2023年9月4日月曜日

無敵艦隊の真実

https://www.worldfolksong.com/national-anthem/topics/spanish-armada.html
「世界史を作った海賊」(竹田いさみ/ちくま新書)の書評、第4回。スペインの無敵艦隊との戦いについて。海戦は1回だったような印象が強いが、1588年、1596年、1597年、1599年、1601年と5回あり、スペインは一度も勝利していないが、海戦そのもので大敗北したこともない。制御不能な強風という自然の猛威に翻弄され自滅したと表現するのが真実に近いと著者は記している。ちなみに、両国は1604年に平和条約を結んでようやく長い戦争に終止符を打った。前年にエリザベス1世が逝去し、国王はスコットランドの国王でもあるジェームズ1世が即位したからである。

1588年7月末(前回、前述したように、カトリック歴とプロテスタント歴は10日ほどズレがある。)ドーバー海峡を挟んだ仏・カレー沖で、す終え員の無敵艦隊とイングランド海軍(ほとんど海賊だが…)は本格的に戦火を交えた。最新式の大型帆船(ガリオン船)を中心に約130隻で編成された精鋭艦隊を送り込んできた。イングランドの方は、四方八方から寄せ集めたガラクタ帆船で、海賊がスペイン・ポルトガルから奪ったまともな帆船も海軍に編入していたとはいえ、到底太刀打ちできるとは思えなかった。イギリス海軍の勝利は騎士道精神をぶっ飛ばした卑怯な作戦(ゲリラ戦)を挑んだ。

ドーバー海峡は年間を通じて、強い風が吹く。タイミングさえつかめば風上が有利である。無敵艦隊は、海が荒れてきた故に、カレー沖で三日月型の陣形を取り、しかもその陣形を崩さないためにロープで結びつけていた。日没を待って、イングランド側は8席の中型帆船に爆薬や可燃物(バターやオイル)を満載し、乗船員が帆船に放火した後、海に飛び込み無人となった帆船が風に乗って突っ込むという作戦(=焼き討ち船/火炎攻撃)を行った。スペイン側は大混乱となり、錨を上げる間もなく、錨のロープと他船と結びつけているロープを切り、四方八方に逃げた。翌朝、体制を立て直したが、イングランド側は小回りがきく小型・中型の帆船で包囲しながら攻撃を続け、陣形が崩れた無敵艦隊の指揮系統は乱れに乱れた。カレーに避難しようにも逆風で、スコットランド方面へ向かい、さらにアイルランド沖経由で本国に帰還した。この間挫傷する帆船が続出、帰還できたのは86隻であったが、実際にイングランド海軍の餌食になったのはわずか9隻であった。非常に有名で、イギリス海軍の名を挙げた戦いではあったが、実際のところは、このような状況であったわけだ。まあ、勝てば官軍、歴史は勝者によってつくられるのが常。

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