2025年11月30日日曜日

期末考査後の授業について

昨年度のポスターセッション・モザンビークの1つ
期末考査が終わると、私の地理総合の授業は、特進クラスでは行わないことになっている。入試科目対応の特別時間割になるからである。残りの総合理系と看護コース、総合文系の授業に専念することになるのだが、今年は、総合理系と看護コースでは、ちょっと本格的なディベートを、総合文系では、昨年同様ポスターセッションを中心にやることにした。

ディベートは、命題を2つ出し、4チームに別れて行う予定。すでに学級委員に最適なチーム分けを依頼してある。総合理系と看護コースは、明確な言語を使える生徒が多く、ここに論理性を加味したいところ。命題の1つは決定している。「中国は先進国か否か」である。

立論に際して、「先進国の定義」がまず重要になるだろう。一応はOECD加盟国ということになっているが、中国はG20に入っているし、上海協力機構なども組織し国際援助を行っている。この先進国の定義を狭義に捉えるか、広義に捉えるかがまず重要かと思われる。さらに具体的な質疑内容を考えさせたいと思う。もう一つの命題に関しては悩んでいるところ。

ポスターセッションに関しては、中南米やオセアニアの地誌はほとんどできなかったので、これらの国の国是や理想をもとに自由に発表させたいと考えている。こちらから、候補国を提示して、クラス内でダブらないようにしていきたい。昨年はなぜかモザンビークが各クラスで人気であった。三者三様の発表で、その対比も面白かった。(笑)

中南米とオセアニアということで、メキシコ、パナマ、ペルー、エクアドル、ボリビア、チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、オーストラリア、ニュージーランドと太平洋の島嶼国ということになりそうである。

2025年11月28日金曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録3

https://artmuseum.jpn.org/mu_sokurates.html
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第3回目。第2章の古代哲学の続きである。

ポストモダンとは、すべてのものは相対的だということなので、詭弁に等しいと佐藤氏は断じている。「丸い四角を書きなさい」といったことは神にできないことの1つである。神にもできないことがあると中世に議論になりました。命題事態がナンセンスなものは、神にも回答や実行は不可能である。だから神は行わない。ただ、こうした内容も論理として整理するのは、なかなか難しい。(P45-46)

…「伝授!哲学の極意! ー本質から考えるということはどういうことかー」(竹田青嗣・苫野一徳著/河出新書)のポストモダン批判と、佐藤氏のプロテスタント神学との共通点として私はこの記述を捉えた次第。

面白いのは、ソクラテスの死にまつわって、裁判員制度の話が出てくる。殺人や放火などの重罪のみ、量刑も決める裁判員制度はいかがなものかというわけである。裁判員制度が本来に馴染むのは、特捜事案、政治家などの犯罪についてこそ国民目線が活かされるのではないか、また国民の義務にしているのも問題だというわけだ。(P50-51)

…これには同意。未だ私に裁判員に、という指示は来ていないのだが、素人が重大な犯罪の量刑にまで踏み込むのは、やはりなじまない。特捜事案こそ活かされるというのは賛成。ただ、素人なりに政治的なスタンスが絡むので難しい面もあるだろうが…。

「悪法も法なり」という普遍的な規則にしたがってソクラテスは死んだとなっているが、佐藤氏は、当時のギリシアの身体論(魂と牢獄としての肉体は別々)から、解放である死は怖くなかったのではないかとしている。死生観は変化するものだというわけである。(P51-52 )

…NYCのメトロポリタン美術館で、ダヴィッドの「ソクラテスの死」を見た。かなり大きな絵画で、圧倒された。ソクラテスは、たしかに恐れることなく毒杯を飲もうとしていたのだった。こういう視点も実に勉強になる。

2025年11月27日木曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録2

https://www.science-studio-channel.net/akiresu_to_kame_part1/
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第2回目。第2章の古代哲学の世界からである。

古代ギリシアは、奴隷経済社会であり、物と心にゆとりのある自由民が高等遊民となって哲学の基盤を築くことになる。ここで佐藤氏は、夏目漱石の『それから』に登場する代助に「働くのもよいが、生活以上の働きでなくっちゃ名誉にならない。」「食うための職業は、誠実ににゃ出来にくい。」と言わせている場面がある。品性が下劣なのは、食うために働いているからだという考えは、まさにギリシアの自由民の考え方であると。文学はそういう人をモデルにして成り立つというわけである。(P34-39)

神学にとって重要な存在は、メインストリームでアリストテレス、その裏側でプラトン。加えて重要なのがネオ・プラトニズム(新プラトン主義)であるとしたうえで、「AI時代の今大事なのは自然哲学」というタイトルで、「アキレスと亀」の話が登場する。

(あるものはある、あらぬものはあらぬというアフォリズムで有名な)パルメニデスの弟子のヅェーノーン(=ゼノン)によって、「アキレスと亀」というパラドクスを想起した。アリストテレスに、「弁証法の発見者」と称されたこのパラドクスは、運動を否定するために、運動を仮定し、以下にして背理に陥るかということを示し、間接的にその前提となった運動を否定しようとしたものである。佐藤氏は、このパラドクスを論理で崩すのは意外に難しく、今だに完全に納得できるような解決はついていないとのこと。(P40-43)

…高校倫理における自然哲学の分水嶺は、この変化するものは本当にあるとは言えないとするパルメニデスと「万物は流転する」と説いたヘラクレイトスの対立をどう料理するかであったと私は教えている。これがエンペドクレスの四元説、さらにデモクリトスのアトム説へと発展していくのである。

さらに、近代の数学者・バートランド・ラッセルの「床屋のパラドックス」にも触れられている。これは、ある村の人間(男)を、床屋に行ってヒゲを剃ってもらう人間と、自分でヒゲを剃る人間に分けた場合、床屋はどちらに入るのかという問題。床屋は自分で剃っているともいえるし、床屋に剃ってもらっているとも言える自己言及問題となり、コンピュータは解決・判断できない。AI時代には重要な、一番の隘路(あいろ)であると言えると、佐藤氏は警鐘を鳴らしている。工学系の人も哲学の勉強をしていないと危ういという話である。(P44-45)

…私自身、本年度はAIを教材研究などで徐々に活用するようになったが、たしかに危ういと思えることもある。

2025年11月26日水曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録1

佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)をとりあえず一読した。画像にあるように付箋がいっぱいついている。(笑)本日は、付箋をつけた箇所の備忘録として、つらつら記しておくというエントリーの第1回目である。佐藤氏の講義では、横道にそれながらも教養あふれる話が多いので、神学から見た西洋哲学という趣旨とは、あまり関連のない記述もあることをご了承願いたい。

近世より中世、中世より古代の方がいい時代といった復古維新的な発想について。日本は明治維新の時、日本本来のあり方についてどこまで戻そうとしたか?1つが建武の中興、後醍醐天皇の時代、さらには中国から入ってきた律令制導入以前。これは5.15事件の理論家でアナーキズムと国家主義思想の双方に影響を与えた後藤成卿(せいきょう)の論。さらに、日本神話の天地開闢(かいびゃく)まで戻るべきと唱えた人々もいたのだが、伊勢神道系と出雲系で分かれるので難しい。解釈学では大和朝廷による国家統一の過程を神話化したとされる。西洋でも哲学の根っこはギリシア神話とつながっており、その連続性のなかにある。(P22-23)

…こういう秘史的な話を佐藤氏はどこで身につけたのかと思う。例の獄中であったとすれば、マイナスを見事にプラスに変えたといえるだろう。

2019年、フランシスコ教皇が来日した際、反原発の立場をとった。その理由は、創造の秩序の神学に身を置いているからである。神はプルトニウムをつくっていないから、人間はそういうものをつくってはいけないというわけである。ゲノム編集も合成生物学もダメということになる。自然の中に神の意志があるという考えは、極めてプレモダンであるが、モダンの危機の中で、ポストモダン的な状況の中で再び脚光を浴びている。プロテスタンティズムは明らかに袋小路に入っているが、カトリシズムが同じ袋小路に入らないのは、モダンの時代に背を向け、プレモダンな状況に身を置くという選択をしたからである。(P25)

…このカトリックがプレモダン(近代以前)の状況に身をおいていの反原発という論理は実に興味深く感じた。同時に、プロテスタンティズムが袋小路に入ってしまっているという箇所が気になった。新しい研究材料である。

神学は基本的に「独断論」の立場を取る。自分にとって絶対に正しいことがあるというところからスタートする。哲学的な思考は、究極的には独断論か不可知論かしかない。正しいものは何もない、あるいはとりあえずこれが正しいことだ、という事で始める、どちらしかない。現代の哲学で、独断論の立場を取るのは、神学以外では、フッサールの「現象学」のみである。独断論といえばナンセンスに思えるが、反証主義をそこに合わせれば問題は生じないので、独断論は重要である。とりあえず独断論の構えから始まっても、反証主義的に開かれたカタチにしておく=反証可能性を残しておくなら議論ができるからである。最初から本当か嘘かを問う不可知論では議論自体が進まない。(P28-29)

…この「独断論」について、神学とフッサールの現象学が反証可能性を残している独断論であるいう対比の記述は実に面白い。なるほどと感心した次第。

カントの物自体(Ding an sich)は、考えても無駄だとされるようなもので、限りなく神に近いものである。ところが、そういうものに対しても価値の哲学という形で扱うことができると考えたのが新カント派である。解釈が前提となる新カント派は戦前・戦中の日本の教養主義の中で大きな地位を占めていた。この時代の人達が書いたものは基本的に新カント派の考えの枠内にあると思ってよい。

本書のテキストとなっている著者の淡野安太郎氏も同様である。彼はこう記している。「その宏大無辺な宇宙を自己の思想の中に包み入れることができるし、また包入れずにはおれない。」こういう考え方(1人の人間の中で全世界を整合的に解釈するという考え方)は、世界観である。

世界観を最も強調した潮流はマルクス主義である。だから、マルクス・レーニン主義は世界観であるが、スターリンの場合は『弁証法的唯物論と史的唯物論』の中で、その世界観の主体を党(共産党)にした。正しい世界観は党が持っている、ということにした。その党の意思決定は、党の政治局によってなされ、政治局の意思決定は書記長によってなされるので、書記長の見解が唯一の正しい世界観になる。

この構成は、カトリック教会と一緒であるが、全体主義と受け取られるのを避けるため、教義に関する事柄と道徳に関する事柄については、ローマ教皇が教皇座から言う事は過ちを免れる(教皇の不可謬性)という言い方をすることで、世界観を持っている教会であることを正当化しているのだが、佐藤氏によればスターリニズムと全く同じ図式だと手厳しい。(P32-33)

…カントの物自体が神に近いという記述は、目からウロコである。実践理性のみが関与できる存在であるくらいにしか思っていなかった。さらに付記すると、高校倫理では、新カント派については、新プラトン主義ほど語られないというより、ほとんど登場しない。新鮮である。

…世界観という視点から、スターリンに突入しているのが興味深い。これは、現在の中国共産党にも言えることではないか。習近平の世界観も同様に、中華思想に凝り固まっているがゆえに、現在のような馬鹿げた事態を招いているように思う。

…ところで、まだP30くらい。本書はP435まである。(笑)

2025年11月25日火曜日

中国外相タジキスタンで吠える

https://www.travel-zentech.jp/world/map/Tajikistan/Map_of_Tajikistan_and_neighboring_countries.htm
中国外相が、タジキスタンを訪問し、日本の軍国主義の復活云々と吠えた。タジキスタンもこれに呼応し中国の立場を認めたという報道が流れた。

タジキスタンという国は、トルクメニスタンほどではないにせよ、かなり独裁に近い強権政治を強いている国だ。ソ連の支配下にあった関係で、反ロシア的色彩が濃い。となれば中国に接近するのは地政学的にも当然である。山岳国家で、かなり経済的に厳しい。HDIは129位/193カ国である。

中国は、G20でも立場がない状態で、UNでも一気に影響力を低下させた。なんとか味方を増やそうと必死なのだろうが、焼け石に水。先進国、ASEANなどの批判を果たしてかわせることはないだろうと思われる。

2025年11月24日月曜日

ドイツ的キリスト者運動の事

https://ja.wikipedia.org/wiki
佐藤優氏の『哲学入門』もあと少しで一読、というところまできた。その中には、大きく取り上げたい話と、備忘録的に記しておきたいものもある。いずれ再読しながら書評を書きたいと思っている。
今回は、その備忘録的な内容の1つ。1930年代のナチスドイツ時代に、ルター派の一部が他のプロテスタント教会と統一し、「ドイツ的キリスト者」(Deutsche Chiristen)と呼ばれる運動を展開したことについて。

キリスト教を「非ユダヤ化」する試みで、イエスは当時パレスチナに駐屯していたローマ軍団兵の息子で、ユダヤ人ではなかったとした。イエスのユダヤ教に対する戦闘的な側面を強調し、旧約聖書のすべてを含むユダヤ人が書いた部分を却下、さらにカトリックを根絶し、プロテスタントの統一を図るといった具合。

なぜ今日この話題にしたかというと、期末試験後にホロコーストのパワーポイントを生徒に見せるつもりであるからだ。新たに、この話も挿入したいと思ったのだ。これまでわたしが作ったホロコーストのパワーポイントには、その背景として次のような言葉が出てくる。

「まず、ユダヤ人のシナゴーグや学校にひをつける。それから燃えないものはすべて埋めるか土をかぶせる。こうして石ころ1つ、燃えがら1つ、二度と目に触れないようにする。モーセは申命記13章に、邪教にふける全ての都市は火によって焼き尽くされるであろうと書いている。モーセが今も生きていたら、彼は率先してシナゴーグやユダヤ人の家に火をつけていただろう。」

…これは誰の言葉だろうか、と毎回生徒に問いかけてきた。正解を言った生徒は未だにいない。これは、マルティン・ルターの言なのである。申命記の邪教はオリエント社会の多神教だと見るのが正しいと思われるし、ルターが嫌悪しているのは、イエスを死刑にしたという各福音書の記述ならびに、ユダヤ共同体が社会になじまず独自の存在感を見せていたことが大きかったように推測できる。私は、ルターという人物をそんなに重要視していない。わりと教義的には曖昧な部分は曖昧で、当時の政治状況で持ち上げられた側面と、ドイツ農民戦争での掌返しといった面も感心できない理由の1つだ。

ともあれ、ルター派から、こういったナチスに迎合した宗派が存在した事実は、受験の世界史や倫理では登場しないわけである。もちろん、これに反対した「告白教会」などもあったことも付け加えておく。

2025年11月23日日曜日

WBC 2026考

https://www.mlb.jp/2024/05/24/67920/
最近のYouTube、特にMLB関連の内容は、FA情報などフェイクがかなり多い気がする。確かな情報を得るためには、かなりのリテラシーが必要なようだ。

さて、来年春のWBCが近づいているが、大谷選手・山本選手・ササミローキ選手は出場するのだろうか。また今季MLB入が噂されるスラッガーたちや、カブスの今永投手らメジャー組の動向もよくわからない。しかもTVも地上波放映ではなく、LIVEでは見れないとのこと。(我が家にはTVがないので同じだが…。)

今のところ、判明している事は、ダルビッシュ投手とヌートバー選手は、怪我で出れないらしい。これは実に寂しい。

前回のWBCは痺れる展開だった。当時エンゼルスにあってポストシーズンとは無縁だった大谷選手にとっては、まさにヒリヒリする展開だったと思う。優勝の喜びもひとしおだっただろう。ダルビッシュもイチロー選手同様ベテランとしてチームをまとめあげた。

だが、今回のWBCは、大谷選手らドジャーズ組にとっては、過酷なシーズンを終え、7回戦まで進んだWシリーズで死力を振り絞って戦った後になる。ドジャーズが、出場に慎重になるのも十分理解できる。現状においては、WBCとWシリーズ3連覇を天秤にかければ、自ずと不参加、あるいは大谷選手は打撃のみ、山本・ササミローキ選手にも厳しい登板制限がかかるのではないか。

アメリカは、本気で優勝を狙っているし、他の国も精鋭を揃えてくる。果たしてドジャーズ組とメジャー組のWBC出場はあるのだろうか。

2025年11月22日土曜日

UNの敵国条項問題

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM21AXC0R21C25A1000000/
在日本・中国大使館が、UN(日本では国際連合と訳しているが、直訳は「連合国」)の敵国条項を持ち出して、中国は日本をいつでも攻撃可能だと脅してきた。

敵国条項は、1995年にその削除が賛成多数で決議されたものの、国連憲章は全加盟国の批准が必要なため、死文化したまま放置されているのが現状。これを持ち出してきた中国大使館の頭の中はどうなっていいるのだろうか。

中国の置かれている国内の経済状況は、全く酷いものだ。共産党幹部の汚職・蓄財、不動産バブルの崩壊、消費の縮小=市場の縮小、農村出身の失業労働者の帰郷、地方政府の財政破綻、EUやアフリカ諸国との軋轢などやるべきことが山積みのはずだが…。

日本に喧嘩を売って、不満の高まる国内の統制を強めようとしているようだが、本気で日本が重要な輸出規制(半導体県連素材や工作機械など)を行ったら、中国の生産というか、息の根が止まる。すでに日本企業の撤退は容赦なく行われている。

中国は、科挙の伝統があったはずだが、「粉骨砕身」という故事成語を日本相手に使う場合、日本での意味を事前に知って使うべきである。また、ハニトラに引っかかった政治家を暴露するぞという脅しがあったが、自分たちのやったことを披露しているのに等しく、ぜひとも暴露していただきたいところだ。

今回の中国の口撃を鑑みるに、現中国政府のノーメンクラツーラ(エリート官僚)の能力は極めて低いと断じざるを得ない。

2025年11月21日金曜日

中国が台湾侵攻したい理由

https://meesikoukou.blog.jp/archives/33385005.html
台湾を巡る中国と日本の大喜利が続いている。(画像参照)ものすごく簡単に言ってしまうと、中国が台湾侵攻を諦めない理由は、「易姓革命」である。古来中国では、王朝の転換は天命であるとされてきた。これまでもその正当性を巡って前王朝の滅亡に躍起になってきた歴史がある。中華民国が存在し続けることは、中華人民共和国にとって許しがたいことらしい。私などは、アルバニア決議案で国連の安保理常任理事国になった時点で、易姓革命はなったのではないかと思うのだが…。

2025年11月20日木曜日

京都王将 五目そばが消えた

久しぶりに、京都王将・放出店に行ってきた。当然ながら、私の定番は、五目そば+餃子なのだが、なんと五目そばがメニューから外されていた。ショックである。おそらくは、需要とコストの関係なのかと思う。五目そばが失くなったのなら、王将に行く必要を認めない。いよいよ難波の珉珉に行くしかないのかと思う。

2025年11月19日水曜日

PP 英仏独露南ア蘭の国是

授業は、いよいよ最終局面に入っている。パワーポイント教材も手直しながら、イギリス・フランス・ドイツ・ロシア・南ア・オランダの国是や理想について作ってみた。
イギリスは、4つのカントリーの同君連合である。少しだけ地誌を交えた。フランス語の王権神授説の国章から君臨すれども統治せずに変化したことも階級社会も重要だし、先進国中の先進国であるイギリスの姿も伝えた。(上記画像)ここは、政治・経済の復習になる。
フランスは、フランス革命と政教分離(ライシテ)と個人主義、そして中華思想。ヨーロッパに与えた影響は多大である。特に、ライシテが如何に特別であるか、イギリスの英国国教会、ドイツのルター派とカトリックといった国家と宗教の関係性について対比する。
ドイツは、ホロコーストの反省と国際貢献。上の画像は、私が撮ったアウシュビッツ第一収容所のガス室に残されたユダヤの人々の爪痕である。ドイツの理性による理論構築のことも、ニュルンベルグ法(ホロコーストの際のユダヤ人の規定)で説明。道具的理性にも少し触れたい。
ロシアのナショナリズムと歴史的に民主主義を経ていないことは、ロシア理解の上で重要かと思う。できれば、ウクライナ問題にも触れたいところ。
南アの「虹の国」という国是は、5ヶ国語による国歌にも現れている。アパルトヘイトを乗り越えて再建途中だが、ジニ係数が世界最悪の数値であることも述べなくてはならない。
オランダに関しては、最もリベラルな国であることも重要。学院には看護コースもあるので、安楽死の話題は欠かせない。

…一気にパワーポイントのエントリーをしたが、修正したいところもある。それは、もし同じような授業構成をするとして、来年度の課題としておきたい。

2025年11月18日火曜日

キケは骨折をおしてのWSだった

https://www.youtube.com/watch?v=Vs66lHZkff0
キケ・ヘルナンデス選手が、実は左手を骨折しながらも、WSにフル出場していたことが判明した。WSでも大活躍していたし、優勝パレードでも、全くそんな素振りをみせていなかったので驚いた。

昨年の盗塁で怪我をしたが強行出場した大谷選手、今年の連続登板の山本投手もサムライだが、キケ選手もまた、プエルトリコのサムライである。ドジャーズが2連覇したのも、こういうチームの勝利第一の姿勢があってこそだったのだろう。

大谷選手が、多忙なスケジュールの中、日本のお菓子を持って見舞いに行ったとの報道も出た。2人の対話もまた、実にいい。私は、キケが大好き。来季もドジャーズに残って、重要なピースとして3連覇を目指して欲しいとい祈るのみ。

教材研究 オランダの国是

https://jp.123rf.com/photo_198726138_
オランダの国是は、王室のモットーである「Ik zal hanghaven」(我、守り続けん)である。何を守るのか?それは、スペインから独立した歴史と、海跋以下の土地を水利・治水技術による国土保全だといえる。非公式な国是には、「独立・自由・寛容性」が挙げられる。ここで謳われる自由と寛容性は、フランスのユグノー戦争で迫害を受けた人々を受け入れた歴史や商業国家として、合理的な精神性と対話力などが背景にあるようだ。

オランダは、世界的に最もリベラルな国家だと言われる。まずは、マリファナなどのソフトドラッグとハードドラッグ(LSDなど)を区別し、マリファナについては、コーヒーショップで非刑罰対象として許可していることが挙げられる。(マリファナの使用率は、EU諸国の平均くらいだと言われている。)また、2001年に世界初の同性婚を認めた国でもある。さらに、厳しい条件(患者の示達的かつ熟慮による要請/患者の苦痛が永続的で耐え難いこと/他の合理的解決策がないと患者と医師が確信していること/別の医師の意見を聞いて判断等)のもと、世界初の安楽死を合法化した国でもある。オランダでは、2013年の統計で9068件の安楽死の処置が行われたという。これには、国民の過半数が無宗教という宗教的背景がある。オランダと言えば、ゴイセン(カルヴァン派)の拠点で、前述のアフリカーナーと同じかと思いきや、本国では、すでに(日本同様に)他のプロテスタントと合併し、13%ほどになっていることが大きい。

…国是やその国の理想を語るうえで、オランダは外せないと判断した。私が、ケニア視察の帰路に見たオランダ・アムステルダムは、LGBTの象徴であるレインボーフラッグがあふれており、まるで、NYCを彷彿とさせたのだった。もちろん、いくら合法とはいえ、マリファナを吸うことなど思いもよらなかったのだが。ところで、教材としては、売春の合法化については触れないことにした。女子生徒が多いし、適当でないと判断したのである。とはいえ、アムスでは、お土産屋には、飾り窓のマグネットが溢れていたのだった。

2025年11月17日月曜日

教材研究 南アの虹の国

ケニアの農村で、キャッサバを見せる故ピーター・オルワ氏
…JICAのケニア視察旅行の帰国時の空港で、コーディネーターの故ピーター・オルワ氏が、最後の最後に「レインボーだよ、レインボー!」と叫んだ。 その時は、なぜ彼がそう叫んだのかわからなかったのだが、今思うと、南アのマンデラ大統領が主張した「虹の国」を、ケニアも含めてアフリカ全体の明るい未来への希望を込めていたのだと思う。今回の「国是」の中に南アを含めたのは、故ピーター・オルワ氏へのリスペクトからである。

南アの国章には、カム語で「多様な人々の団結」という文字が刻まれている。人種平等の達成と民主主義の実現、多様な民族が共存する「虹の国」としての国家を建設するという願いからである。国歌も、コサ語、ズールー語、ソト語、アフリカーンス語、英語の5ヶ国語で構成されれている。国歌の元になったのは、コサ語とズールー語の「アフリカに祝福を」とアフリカーンス語の「南アフリカの叫び声」である。

南アはアパルトヘイトという過去を持つことは周知の事実である。アフリカーンス語を話すアフリカーナーは、主としてオランダ系のカルヴァン派(+フランスからオランダに逃れたユグノー等)である。彼らがアパルトヘイトを主導した。ボーア戦争でイギリスの植民地となったが、WWⅡ以後政治の主導権を握ったのだった。カルヴァン派の予定説から見れば、現地の黒人は、全くの差別の対象となったのである。

ともあれ、今はアパルトヘイトは廃止された。だが、そんな簡単に解決するわけはない。南アは今もジニ係数(国内の経済格差を計る指標)では世界最悪の数値を叩き出している。

…故ピーター・オルワ氏の叫んだ「レインボー」は、未だ道半ばである。

2025年11月16日日曜日

教材研究 露のナショナリズム

ロシアには正式な国是はないが、伝統的な価値観と国家の主権を守るという強烈なナショナリズムがあると言える。もとは、モスクワ公国という小さな存在だったが、領土拡大で世界一の面積を誇る大国になった連邦国家で、89の構成主体(48の州、9の地方、3つの市、24の共和国、1自治州、4自治管区)に分かれている。(ウクライナとの紛争で係争中の6地域を含む。)

ロシアは、対ナポレオンとの祖国戦争、対ナチス・ドイツとの大祖国戦争で、多大な人的被害を出した国であり、この歴史からナショナリズムが強い国家となった。また、ユーラシア主義が国是とみられることもある。ロシアは、ヨーロッパでもアジアでもないという地政学的概念であり、モンゴル帝国の征服を受けた歴史やビザンチン帝国の正教会を受容した歴史、中央アジアのイスラム国をソ連時代に従えた歴史を持っている。現在のプーチンはこのユーラシア主義者だという主張もある。

ロシア革命による世界最初の社会主義国としての歴史は、プロレタリア独裁という体制をとり、スターリンの治世ではスターリニズムという個人崇拝と恐怖政治が行われた。この影響は大きく、ソ連崩壊後、市場経済に移行したものの、民主主義は確立せず、自由や権利、表現の自由などはかなり制限されている。今も独裁政治体制だと見るのが妥当だろう。

ロシア正教会は、ソ連時代は弾圧されたが、WWⅡの大祖国戦争時にスターリンによって復活され、他の国家以上に二人三脚で政府を支えている。核兵器を祝福したことでも知られる。

…ロシアは、ロシア帝国時代に領土拡張の結果、日露戦争後に経済的混乱をきたし、ロシア革命を呼んだ。ソ連は、これも領土拡張(というか親ソ政権の確保のためだが…)アフガン侵攻で同様に経済的混乱を呼び、ソ連が崩壊した。同様の歴史を繰り返すというYouTube(神野正史の世界史ワンポイント講座34回:URLが長いのでタイトル表示)を見たが、納得せざるを得ない。現在のウクライナ紛争も同じ過ちを繰り返しそうだ。

…実際、すでにロシアの軍事力は60%損失し、25万人の死者を出しているという情報もある。なにより、経済を支えてきた軍事産業が国際社会での評価を落としているようである。石油や天然ガスといった鉱産資源と並ぶ経済基盤が危ういようである。今回の授業では、こういった深部に触れる時間的余裕はないが、国民生活もかなり危機的な状況であるらしい。

2025年11月15日土曜日

世代を超えて教えたいこと

https://www.etsy.com/jp/listing/1823702526/arabama-heart-of-dixie-nanbpurto-3ag0666
地理総合の授業では、アメリカの国是や理想、11のアメリカといった地誌的な内容が一息ついたところである。期末考査まであと2週間。ここからは、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、南ア、オランダとテーマ講義が続いていく。ちょっと気になったことを、エントリーしたい。

ウェストバージニア州(州コードはWV)は、グレイト・アパラチアの起点となった州であるのだが、私は9.11の話をする。9.11については、生徒諸君はおよそ映像などで知っていて通じるのだが、オノ・ヨーコがNYCのNYタイムズ紙”IMAGINE PEACE”という広告を出したことを述べた際、生徒諸君はオノ・ヨーコが誰なのかを知らない。亡夫・ジョン・レノンの名も軽音楽部の生徒以外知らない。まさに世代的な認識の相違である。さて、WVで、女子高校生が平和を訴え、退学になった話をする。実際の攻撃を受けたNYCでオノ・ヨーコがこういう広告を出してもさして非難は出なかったのだが、WVでは、”平和を”と書かれたビラを撒いた女子高校生は退学処分になったのである。この事件は、民放のある報道番組で大きく取り扱われた。平和主義を国是とする日本らしい話のだが、私は、WVのいう地域性に対するマスコミの無知を感じた。アパラチア炭田が主産業で、斜陽化後は軍人になった人々が多いプワーホワイトの州、WV。彼女の行為は正義であったかも知れないが、地域性と真っ向から対立する行為だったのだ。

ディープサウスでは、”Heart of Dixie”=南部の心臓という愛称をもつアラバマ(州コードはAL)のカープレート(画像参照)を見せて始まる。もちろん、かの公民権運動の震源地としてのモントゴメリーのバスボイコット事件について語るのだが、M・L・キング牧師の”I have a dream”の演説は、今の高校生には直感的に伝わらない。昔は、中学の英語の教科書に必ずと言っていいくらい載っていて、暗唱できる生徒も多くいたのだが…。この公民権運動自体も教える機会が少なくなったように思う。アメリカの多民族社会を”人種のるつぼ”から”人種のサラダボウル”と言い換えているアメリカというかWASPにとっては、ネイティブアメリカンへの仕打ちと共に黒歴史ではある。日本の教育界が忖度したのかもしれないが…。

私は、善悪や美醜を超えて、知る限りのアメリカという国を、世代を超えて伝えたいと思うのである。昨日下校時に、ある生徒が「授業を聞いて、是非アメリカに行ってみたいと思いました。」と言ってくれたのが、何よりうれしい。

2025年11月14日金曜日

社会科学習とコロナ禍の影

https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/218009/051700045/
学院の社会科教員Y先生との会話の中で、社会科学習にとって重要な時期は、小学校の高学年と中学時代の基礎的な事項の学びではないか、という話になった。たしかに、私自身の経験からも、この時期に詰め込んだように思う。今だに地理の国名や首都名、日本の県名や県庁所在地、主な山脈や岬名等は、小学生時代にに完全に頭に入れたし、日本史や世界史、政治分野のおよその流れもこの時期にインプットされている。

中学時代は、社会科好きの友人がいて、朝日年鑑などを読み合って背伸びして難解な用語を頭に入れたりもしたものだ。

ところで、今の高校生の年代は、この重要な時期、コロナ禍の影響をモロに受けた年代であるのかもしれないとY先生は言われる。なるほど…。偏差値は決して低くないのだが、意外に一般常識的なことを知らないことが多い。高校の社会科は一気に学習内容が深くなるのだが、その基盤が形成されていないように感じるというわけだ。

コロナ禍の時期は、学習をサボろうと思えばサボれた時期だ。学ぶ意識が高ければ自学自習できただろうが、コロナ禍に流された可能性は高いと私も思う。

…この会話の後、私はM高校に視察に来た中国の社会科教師のことを思い出した。彼は、文化大革命時代(画像参照)に学生生活を送った故に、英語を学ぶ機会を失い、一切英語が話せなかったのだ。日本視察を命ぜられるほどの教師であるのに、簡単な会話でさえ不可能で、さすがの私もコミュニケーションを取れなかったのだ。まさに、世代的悲劇である。コロナ禍は小さな文革といったところだろうか。

2025年11月13日木曜日

佐藤優『哲学入門』を読む。

学院の図書館で、佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)を借りてきた。この書は、2019年冬に同志社大学神学部大学院神学研究科の学生たちと4泊5日の集中講義の記録である。そのテキストとなったのは、淡野安太郎の『哲学思想史』である。

周知の事実ながら、同志社大学神学部は佐藤優氏の母校である。タイトルは、『哲学入門』となっているのだが、プロテスタントの神学生への講義としての哲学入門なのである。よって、キリスト教神学就中プロテスタント神学と、西洋哲学の両方の知識が必要な書である。西洋哲学の方は、高校倫理の教師であるので、そんなに問題はないのだが、幸いにも、昨年春から学院にお世話になってから、図書館のキリスト教の書籍を乱読してきたので、ある程度、この特別な書を読めるようになっていること自体が嬉しい。

面白いので、朝夕の通勤時についつい読んでしまい、またまた莫大な付箋を付けまくっている。いずれ、少しずつ書評と言うは、興味深い話をエントリーしていこうと思っている。

2025年11月12日水曜日

アテネの民主政と陶片追放

https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E3%81%B8%E3%8
1%AE%E6%8B%9B%E5%BE%85%E4%BD%9B%E6%95%99%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%
AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E9%83%A8/dp/4790716872

佛教大学歴史学部編の『歴史学への招待』(世界思想社)から書評をもうひとつエントリーしたい。井上浩一氏の「憶える歴史から考える歴史へ アテナイの民主政と陶片追放」という項である。氏の一回生の「西洋史概論」で古代ギリシア史の講義の実践記録である。

ペイシストラトスの僭主政治の後、クレイステネスが民主政を確立させる。高校の世界史では、直接民主政の細かなところまではやらない。この項では、さすが大学での講義という感じで、実に興味深かった。

全ての国民が参加する「民会」と、執行機関として少数で構成される、それまで貴族が牙城としていた「評議会」をクレイステネスは、「五百人評議会」に改編した。アテネ市民の中から抽選で毎年500名を選んだ。なるべく多くの人が就任できるように、生涯で2度という制限をつけた。500名の評議員は、50名ずつ35~36日間の任期で当番評議員を構成する。この当番評議員は、今日の内閣にあたるもので、日常的な政務のほか、評議会や民会の招集権限をもっていた。市民の中から50人が順番に各々1ヶ月あまり大臣を務めたわけである。当番評議員から、抽選で1名が評議会議長(内閣総理大臣であり、民会の議長でもある)となったが、任期はたった1日で二度と就任することは許されなかった。

氏は、18歳以上のアテネ市民を推定3万人として、評議員になれるのは30歳以上の市民とした場合、評議会議長になれる確率を考えるのも面白い、としている。これらの民主政は、僭主が再び現れないようにとの想いから出たものだが、それでもなお懸念が残り、陶片追放というシステムである。民会で行うべきという意見が多数を占めた場合に行われ、投票数が6000にたしたら、あるいは6000以上の人物のうち最多得票となったらの二説あるのだが、財産や市民権を失うことなく、10年間の国外追放となったという。

ペルシア戦争・マラトンの戦いの少し後、陶片追放が初めて機能した。かつての僭主ペイシストラトスの親族であった。しかし影の部分もあった。政敵を打倒するために組織的な投票が行われたり、流言飛語や風評で有能な政治家・将軍が追放の対象となった。マラトンの戦いで活躍したアリスティデス、サラミスの海戦でペルシア艦隊を撃破したテミストクレスも陶片追放となった。有名な政治家・ペリクレスは、若い頃、この陶片追放=民衆を恐れていたと伝えられる。彼の晩年にアテネは、スパルタとのペロポネソス戦争に突入し、陶片追放も戦争中に最後を迎える。この約100続いた陶片追放について、学生に是か否かを問うという。実際の是非の意見も付記されていたが、なかなかよく書けている。

…実に面白い。自分の意見を形成するとともに、他者の意見をよく聞いてさらに考える。こういう歴史学習は、いいなと思うのである。受験の世界史や日本史では味わえない歴史の醍醐味を得ることになると思う。

2025年11月11日火曜日

桂小五郎から坂本龍馬への書簡

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/575896
佛教大学歴史学部編の『歴史学への招待』(世界思想社)という本の青山忠正氏の項に、桂小五郎(木戸孝允)から坂本龍馬宛の書簡の話が出てくる。当時、桂は薩摩側の求め(黒田清隆を薩摩は派遣した。)に応じて、京都の薩摩藩邸で西郷と小松帯刀との直接会談をし、大坂の薩摩藩邸に下って、伏見にいた坂本に六か条の書簡を書いた。(上記画像参照)

この書簡には、「尽力」「周旋尽力」「冤罪も御免」などの語彙が何度も出てくるのだが、当時の大前提を理解していないと何のことか全くわからない。大前提とは、禁門の変以来、毛利家当主父子が、官位停止の措置を受けていたことである。当主・慶親(よしちか)は、天子から「従四位上参議左近衛権中将」、十二代将軍家慶から「松平大膳大夫」の称号を受けていたし、世子・定広は「従四位下左近衛権少将・松平長門守」を受けていたのだが、それらが停止・剥奪されてしまったのである。これは、大名の公式資格の剥奪にあたる。領外の公式の場に出席することも、はたまた家臣の末に至るまで領外にでることもできない状況であった。桂の手紙には、このような大前提を文字にすることさえ忍びないことであったし、明治になって、長州は「朝敵」となった前科を隠し、周囲もまたあからさまに口にすることを憚った。時代が下がるにつれますますわからなくなり、専門研究者でさえ理解されなくなっていったとのこと。

この大前提を薩摩に覆して欲しい、さらには、この周旋努力を遮っている「橋会桑」(一橋慶喜:禁裏守衛総督・会津藩主松平容保:京都守護職・桑津藩主松平定敬:京都所司代)といった、将軍家茂や老中小笠原長行より孝明天皇に近い彼らが邪魔をするようなら「決戦」(薩長の武力行使)も辞さない合意というのが、書簡の内容で、坂本に、長州と薩摩の了解事項は、これでいいだろうかと問い、必要なら朱書きを入れてくれということだった。桂としては、薩摩の口約束を信用するしかなかったのだが、坂本を通じて再確認したかったのだろう。

時は、第二次長州征伐前夜である。坂本は、朱書きを入れずに、この桂の書簡を西郷や小松に見せ、了解を得たと桂に伝えた、と推察される。歴史学から見た薩長同盟の姿がここにあるわけだ。

…たしかに、この長州毛利家の官位停止の話は、初めて知った。幕末史の関係書籍はかなり読んだつもりだったが、この件は初めてで、大いに勉強になった。

2025年11月10日月曜日

教材研究 ドイツの反省と貢献

https://lacosuke.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/33-9fdc.html
ドイツは、16の連邦州で構成され、各州は独自の憲法と広範な自治権を有している。非公式な国是には、「統一と正義と自由」がある。統一は、領邦国家として英仏に遅れを取った歴史をもつドイツにとって、また冷戦下で東西に分裂したがゆえに、重みがある。

一方、ドイツの国是は、国歌の三番の冒頭で「民主主義や法の支配」といった普遍的な価値を重視する姿勢だという見方がある。ドイツは、ビスマルクが統一後、社会主義者を弾圧しつつ、疾病保険法、労災保険法、障害・老齢保険法を成立させ、社会保険制度を確立させた、社会権の先駆者である。WWⅠ後のワイマール憲法は、当時としては最も民主的な憲法(国民主権・男女平等の普通選挙法・社会権の保障等)であったが、ナチスがこれを利用して、民主的プロセスで台頭した。警察権を握りドイツ共産党を壊滅させたうえで、時限立法の全権委任法を成立させ独裁へと持っていく。SA(突撃隊)などの暴力も有効に活用して、ではあるが…。

そのナチによって、WWⅡが引き起こされ、ホロコーストを行ったことは、ドイツにとって極めて重要な反省すべき問題である。「イスラエルの安全はドイツの国是である。」といった考え方も強い。名誉職的な色彩が強いドイツの大統領は、イスラエルへの贖罪が最も重要な政務の1つで、何度も訪問しては贖罪の演説をしたりしている。ただ、最近のガザやイランとの問題で、この国是が揺れていることも事実である。

イスラエルへの贖罪だけでなく、ドイツは国際貢献に熱心である。シリア難民を最も受け入れたことや、戦争で身体的に障がいを受けた子供を預かり、治療して戻すドイツ国際平和村も、その贖罪意識から出ていると私は思う。

ドイツは、伝統的に、理性によって自ら構築した理論構築を重んずる国である。かのナチがホロコーストを行う際に、ニュルンベルグ法でユダヤ人の定義をまず規定したことが、印象に残っている。このドイツの理性については、フランクフルト学派から「道具的理性」と揶揄されているが…。

…イスラエル行で、死海に行った際、バス(画像参照)が途中で動かなくなった。後から来るバスを待っていたのだが、選民意識の強い超正統派は他者を顧みず我先に乗って行った。老人や女性を優先スべきと考えた我々(私と妻と息子の妻)は、最後まで残ったが、同じく残っていたのは、ドイツ人青年だったことを思い起こさせる。彼の胸中にあったのは、贖罪意識だったのか、日本人的発想と同じ理性的判断だったのか…。

2025年11月9日日曜日

学園サッカー部 惜敗 全国逃す

https://sports.yahoo.co.jp/video/player/23055589
学園のサッカー部の全国大会県予選決勝が13:00から行われた。LIVE中継が繋がらなくて、ネットを何度も検索していたら、前半は1対1で、最後の最後に1点を決められたようだ。 

相手のユニフォームも赤で、今回は白のサブ・ユニフォームだった。画像は、ついさきほど見つけたダイジェストで、フリーキックから、学園がヘディングで先制点を奪った場面である。

文武両道の学園としては、夏のインターハイとは違い、全国大会なので3年生が何人残っていたかはわからない。だが、よくここまで上ってきたと思う。非常に悔しいが、それもまたサッカーというスポーツの醍醐味である。これからの人生の大きな財産になると思う。これからも応援しているよ。

2025年11月8日土曜日

学院と緑のサヘルの「縁」

https://sahelgreen.org/
先日、学院の人権担当のS先生から、校内の教員用の通信アプリで、緑のサヘルのカレンダー購入のお知らせが届いた。どうやら、学院と関係の深い修道会が支援しているらしい。緑のサヘルは、ブルキナファソで活動するNGOで、ワガドゥグでスタップのMさんに色々お話を伺った経緯もあり、またまた学院と私の「縁」を感じた次第。

さっそく購入申し込みをさせていただいた。緑のサヘル…なつかしい響きだ。こうした地道な活動がアフリカの貧困解消に与えている影響は大きい。カレンダー購入によって少しでもお役に立てればと思う。

2025年11月6日木曜日

誤読と暴走の日本思想 8中沢

『誤読と暴走の日本思想』(鈴木隆美著)の書評の最終回。中沢新一の『チベットのモーツァルト』を中心に…。この『チベットのモーツァルト』、学生時代に購入したような、していないような曖昧な記憶しかない。ただ、当時は浅田彰とともにニューアカデミズムの旗手と評され、大変な人気だった。ただ、浅学だった故に、浅田彰ほどの影響を受けなかった記憶がある。

中沢新一は、ざっくり言ってしまうと、ネパールでチベット密教の修行をして、これをポストモダン思想で読み解くという、アクロバットのような思想を展開したのだが、タイトルは『チベットのモーツァルト』である。これは、ジュリア・クリスティヴァ(ブルガリア生のフランスの女性文学理論家)の表現で、彼のパートナー・フィリップ・ソレルスの『H』という小説を称える言葉で、その官能的な文体の音楽性を讃えるために「チベットのモーツアルトのような」と表現した。中沢は、このノロケとも取られない表現をあえて字面通り真面目に受け取り、チベット密教と神秘体験とつなげたようだ。『チベットのモーツァルト』には、次のようにある。

「ぼくは、この言葉(チベットのモーツアルト)に、ゴタール(フランスの映画監督)風の東風趣味とともに、クリスティヴァの意図を超えていく思想実験の意思のようなものを込めようとした。ぼくは、『純粋理性批判』の引力圏内(カントの理性的近代哲学の圏内=西洋哲学の圏内)にとどまっているクリスティヴァのような人が、何の説明も用意しておらず、また何らの語彙も持ち合わせていない意識状態にたどりついてみたいと思った。仏教的伝統が空とか無とか呼んでいるそのような解き放たれた意識状態にたどりついて、そこから自分と自分のまわりの世界をよりよく知りたいと思った。意識のヘルメス的変成(紀元前からあるオカルト:フランス文学や哲学でよくある表現)をめざすモーツアルトになること、錬金術師としてのモーツァルトになること、そしてその時ぼくが選びとったのが、意識のヘルメス的変成をもたらすためのチベットの技術だったのである。」

…四捨五入すれば70となった今となっては、理解できないこともないが、学生時代の私には難解にすぎる文章である。

著者によれば、ドゥルーズ、レヴィ=ストロース、バタイユ、クリスティヴァといったフランス思想が中沢のバックボーンで、人類学者として修行の体験をフランス思想で語ってみせた。これらの知の技法は、アナーキーなドゥルーズでさえ、アンチを突きつけているのはフランス、せいぜいヨーロッパの知的状況なわけで、その文脈から引っペ返し、チベット密教に応用して、かつそれを日本語言語文化の中にねじ込んだとしている。西田哲学の禅から導かれた「純粋経験」のようなものをドゥルーズ的な「差異」「生成変化」「多様体」といったタームへと接ぎ木していくのである。また、ドゥルーズとは全く交わらないデリダの「脱構築」とも繋げている。西田が、ヘーゲルの有の弁証法を無の弁証法に書き換え、ベルグソンやジェームズなど互いに相容れないヨーロッパの近代思想を仏教思想に接ぎ木したのとほぼ同じというわけである。

…以上が、およその著者の中沢新一の論評である。著者自身は以前中沢のファンであったことを自認していながらも、クールに論評している。たしかに興味深い論評であった。

誤読と暴走の日本思想 7 和辻

久々に『誤読と暴走の日本思想』(鈴木隆美著)の書評の続きである。本日は私の好きな和辻哲郎。

東北大学の外国人講師であったユダヤ人・カール・レーヴィットが日本で発表した『ヨーロッパのニヒリズム』の中で、「日本の哲学者は二階建ての家に住んでおり、二階ではギリシャから現代に至るまでの諸学説を並べながら、一階では相変わらず日本的に考えたり、感じたりしている。そして外国から来たものには、一階と二階をつなぐ階段がどこにあるのか容易に発見できない。」と述べている。和辻哲郎は、この文章を引用し、賛同しつつ、この二階と一階をつなぐ階段を、「風土」「間柄」などの概念で作ろうとしたといえる、と著者は述べている。

和辻の「風土」も「間柄」も日本語文化圏的な発想の中で語られているので、非常にわかりやすい。ただ、「風土」では、現象学的・ハイデッガー的分析を行い、かなり強引な文化的接ぎ木を行っている。

また『日本精神史研究』で、本居宣長の源氏物語から抽出された「もののあはれ」を分析しているのだが、イデアリズムの訳語である理想主義や、内在、純化、理念という明治以降の翻訳後、さらにはSein Sollenといったドイツ語まで使っている。西洋哲学的な発想のもとの分析である。これは、和辻哲郎の代表作・『倫理学』でも同様で、その構成は、ヘーゲルの法哲学の「人倫」の構成を真似ている。しかし、ヨーロッパの個人主義を過剰に扱われすぎだと”ちゃぶ台返し”をしている。この辺が西田幾多郎との共通点でもある。

…このように、和辻哲郎は、ハイデッガーやヘーゲルの影響を受けつつ、一階での日本文化圏からの階段を作ろうとしたのであった。私は、和辻哲郎の思想はわかりやすくて好きである。仏教や東洋思想、国学など様々な視点と、西洋哲学が接ぎ木され、見事な誤訳・暴走であることは、著者と同様、あっぱれと言うべきであると思う。

2025年11月5日水曜日

ロハス選手とキケ選手残留期待

https://news.ntv.co.jp/category/sports/a030401401f4446fb9321ab8050b07c4
WSを終えて、一気にストーブリーグに突入した。MLBのプラグマティズムは凄い。選手は商品であり、その価値を計りつつビジネス拡大に動く。YouTubeでは、真偽さえ不明の様々な情報が溢れていて、大混乱なのだが、どうもロハス選手とキケ選手のFA、放出の可能性があるのは本当らしい。大谷選手や山本由伸選手、ササミローキ選手ら日本人投手トリオやフリーマン選手が、引き止めに必死で動いているらしい。

ベテランのロハス選手とキケ選手の投打に渡る活躍無しではWS連覇はなかった。それは誰もが認めるところだ。連覇した喜びもつかの間、彼らに対する冷遇は日本では考えにくい。これが、MLBだと言われればそれまでだが、今年のドジャーズには、個人のことより、チームのために戦うという実に日本的な精神が息づいている。哲学的に言えば、欧米的個人主義を乗り越えた日本的間柄的集団主義が根付いている。まさにこの精神こそが連覇を呼んだと行って良い。

フロントがその流れを破壊しようとしていると、選手には映っているはずだ。とはいえ、MLBは、プラグマティズムに支配されたビジネスであることも事実。難しいところだ。

ファンは、こういう情報に一喜一憂する。私としては、ロハス選手やキケ選手には絶対残って欲しい。アメリカは、民主主義の国であり、こういったファンの期待にも耳を傾けることも重視するわけで、遠い日本から、微力ながら私もこの2人を是非応援したい。できればヌートバー選手も取ってほしいな。

2025年11月4日火曜日

WS 日本精神の伝道師 3人

https://www.facebook.com/groups/206578767960199/posts/1213242400627159/
とにかく凄いWSだった。その余韻は今も残っている。本日のエントリーは、WS関連のちょっといい話。まずは、世界的に有名になったブルージェイズファンだが、大谷選手も大好きな少女の話。 このボードには、”大谷、今日は打たないで だけど私は大谷が一番好き”と書かれている。第6戦の話だ。この少女と父親は、試合終了後2時間も大谷を待ち続けた。警備員がそのことをドジャーズ側に伝え、会見を終えた大谷は彼女たちの元へ向かい、頭を下げた。「野球を好きでいてくれてありがとう。そしてこんなに長く待ってくれてありがとう。」と。

https://www.youtube.com/shorts/bh97Kq1Bva8

大谷選手のこういう温かな話は、ほんと枚挙にいとまがない。日本人としては、アメリカの人々が驚くほど特別なこととは思わない。2時間も待ってくれていた少女のもとに向かうこと、サインボールをあげることは、ある意味当然の所作のように思える。第7戦のあとには、大谷選手は、翌朝ゲレーロ・JRとバットの交換をしたらしい。あれだけの名勝負をした相手に、そういうカタチで敬意を示したことも、日本人としてよく理解できる。大谷選手は日本精神の伝導師であると私は思っている。

山本由伸投手もまた、日本精神の伝導師であると思う。あの2日連続の投球の裏には、山本投手が日本から連れてきた凄いトレーナーというか師匠の存在が会ったのだ。やり投げを練習でしている画像が、シーズン中も流れていたが、ユニークな、しかし適切な指導をする人物であるらしい。無理をして連投したように思われているが、実はトレーナーのお陰で、十分可能な状態であったようだ。

https://www.youtube.com/watch?v=3Icj11AIto0

なにより、純粋に素直に師を信じて取り組んできたこと。チームのために何でもさせていただくという武士道。それが日本精神の伝導師たる由縁であると私などは思うのである。あ。真美子夫人もそうだな、と思う。タイトルを急遽3人に増やしたのであった。

2025年11月3日月曜日

学園のサッカー部決勝進出

https://www.youtube.com/watch?v=jQw0BPF_a9w&t=9692s
学園のサッカー部が是rン国サッカー選手権・兵庫県予選で決勝に進んだ。延長を戦い抜いての2-1で勝利した。画像は、最後のK高校のフリーキックを凌いだ場面。インターハイはともかく、全国大会は決勝は5年ぶりと聞く。当然ながらもう教え子はいないけれど、応援したい。決勝は9日。三木市までは遠すぎるので、YouTubeでの応援になるが…。

https://www.youtube.com/watch?v=E0yXGUtitNI
ところで、兵庫県の有名高校の2025年春の進学実績を集めたYouTubeチャンネルがあって、学園も出ていた。この年度は、文系3クラスの2年生の時に関わった生徒たちである。京大に10、阪大に15、神大に12、大阪公立に15。…そして東大に1。凄いな。医学部に10名。早慶に計9名。この学年の担任の先生方、進路の先生方の顔が浮かぶ。
この偏差値61というのは、1/7クラスの高校入学者のもので、中学からの生徒が圧倒的に多いから、あてにならない。それにしても、素晴らしい文武両道の学校である。

…2年間という短い期間だったが、この学園の教育に関われて光栄に思う次第。

2025年11月2日日曜日

祝 WS連覇 奇跡的な勝利

https://www.youtube.com/watch?v=v7d6KVLmqME
WS最終戦、厳しく長いWSをドジャーズは奇跡的にモノにして連覇を果たした。勝った瞬間、私も涙がでるほどの苦しい苦しい勝利だった。正直、ブルージェイズの方が強いのではないか、と思えるほどの凄い試合だった。

https://www.youtube.com/watch?v=WJk0XGCBXeU
中3日で、大谷投手が先発したが、これまでの戦いで疲弊してるのは明らか。だが160kmを超える球を何度も投げ込んでいた。やはり彼は凄い。再三ピンチを迎え、3回裏に3ランを浴びて降板。4回表にスミス捕手の二塁打、フリーマン選手のヒット、テオヘル選手の犠牲フライでやっと1点を返した。昨日投げたグラスノー投手が継投のマウンドに。Wシリーズ最終戦ならではの豪華リレーとなった。6回表、ベッツ選手の四球、マンシー選手のヒットで1・3塁の好機にエドマン選手の犠牲フライで1点追加。6回裏に1点を返され、また2点差に。7回裏、シーハン投手が継投し、8回表にマンシー選手がソロHRで1点差に。8回裏には、ついにスネル投手が継投。先発陣の継投に継ぐ継投で9回表に期待を繋いだ。ここで、ベテランのロハス選手が、値千金のソロHRで同点に追いつく。(画像参照)

…私は、古い話だが、ミュンヘンオリンピックの男子バレーで、それまで出番のなかったベテランの南選手が大活躍して金メダルを取ったことを思い出した。ロハス選手は南選手のような大活躍をここ2試合で見せてくれたのだった。

9回裏はスネル投手が続投したが、ピンチを迎える。1死1・2塁でなんと、昨日登板したばかりの山本由伸投手が継投。これには驚いた。死球で満塁とピンチを拡げたが、二塁ゴロで本塁封殺、センターフライで無得点。…ヒヤヒヤどころではなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=WJk0XGCBXeU
延長にはいったのだが、10回表、ドジャーズは1死満塁のチャンスを逃す。しかし、山本由伸投手は、10回裏を三者凡退で守り切る。ブルペンでは、ササミローキ選手とカーショー投手が肩を作っていた。二度と見られない光景である。(画像参照)山本由伸投手の奮闘に、11回表女房役のスミス捕手が勝ち越しのHRを放つ。(画像参照)11回裏も、山本由伸投手は1死1・3塁のピンチに。しかし、ベッツ選手がショートゴロを併殺に切って試合が終了した。(下記画像参照)

https://www.youtube.com/watch?v=WJk0XGCBXeU
…両チームとも、攻守が目立った。ほんと紙一重の戦いだった。敗けていてもおかしくなかった。ドジャーズの連覇を喜ぶとともに、ブルージェイズの健闘を心から褒め称えたい。ひとつだけ残念だったのは、最後のマウンドにカーショー投手がいなかったこと。もう少し大量得点差があればかなっていただろうが…。

2025年11月1日土曜日

WS 第6戦 山本投手の粘投勝利

https://www.youtube.com/watch?v=bam2xMfOKOs
WS、敗けたら終わりの敵地第6戦。実にナイスゲームだった。3回に打線がつながり、エドマンの二塁打、大谷選手の申告敬遠、スミスの二塁打、ベッツのタイムリーで3点を取ったが、最終的には、大谷選手の2塁打を含め、H数はドジャーズの2倍。期待どおり山本由伸投手が踏ん張り、1点に抑えたとはいえ、ブルージェイズは投打ともにホント粘り強いチームだ。

久しぶりにロハスがセカンドに帰ってきて攻守を見せてくれたし、キケが最後にライナーを捕球して2塁で刺したのも嬉しい。しかしまあ、よく勝てたというのが本音である。ササミローキは、ブルージェイズにはなかなか三振を奪えていない。最後にはグラスノーが助けてくれた格好になった。

それでも、とにかく明日の第7戦に繋げた。ヒヤヒヤ・ドキドキも明日で終わる。ここまできたら、連覇あるのみ。頑張れ、ドジャーズ。