2022年9月6日火曜日

「異端の人間学」を読む 2

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「異端の人間学」の書評の続きである。昨日エントリーした「スタロヴェール」(古儀式派/分離派)の別名は「ラスコーリニキ」。ドストエフスキーの罪と罰の主人公、ラスコーリニコフはここから取られているらしい。ラスコーリニキは差別語で、この名を持つということは斧を持って異常なことを行う人間に宿命付けられている、と佐藤優は語る。

ところで、カラマーゾフの兄弟の中でアリョーシャが「それはイエズス会のだ。」と言うシーンがあるらしいのだが、佐藤は「それはペテン師のやり方だ。」という意味だと述べている。ウクライナ西部のガリツィア地方は1945年に赤軍が入ってくるまでロシア領になったことがなく、オーストリア=ハンガリー帝国だったところで、正教だったが、イエズス会が反宗教改革で特殊なカトリック教会にしてしまったからである。正教ではキャリア組の神父は独身、ノンキャリア組の神父は妻帯が可能だった。カトリックはもちろん全員独身である。ローマ教皇は例外的にこのシステムを認め、イコンも正教の儀式も認めたうえで、教皇の首位権と聖霊が父と子(神とイエス)から出るという神学上の議論を認める、という妥協案を出した。これがウクライナ西部の「東方典礼カトリック教会」である。この正教会側を騙したのが反宗教改革の尖兵・イエズス会で、=ペテン師というわけだ。ロシアの読者には直感的に理解できるらしい。

ところで佐藤は、ドストエフスキーについて、胡散臭く感じているらしい。ユダヤ教では神の名を唱えず、大司祭が年に一度唱えるくらい。それに対し、ドストエフスキーは、神やキリストへの信仰が過剰に表現されており、神への信仰があまり信じていないのではないかというわけだ。同時に左翼から転向した故の右翼的な愛国心の表現も過剰で、もともとの思想をカモフラージュしようと必死な感じが面白いというわけだ。

…そもそも賭博好きで人格的にも疑問符がつく人であると私などは思っている。とはいえ、ドストエフスキーの葬儀の際は5万人の参列者があったという。ソ連崩壊まで、ロシアは読書大国であった。文学者や詩人は非常に尊敬された。消費的な文化産業がなかったこともあるが、同時に識「詩」率が高く、日本の外交官でもチュッチェフの四行詩<知恵でロシアはわからない。一般の物差しでは測れない…>みたいなものがすぐ出て来ない人は尊敬されないのだという。庶民レベルで、詩を愛好しており、プーシキンの誌をほとんどの人が暗唱しているそうだ。

…こういう知識はそう得ることは出来ない。今回もいい本に巡り会えた。

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