2022年10月14日金曜日

「頭山満伝」浩然の気

市立図書館で、太い文庫本が目に止まった。738ページもある。「頭山満伝」(井川聡著・産経NF文庫)である。2学期後半戦、授業で日本の思想をやる。国家主義者の人名も出てくるので、参考に読むことにした。頭山満・玄洋社、といえば右翼の源のようなイメージがある。正直なところ、私たちの世代には「右翼」という言葉には大きな違和感がある。だが、読んでいてかなり引き込まれた。面白いのである。今現在読んでいるところ238ページまでを備忘録的に記しておこうと思う。

頭山満の思想的な系譜は、楠木正成→高山彦九郎→吉田松陰→西郷隆盛→頭山満となっている。幼少期に楠木正成に憧れ、庭に楠を植えたそうで、現在はショッピングモールに変わったが立派に存在してるらしい。高山彦九郎は、太平記を読んで発奮、京都に遊学し尊王思想を強くした尊王の志士の先駆けのような人物。全国を旅して多くの交流を行い親王思想の啓蒙をしたが、時早く幕府の弾圧を受け自刃した。(17923年)三条大橋東詰に、御所に向かい土下座する像が高山である。(この像のことは知っていたが、これが高山彦九郎だと始めて知った。)吉田松陰や西郷隆盛に影響を与えていることは当然である。この高山彦九郎の流れをくむ儒学者亀井道斎門下の四天王の一人とされたのが高場乱(おさむ)という女性眼科医で儒学者で、頭山は、彼女の塾(興志塾:通称は人参畑塾)に学んでいる。この高場乱という人も実に魅力的な人物である。ちなみに、吉田松陰の「松蔭」は高山彦九郎の諡(おくりな)である「松蔭以白居士」からとったと言われている。で、頭山にとって、最も重要な精神的師と言えるのは西郷隆盛である。萩の乱に参加しようとして果たせずそのまま獄に入れられ、西南戦争が終わって出所後の24歳の時、西郷の実家を訪れ、大塩平八郎の「洗心洞箚記」(当時は禁書で西郷が愛読していた、紙はボロボロで自筆の書き込みもある貴重なもの)を無断で借用した。東京や東北への旅でも肌身離さず熟読し、血となり肉とし、1年後に返却している。(とんでもない人物である。笑)よって、陽明学が頭山の思想的な基盤と言ってもいいだろう。

陽明学といえば、「浩然の気」であるが、頭山満本人も含め、玄洋社の人物は凄い。進藤喜平太は、萩の乱で獄中にある時木馬責めにもニコニコと穏やかな表情で泰然自若であった。畏敬の念で見られていたという。また玄洋社草創の頃、他県の政治結社との飲み会で、酒の飲めない頭山に親分格の男が「わしの酒が受けられんのか」と怒鳴った時、進藤が歩み寄り、襟首をつかんでずるずると引きずり階段から突き落とした。一座に向かって、ニコリと笑ってみせたという。進藤は、嬉しい時はもちろんニコニコすが、何か気に入らぬことがある時もニコニコする。そのまま立ち上がると、相手の強弱、人数の多さなど全然問題にしない。腕力も何もない。柔道家でもない。しかし相手は皆進藤の気にのまれて、手も足も出ない。その行動の強さは、物事は理屈ではない、精神ひとつだということを示している。

こんな内容なので、ついついのめり込んでしまうのだった。

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