻不落の要塞であったハバナ港→護送船団に守られてスペインに運ばれていた銀である。ドレークも情報戦に長けていて、警備の薄い太平洋岸で輸送船を襲った記録が残っている。もちろんカリブ海についても熟知していたようだ。

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