2022年10月16日日曜日

一神教と多神教の社会構造

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さらに一神教と多神教の社会構造の相違について。

一神教においては、神の意思にそむくことは「罪」である。多神教世界(ここでは日本を中心に論ずる)では、八百万の神の統一した意思というものはなく、それにかわるもの、共同体の掟にそむくことは、罪というより「恥」であり、その人に汚れがあるゆえ、払い、禊という対処になる。現在のコロナ禍で、法制化されていないにも関わらず、日本人が皆マスクをつけているのはそういう社会構造の為せる技であると言える。(現在、一神教世界である欧米などではマスクはほとんどされていない。)故に、一神教世界では、基本的には個人主義的社会である。一方日本のような多神教世界は、個人というより組織や社会が優先される社会である。

一神教世界には骨格がある。天地創造から終末に到る直線的な歴史観。そして神定法。キリスト教では、律法の成就故に人定法。それに対して、多神教世界は骨格がない。故に、仏教や儒教、近代の欧米の思想を融通無碍に受け入れることができた。日本の思想は実に多層的である。このような相違は、社会構造に影響を与えている。

一神教世界の社会倫理は、上記の骨格上から導き出される。善悪は究極的に神が示すところである。しかし、日本の善悪は、古来からの清明心、あるいは仏教的な無常観や縁起、儒教的な仁・義・礼、欧米的な民主主義や人権思想など、人によって組織よってその都度選択される。玉虫色と表現されるように、あいまいな場合も多い。

今回は、ちょっと整理しすぎて593字というところ。これもなかなか難問ではある。

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