2020年1月5日日曜日

F42国費生に伝えたい事

三崎支所 この2Fの会議室で、年末年始・開塾していました
PBTのF42国費生の諸君は、1月2日から授業で、頑張っていることと思う。卒業研究の発表に勤しんでいることと推察する。T先生から研究発表のタイトルとグループ分けの資料も昨年教えていただいた。なかなかテーマの選択が面白いと思う。おそらく自分たちで決めたのだと思う。地理、昔話、伝統文化、アニメ、社会問題、武士/武道、日本人研究、和のテイスト、社会システムの9テーマを4人ずつのグループで担当すると聞いている。ありがたいことに、このテーマ群、なんとなく私の(教えたことの)匂いがする。

さて、今日は町役場の三崎支所で、冬休みだが塾を開いていた。と、いうより図書館代わりの自習室を提供したといったほうがいい。今日は私の当番で、少しマクロ経済を講じたけれど、ほぼ私は見守るだけに終始していた。F42の国費生は、全員国立大学に進む。今日来ていた3人の生徒も、国立大学を目指している。おそらくこの冬休みも毎日12時間以上勉強を集中してやっているはずだ。見ていると、次々に自分のやるべきことをしている。数学の模擬テストの採点、間違ったところの確認、次は日本史、その次は英語…。カバンから、次々と自分のなすべきことをするため、ノートや教科書が登場する。こちらから、「~しなさい。次は~ですよ。」といった指示などは一切必要がない。

これが、F42国費生のこれから友人となるであろう国立大学に入る日本の受験生である。授業でもそんな話をしたことがあると思うが、日本に留学したから、こういう友人が国費生諸君の周りを取り囲むことになる。EJUも修了試験も終わってほっとしているだろうが、本当の勉強は、これからなのだ。改めて気を引き締めて4月を迎えて欲しい。日本の美の象徴・サクラがみんなを待っているはずだ。

重大告知 1月29日のTVの件

三崎高校㍱より
昨年12月の某日に、三崎高校にTVのロケ隊が来た。フジテレビ系列の”BACK TO SCHOOL”という番組で、芸能人が高校生と学校生活を過ごす転校青春バラエティ番組なんだとか。誰が来たかと言うと、ローラである。
私は、このロケ期間中はずっと塾にいて、結局ローラのロ(RO)も見ていない。(笑)女子の塾生に聞くと、「意外に身長が低かったですよ。」(165cmだが、スタイルがいいので身長が高いという印象がある)とのこと。男子塾生は全員がニヤニヤとして「かわいかったです。」とのこと。

この情報、昨年末に、三崎高校のHPで情報開示されたので、私のブログでもオープンにしていいと思う。1月29日(水)の夜・フジTV系列である。学校のHPには21:00~、番組のHPには、22:00~(共に日本時間)とあるので、時間はそのあたりと言うことにしておこうと思う。(もしかしたら愛媛のTV局の時間が1時間早いのかもしれない。)
私が、この10月からお世話になっている学校の様子が、映し出され、イメージしてもらえるかと思う。

3日間のロケ中の天候はあまりよくなかったので、三崎の海の青さや風車を撮るためにスタッフがまた三崎に来るか、スタッフだけで延泊して風景ロケをするんだろうなあ、などという陰の苦労の事を私は考えていたのだった。

2020年1月4日土曜日

ジャイアンと私の共通点

https://www.youtube.com/watch?v=h_2QTEMFq7I
米国無人機がイランの革命防衛隊司令官をバグダッド空港でで空爆、殺害したようで、新年早々中東がきな臭くなってきた。おそらくイスラエルも臨戦態勢に入るだろう。
と、いうわけで国際情勢は予測不可能な展開になってきたのだが、正月三が日が開けたばかりの”平和日本”らしい話をエントリーしたい。

正月と言えば、おせち料理なのだが、我が家は作らない。妻によると私があまり食べないからということらしい。確かに縁起ものだが好きなものがあまりない。とはいえ、正月にはハムの一塊は、(マレーシアでも)毎年購入することになっている。スライスにはせず、私が丸かじりそて食べるのだ。これが私の正月の慣習である。(笑)ハムの塊を丸かじりするというのは、(正月にしかしてはならない特別な)贅沢な食べ方だと私は思う。この趣旨に賛同しているのが、1986年の映画「のび太と鉄人兵団」の中でのジャイアンである。ドラえもんが作った鏡面世界の中で、「一度やってみたかった」としてハムを丸かじりするシーンがあるのだ。ジャイアンと私はあまり共通点がないのだが、ことハムの塊に対する執着は共通している。

2020年1月3日金曜日

内子町 「内子座」探訪

内子町観光の続きである。大正時代の薬屋さんをモチーフにした「商いと暮らしの展示館」も実に面白かった。ここは人形が各部屋にあって台詞をしゃべってくる。(笑)
隠居部屋では碁の手筋を勉強中
リアルなようでちょっとシュールで面白い。民俗資料の展示としては、なかなかのものである。そしていよいよ、「内子座」へ。木蝋や生糸で内子町が栄えていた時代に建てられたものだ。意外に、といっては申し訳ないが、内子にしても大洲にしても八幡浜にしても大いに栄えていた時代があり、この内子にあっては内子座はその象徴でもあるといえる。(大洲なら元銀行の赤レンガ館、八幡浜にも四国で最初に電気がついたというハイカラな街並みがある)
内子座は、今も現役なのだが、こういう芝居小屋そのものが展示されているというのも面白い。舞台は、歌舞伎のための回り舞台もあるし、花道、妖怪などが飛び出る”すっぽん”、あるいは義太夫の席があったりする。奈落まで見せてくれる。
これまで、様々な文化会館で、学校の檄やミュージカルなどをやってきた身としては、ひさしぶりに、ロー・ホリやアッパー・ホリ(ホリ=ホリゾントライト)などをみるとワクワクする。演劇は実に面白い。シナリオを書くのも、音響照明を考え演出するのも面白い。意外だったのは、「能」のための、シテ柱(シテが登場する位置を示す柱)まであったことだ。内子座は、なんでもござれのシアターなのだ。
<拡大できます>
内子町最後の観光は、妻がWEBで見つけた「折り紙の自動販売機」探しであった。観光地から遠く離れたフツーの住宅地にある。だいぶ迷ったが無事発見した。折り紙の完成品が10円から売っていた。妻は、どれか買うのかと思ったら、写真を撮って終わりだった。(笑)

内子町 木蝋博物館 探訪

内子町は大洲から国道56号線の少し先にある。前々から妻と観光に行きたいと思っていた街だ。北にある町営駐車場に車を置いて、古い町並みを歩きながら、木蝋博物館と商いと暮らしの博物館と内子座の3つの観光地を回るスタンダードなコースを歩いてきた。
木蝋博物館 上芳我邸
正月の3日なので、カフェや民芸店など全てが開いていたわけではないけど、なかなか趣があって面白かったのだ。最初に訪れた木蝋で栄えた屋敷(上芳我邸)では、何より木蝋のつくり方が良く分かった。私の友人に「櫨」(はぜ)の字が名字にある友人がいるが、この「櫨」こそが木蝋の原料であるらしい。私はこの友人の「櫨」を魚のハゼだとずっと思っていた。(よく考えれば木辺がついている!)彼は和歌山県出身なのだが、木蝋に関係があるのかなあと思う。ビデオで伝統的な作り方を見て、実に面白かった。内子の木蝋は明治期から大正にかけて、質が良くシカゴ万博などにも出展されて莫大な富が蓄積されたらしい。マニュファクチュアで資本家が大儲けしたのはよくわかるが、封建制が残る社会状況とはいえ、それなりに労働者もちょっとは豊かであったらしい。資料館のオジサンが、仕事はきついが給料は高かったと教えてくれた。また、この屋敷は固定資産税と交換に町に寄贈されたらしい。したがってスタッフは町の職員さんだとか。

ところで、今日愛機G1Xwo取り出したのだが、バッテリーが切れていた。あちゃーである。この木蝋博物館で、お願いしたら、快くバッテリーをチャージしてくれた。実にありがたかった。ゆっくり見て回ったので、バッテリーも満タンになった。(笑)内子町の職員さん、ありがとうございました。

さて、道すがら面白いものを発見した。まずは旭館という古い映画館跡。四国は、こういう昭和のレトロ的なものを良く保存している。実に素晴らしいと私は思うのだった。
さらに、もう少し行くと喫茶店とお土産屋さんと資料館が合体したような町家があった。中で面白いものを発見した。昔、なんでも鑑定団が内子町に来たらしく、そこに出品されたレトロなポスターである。
<拡大できます>
ご主人に写真撮影の許可をもらい、さらに評価はいくらだったか聞いた。なんと90万円である。この鑑定団の舞台は、この後行く内子座であった。(つづく)

2020年1月2日木曜日

井野浦に行ってきた。

愛媛新聞のWEBページに、三崎精錬所という銅の精錬所跡の保存活動の記事が出ていた。佐田岬半島は一時期銅が良く採れたらしい。場所は、井野浦という三崎港の南に位置するところである。さっそく行ってみたのだが、結局わからなかった。

井野浦は、裂き織の「おりこの里」や「海水浴場」もあるし、以前から行ってみたいと思っていた場所だった。血糖値の事もあって、できるだけ歩くようにしている。大みそかには、二名津という三崎高校からトンネルを超えて瀬戸内海側にある集落にも行ってきた。井野浦行きもその「歩け歩け」延長線上にある。(笑)

三崎精錬所については、帰宅後、学芸員のTさんにフェイスブックで質問しておいた。さらに調べると、詳しい報告があって、かなり道なき道を行くらしい、探検に近いみたいだ。
とまあ、三崎精錬所跡行きは、またの機会と言うことになったのだけれど、井野浦で面白い畑を見つけたのだ。まるでアイルランドのイニッシュモア(アラン)島のような畑。佐田岬半島は、観光地はあまりないけれど、こういう昔からの人々の苦労した生業を垣間見ることのできる興味深いところだと再認識した次第。

2020年1月1日水曜日

最西端から最先端へ 2020年所感

”最西端から最先端へ” 佐田岬灯台にて
2020年の新年が久しぶりに除夜の鐘と共に明けました。皆様明けましておめでとうございます。この除夜の鐘、すぐ近くの臨済宗妙心寺派の禅寺から聞こえてきました。愛媛県三崎で迎える新年は、みかんが彩を添える中、時折風が強く吹くというところでしょうか。
(伊方町環境基本計画という文書の、2.地域特性/1.自然環境③風況によると伊方町の年平均風速は4.4m/sで、大阪2.5m/s、札幌3.5m/sなどよりはるかに風の町であることがわかります。風力発電の風車が50基以上あるので当然ではありますが…。)

先日読んだ週刊ダイアモンドによれば、2020年の経済はほぼそのままという予測が多く、国内政治は、東京オリンピックを挟んで、都知事選、衆院選の様々な憶測が飛んでいました。国際政治では、11月の米国大統領選が最大のポイントになりそうです。一方で、不気味な観測記事が出ているのが、朝鮮半島の問題と南海トラフ地震です。これらについては、私などが心配してもどうしようもないので諦観するしかありません。

今考えていることは、公営塾のスタンスの中で、三崎高校をユネスコスクールにすること、そのための手立てばかりです。この日本一長い半島の伊方町唯一の高校の存立を護ることが、地域おこし協力隊として私にできる唯一のことです。

ところで、よくよく考えてみれば、このブログも10年を超えました。3818のエントリーを重ねてきたわけで、その間に勤務校も4回変わったことになります。時の流れを感じます。自己研鑽と、研鑽内容の教え子諸君へのシェアのために、さらに地道に続けていこうと思っています。今年もよろしくお願いいたします。