2015年4月3日金曜日

ケニア 大学襲撃事件に思う

ケニアのガリッサ大学でソマリアのアルシャバブが、キリスト教徒の学生を人質に立てこもり、銃撃戦となり150弱の人々が犠牲になったようだ。ソマリアの内戦にAUの一員として従軍しているケニア軍への報復であることは間違いない。

アルシャバブの復古主義的ジハード派の立場からすれば、彼らの地に侵攻してきた異教徒へのジハードという論理が成り立つことは、このところの学びで理解したつもりだ。人定法を定めるキリスト教世界が構築した法治国家という概念も、人権などという概念も、神の定めたシャリーアの前には不正義でしかないというわけだ。

もちろん、これは、復古主義の人々の「正義」である。一般のムスリムは、そこまで突き詰めて考えていない。一神教世界であるイスラエルに行ってみて、よくわかったのだが、イスラエルのユダヤ教徒のマジョリティは世俗派という、ユダヤの律法に対して全てを守っているわけではないという人々である。彼らはユダヤ教というアイデンティティを保持しつつも、突き詰めて信仰生活を送っているわけではない。

イスラムの復興主義者と好対照なのは、黒いスーツとコート、帽子を身にまとった、徴兵されない律法学者でもある超正統派ではない。超はつかないがシオニズムの推進者である正統派だと私は思う。彼らは、危険を顧みずパレスチナの地に入植し、実効支配していく。

単に「ユダヤ人は…」とくくれないのと同様、ムスリムもステレオタイプで括ることはできない。少なくとも、高校の倫理や世界史の学習でフォローするくらいの知識では、現在の状況を把握することが難しくなっていると私は思う。

ブティストの私からすれば、暴力的な報復が、また因となり縁となって負のスパイラルを生むだけだと思うわけだが、先日読んだ中田考氏の本では、一神教世界は神によって成り立っており、原因も結果もないらしい。一神教を勉強すればするほど高い壁にぶち当たる。

だが、国際理解教育を推進する立場からも、一神教理解は異文化理解の核心であるとえいる私は考えている。なんとかして、生徒諸君に理解の緒をあたえたいと悩んでいるところである。新3年生の世界史は、一神教の話から入るつもりだ。

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