2023年4月12日水曜日

佐藤優 「大日本史」Ⅱ

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「大日本史」(山内昌之・佐藤優/文春文庫)のエントリー、第1章「黒船来航とリンカーン」の後半である。幕末から維新にいたる1860年代は、世界史的に見ても新しい国民統合の時代であったこと。サルディーニャ王国のイタリア統一が1861年。普仏戦争後プロイセンがドイツ帝国ができたのが1871年。アメリカでは、南北戦争勃発が1861年。リンガーンは、北軍の最高司令官として都市の生産拠点や居住空間を焼き払い、老人や婦女子に厭戦気分を誘いつつ、奴隷解放宣言を出して国際的に市議は北軍にありと印象付けた。イリノイ州軍大尉しか経験していないリンカーンは、国会図書館に通い統帥を勉強したという。山内氏によれば、その才はビスマルクにも匹敵する、と。この南北戦争の余波は日本にも押し寄せ、大量の南軍の退役軍人がお雇い指揮官として売り込みに来たとのこと。幕臣の成島柳北は、「ロッシュの口車に乗って仏軍を雇えば英仏の代理戦争になりかねない、国と国の関係がない分、まだアメリカの浪人どものほうがよかろう。」という言を残しているとか。戊辰戦争は兵器の見本市化し、南北戦争で余った武器が入ってきた。かの河井継之助のガトリング砲も同様北軍のもの。幸い、薩長も幕軍も外国人が深煎りすることを嫌い、内戦としては世界史的にも犠牲が少ない。(南北戦争で戦死者約50万人に対し戊辰戦争は8000人台)2人は、内戦が起こっても、日本は外国軍の介入や借款を最低限に留めてきたという特徴を確認しあっている。

その政治的危機の際に、日本というものが強く意識される点から水戸学の話に流れていく。「愚管抄」で慈円は源平合戦の時安徳天皇とともに三種の神器の草薙の剣が失われたが、これは正統な権力を朝廷が持つことは出来ないという天の意思だと解釈し、武家政治を正当化している。水戸学の論理は、慈円より凄いと山内氏。武家政治は王道ではなく覇道だとしている。徳川幕府が覇道であるがゆえに、御三家にその政治をチェックする水戸家があったといえる。佐藤優は水戸学の根底には原罪があり、徳川の終末の時には正しい秩序を回復するというキリスト教と相性がいいと。ところで、水戸学では、南朝を正統だとし、現皇室には都合が良くない。水戸学には皇室のチェックという二重の機能が内在されていたとも。山内氏は水戸学の中の地政学的な攘夷論である会沢正志斎の開国をも否定しない安全保障論を紹介し、水戸=ファナティックな攘夷論だけではないと論じている。

第1章の最後に、佐藤優がこう述べている。『歴史は勝者によって作られますが、後世の私たちは資料を角度を変えて読み解くことによって、必ずしも勝者の歴史どおりではないストーリーを発見することができる。それがいま改めて歴史を語る重要な意義だと思います。』…名言である。まだ完読していないが、この新書、超おすすめ。

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