2022年7月13日水曜日

プリズンの満月 吉村昭

このところ吉村昭にハマっていて、アマゾンで「プリズンの満月」を注文し、先日読み終えた。この本は、学園・市立そして地元の図書館にも文庫本が置かれていなかった故である。とはいえ、送料込みで300円強。長い通勤時間のことを考えると買うのに逡巡はない。(笑)この本のタイトルを見て、巣鴨プリズンの話であることはすぐ分かった。ただ、予想が外れたのは、いわゆるA級戦犯が処刑された後の巣鴨プリズンの話であったのだ。A級戦犯が処刑されるまでは当然ながら米軍が管理していた。朝鮮戦争が始まり、米軍の人員削減のため、日本人刑務官が巣鴨プリズンにも動員されることになる。その動員された主人公は架空の刑務官である。ただ、吉村昭の作品であるから念密な史料をもとに書かれている。

最初は、日本人刑務官は、A級はもとよりB級・C級の戦犯に直接接することは出来ず、米軍のカービン銃を持たされ外に向って警備させられていた。これは戦犯を奪還しようとする者が現れた時のための警備である。日本人刑務官は最初そういう敗戦国国民としての忸怩たる思いに苛まれる。表題となった『プリズンの満月』は、そういう時期の描写から取られている。

前方を警備している同僚が足を止め上方を見ている。主人公もその方向に目を向ける。(ここからは引用である。)『驚くほど大きい満月が、庁舎の上に昇っている。血のついた鶏卵の黄身のように朱の色をおび、月面の陰翳(いんえい)も浮き出ている。…かれは月に眼を向け、日本の月が昇っている、と胸の中でつぶやいた。月光は、獄房の中にもさし込んでいるにちがいなく、窓に身を寄せ、鉄格子越しに月を見つめている戦犯の姿が思い描かれた。死刑確定者は、その月を眼にしながら何を考えているのだろう。過ぎ去った日々のこと、家に残した家族のこと、そしていつかやってくるかしれぬ自分の死のことを思っているに違いない。』

こういう初期の日々から、次第に米軍監督下とは言え、歴代の日本人所長は頑張って待遇改善に奔走していく。連合国の悪意から戦犯を護る姿に感銘を受ける。日本人の中にも、戦犯に同情し郊外の菜園に向かうトラックに手を振る人々もいたし、左派系のマスコミはことさらに戦犯批判を強めていた。中でも、慰問の話は感動的である。幼き松島トモ子氏が洋舞「かわいい魚やさん」を踊り、戦犯たちの何度ものアンコールに答えた話や、後に巣鴨に収容されるフィリピンの戦犯(死刑囚だったが帰国後赦免された)の作詞作曲による渡辺はま子の「ああモンテンルパの夜は更けて」の話など、実に泣ける。

いい歴史小説だった。読者自身が刑務官同様、戦犯に同苦していく小説である。今回は特に主人公はフィクションだが、あまり表に出ていないA級戦犯処刑後の巣鴨プリズンの事実経過がよくわかった。と、同時に終戦直後の悲惨な状況もである。それは、まさに「血のついた鶏卵の黄身のように朱の色をおび、月面の陰翳(いんえい)も浮き出ていた」のであった。

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