2022年7月31日日曜日

昭和の欲望機械


ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オィディプス』の用語で「欲望機械」というのがある。まあ、平たく言えば人間のことなのだが、語感が強烈である。生産年齢ギリギリになった今となっては、少欲知足で、パンナコッタ(6月29日付ブログ参照)をちょっと口にするとか、あわしま堂(7月21日付ブログ参照)のわらび餅が食べたいとかくらいの話なのだが、若い頃はやはり「欲望機械」であったと思う。

https://www.mac-paradise.com/htmls/1100000066491-9.html
高校時代は、SONYのラジオが欲しかった。スカイセンサー5500。(上記画像参照)時代は、ラジカセに向かっていたのだが、これがかっこよくて欲しかった。大学時代には、先端的な友人がパソコンを所持していて、カセットレコーダが記憶装置であり、自分でブログラミングしてゲームを楽しんでいた。凄いなと思いつつ、完全文系の自分には欲しいと思えるものではなかった。しかしその後、教師になってから、友人宅でマッキントッシュのクラシックⅡを見て感激した。当時30万円くらいしたと思う。高嶺の花もいいところだった。しかし猛烈に欲しくなった。免許を取ったあと、クルマも欲しかった。どんなクルマでも買ってやると言われたら、日産のBe-1が欲しかった。限定生産で手に入らない高嶺の花だった。
https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17340602
こうしてみると、昭和から平成にかけて、私も「欲望機械」としていろいろなものを購入した。ラジオはともかく、パソコンは何台買ったのかもう数えられないし、クルマも、国産車では、いすすとマツダ車以外は乗った。いい時代だったような気がする。だから、何だと言われると困るが、ふとそんなことを夢想した、というお話である。

追記:このエントリーをした後、You Tubeでもう引退するという吉田拓郎の「マークⅡ」のライブを聞いていたら、最後の歌詞が染みた。「年老いた男が川面を見つめて時の流れを知る日がくるだろうか。」拓郎自身も、そして私も、時の流れをひしひしと感じている。高校時代から拓郎を聞き、弾き、歌い、して良く知っている曲だが、あらためて染みた、実に染みた。

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