2015年2月6日金曜日

ワンフェス・ASPnet不参加の連絡

明日・明後日ワンフェスが開かれる。中でも、私が最も楽しみにしていたのは、昨年岡山で開催されたユネスコスクールの世界大会に参加した高校生による報告だった。(本年1月12日付ブログ参照)ところが、最新のプログラムが変更されていることを知ったのはつい先日のことである。どうしたことかと思っていたら、今日学校に、ASPnet(大阪のユネスコスクールのネットワーク)の事務局から、共催をとりやめ、高校生による報告・パネルディスカッションへの不参加の連絡が届いた。結局ASPnetとしては、3月15日(日)10時から16時の予定で、大阪府立住吉高校同窓会会館(北畠会館)で改めてユネスコスクール世界大会報告会を開催することになったらしい。

報告会のプログラムは、第1部 ユネスコ世界大会での学びの共有(高校生)、第2部 持続可能な開発の10年と実践の歩み 第3部 高校生宣言を未来へつなぐ(高校生によるワークショップ)ー私、学校、地域での具体化提言ーとなっている。

3月15日は、入試の関係で登校しなければならなかったような気がする。参加できるかどうかまだわからないが、顔を出せたらいいなと思っている。なにより、私は参加した高校生の声が聴きたいのである。

と、いうわけで、私のワンフェス参加は、明日のみとなりそうである。OB、OGにとりあえず連絡しておくことにしたい。

2015年2月5日木曜日

毎日 チャド軍、ナイジェリアに介入

http://www.hobbyland.co.jp/catalog
/product_info.php?products_id=91670
毎日新聞の今日の朝刊・国際面に、ボコハラム掃討のために、チャド軍がナイジェリア領に侵攻したとAP電が伝えているとの記事があった。
このところ、ボコハラムは、チャドやカメルーンなどの隣国へも勢力を伸ばし、衝突が続いていた。AUも先週チャドも含めた5か国7500人規模の多国籍部隊の発足を決めたということで、チャド軍はその先陣を切ったということらしい。

ちょうど、その隣にイスラム国を巡る攻防で、対抗勢力もまた残虐な報復をしているという記事が載っていた。クルド人勢力が、イスラム国軍兵士の遺体をタイヤに乗せ、車で引きずったというようなこともあるらしい。またシーア派の民兵が、イスラム国の侵攻が迫る中、スンニ派の囚人を79人殺害したとか、スンニ派の村を襲い約70人を虐殺したとか、宗派対立を背景にした無残な話が伝わってくる。

ボコハラムの制圧は私も必要だと思うが、チャド軍がまたAUの完全無欠の正義の軍隊であるというわけでもないだろう。このAUのトップは、かのジンバブエのムガベである。このような紛争の被害者は、常に一般人である。21世紀の中世化は、資本主義経済でも、周縁化した途上国でもますます進んでいく。もう、ボコハラムやチャド軍の画像をエントリーするのも憚れるので、中世の戦争のイメージを挿入してみた。槍や剣、弓をカラシニコフに変えたら現代の図になるだけのことである。

2015年2月4日水曜日

「キャパ、その青春」を読んで

昨年、沢木耕太郎の「246」を読んでいて、沢木氏が翻訳した「キャパ。その青春」を無性に読みたくなった。アマゾンで注文して手に入れてからだいぶ経つ。最近やっと読み始めたのだが、ある箇所が気になってしかたがない。

ハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ人であるキャパは、当時バンディと呼ばれていた。(と、いうよりこれが本名であるが…。)第一次世界大戦後、混乱したブダペストではデモが頻発していた。以下、気になっている箇所を引用したい。

あるデモの最中に、群衆が切実ではあっても実現しそうもない要求を大声で叫んでいると、バンディは声を限りに「くず鉄」という文句を怒鳴り始めた。その叫び声は瞬く間に広がり、やがて誰もが「くず鉄!くず鉄!」と叫び始めたー。自分たちがそう叫んでいるのがわからないままに。

「試してみたのさ」とのちにバンディは友人たちに語った。「僕は彼らにどんなことでも叫ばせることができるということがわかったよ。」それは、政治的なスローガンを作ることに対する辛辣な批評であり、興奮した大衆が考えもなく反応するということについての説得力のある指摘ともなる、ひとつの「実験」となった。(文庫本:42P)

私は、こういうデモに参加した経験がない。だが、毎日のようにニュースで、こういう群衆の叫びが報道されている。。そのたびに、この箇所を思い出すのだ。おそらくは、スローガンは時間的経過とともに、アジテーターによって過激化し、暴徒化のきっかけとなっていくのだろうと推測するのだ。

おそろしく”シニカル”で危険な実験である。

2015年2月3日火曜日

NHK 清掃のプロフェッショナル

NHK プロフェッショナル・仕事の流儀 HPより
昨晩、偶然NHKを見ていたら、羽田空港に勤務する日本一の清掃のプロフェッショナルの話をやっていた。新津春子さんという、中国残留孤児を父にもち、母は中国人で、日本に来てから様々な差別を受けてきた方である。この清掃という仕事も、日本語が不自由で、これしかなかったからだという。「日本でもそうですが、中国でも下に見られる仕事です。」と笑顔で語っておられた。その彼女が日本一になったのは、上司の厳しい指導があったからだという。どんなに技を磨いても褒めてくれない。その厳しい指導があったからこそ、日本一になれたのだという。厳しい指導の中、彼女が自分で気づいたのは、利用する人々へのやさしさ、思いやりといった心の持ち方だったという。そしてついに日本一に。報告に行くと上司から、「今度はまいちがいないと思ってたよ。」と初めて褒めてもらったという。つい、彼女の目が潤む。彼女の清掃は、徹底している。自分のためではない。給料のためでもない。ひたすら気持ちよく空港を利用してほしいと願うココロである。だから、行きかう人々を常に気遣う。やがて、利用する人々に「ありがとう」と声をかけてもらえるまでになったというのだ。

http://www.nhk.or.jp/professional/2015/0202/index.html

この話、まさに私が生徒に常に問いかけている「責任ある行動」の理想そのものである。世界史Bの最後の授業で語ったのだが、私も敬愛する先輩から、一度も褒めて貰えなかった修行時代があった。いつも厳しく指導されてきた。ある大きなイベントがあって、それが終わった時、私の私心のない配慮・行動について一度だけ褒めて貰ったことがある。「うん、あれはよかった。」それだけで十分だった。それが、どれだけ嬉しかったか…。

少し傲慢な言い方になるかもしれないが、一流を育てるには、こういう厳しい師や先輩が必要だ。私は本当に恵まれていたと思っている。その先輩の仮面(ペルソナ)を被りながら、ひたすら自分を磨いてきたつもりだ。いつしかその先輩がするように、常に他者に配慮できるようになった。人に見抜かれ、欠点を厳しく指摘されなければ、人を見抜くことはできない。まさに因果応報なのである。

新津春子さんは、人に責任を転嫁しない。私心なく働き、自分の仕事を誇りにしている。素晴らしい人生ではないか。彼女の笑顔を見て、心からそう思ったのだった。私の教え子にも、どのような仕事であれ、私心なく仕事ができるような一流の人を目指して欲しいと思うのである。

2015年2月2日月曜日

地球市民の記憶 ヨルダン

ヨルダンの世界遺産ペトラ
常設ページに「地球市民の記憶」と題して、私がこれまで対話したことのある国や地域を記してある。先日、世界史Bの最後の授業で、地球市民として多くの国とつながりを持つことの重要性を訴えた。今日の世界史Bの論文試験でも、「地球市民の記憶」について書かれたものも案外多かった。嬉しいことだ。

さて、後藤さんの事件で、ヨルダンに日本中の注目が集まった。私はヨルダンの人とも対話したことがある。今はもう閉鎖されたJICA大阪に、前任校の3年生を連れて行った時のことだ。たしか1学期の終業式後くらいだったと思う。今思えば国公立や有名私大に現役合格した凄いメンバーだった。(フツーに参加を募ったのだが…。)

JICAの説明の後、研修員として来日しているヨルダンとグアテマラとラオスの方が現れた。3人とも文化遺産・街並みの景観保全などを学ぶために研修中だという建築家であった。おそらく、祖国では期待の若手建築家である。フツーの高校生が気軽に会える相手ではない。もちろん英語での対話になった。JICAの方が、「通訳しましょうか?」と申し出ていただいたのだけけれど、すでに生徒がジョークを飛ばして輪になっていた。(笑)私は、ヨルダンの方(女性だった)に、「私の息子が、ヨルダンの世界遺産ペトラは凄いと言っていました。」と述べると、丁寧にお礼を言ってくれたのを思い出す。もちろん、生徒との会話の糸口になったはずだ。「きれい!」「凄い!」「行ってみたい!」と生徒たちは、彼女のパソコンを覗いて歓声をあげていたからだ。同様に、グアテマラ、ラオスの方とも会話の糸口をつくって、私は喫煙場所に移動した。面白いことに、この3つの国、すべてに息子は旅している。もちろん好印象だったそうだ。

ヨルダンの建築家女史は、いまごろ後藤さんの死を悼んで、祈っていただいていることと思う。日本で研修された知識は彼女の血肉になったはずだ。日本はこういうソフトパワーで、世界各国に貢献している。平和で、親切で、丁寧なサービスの国。こういうイメージが広まっていったのも、日本人全体の努力の賜物である。こういう日本の良さを生かすことこそ、日本の歩むべき道だと私は信じている。

2015年2月1日日曜日

船尾修氏「スーダン人の人の良さ」

後藤さんの悲劇を受けて、船尾修氏(写真家)の「スーダン人の人の良さはいったいどこから来るのだろうか」という一文をささげたいと思う。この文はDoDoWorldNewsの最新号(道祖神)にの掲載されたものである。

スーダンという国はアフリカでも最大級の面積を誇る大国でありながら、存在感が大きいとはいえない。実際に訪れたことのある人も少ないだろう。90年代にはあのオサマ・ビンラディンが滞在していたので、アメリカからテロ国家と呼ばれて空爆を受けるなど、どちらかというと日本人には負のイメージが強いと思われる。ただスーダンの名誉のために書き添えておくと、当時アメリカ政府は「世界に脅威を与える化学兵器を作っている」という言い分で空爆したのだが、実際に破壊された工場は何の関係もない民間の医薬品製造会社だったことが明らかになっている。

最近では、西部のダルフール紛争や南スーダン独立など政治的に不安定な時期が続いているため、日本人からはますます遠い存在になっている。純粋に旅を楽しんむ目的でスーダンに入国する人はどのくらいいるのだろうか。
しかし僕が知る限り、スーダンをしばらく旅したことのある人は、例外なくスーダン人の人々のホスピタリティを褒め称える。外国人に対してとにかく人懐っこく、優しい笑顔を投げかけ、歓待してくれる。観光立国である隣国のエジプトでは話しかけてくる人のかなりの割合が商売目的であるのと対照的に、スーダン人はとにかく下心抜きで純粋に外国人に接してくる。好き嫌いは人によってもちろん異なるだろうが、人の良さという面ではアフリカ大陸においてスーダンはダントツに抜きんでていると思う。

エジプト国境のワディ・ハルファという村からイギリス植民地時代に敷設された列車に乗って首都ハルツームに向かったことがある。途中で列車が立ち往生し、数日間ヌビア砂漠の真っただ中で過ごす羽目になった。持参の水と食料が切れたが、同乗のスーダン人たちから次々と差し入れをいただいた。しかし彼らとて余分を持参しているわけではなく、僕の代わりにじっと空腹に耐え忍んでいた。そういう人たちなのだ。街では木陰で甘いチャイを飲ませてくれる店を数多く見かけたが、代金を受け取ってくれないこともしばしば、何事にも不慣れな旅の外国人をとにかくもてなしたいという気持ちがいつも伝わってきた。

やはり国土の多くが砂漠という厳しい環境にあることが、そのような性格を形成しているのだろうか。助け合わないと生きてゆけない世界。ニュースなどで巷に流れている負のイメージというものがいかにいい加減であるか、それはやはり実際に旅に飛び出して身体でナマの人たちと接しないとわからないものなのである。

…私は、船尾氏のいう「砂漠の民としてのスーダン人のやさしさ」は同時にイスラム教徒として、旅行者を大事にする神の教えを忠実に実行する信仰心からくるDNAであると思っている。今回の後藤さんの件で、フツーのイスラム教徒が、イスラム国のような残忍な行為をするわけではない。この当たり前の事実を再確認したい。そうでないと共生の未来はない。それを、後藤さんは何よりも望んでいたはずだ。後藤さんのご冥福を心から祈りつつ…。

毎日 AUの新議長にムガベ?

弱者に寄り添う報道を貫いたジャーナリスト・後藤さんに対する悲劇的な報道が朝からされている。もし、これが真実なら私もその暴挙に怒りを隠せない。
同時にこのことを利用して、日本=平和国家=ムスリムをはじめ世界中の人々から好意をもたれている国民という永年にわたって築きあげてきたテーゼをぶちこわすような動きに対しては、断固としてNO!を表明したい。

ところで、今朝の毎日新聞の国際面に、AU(アフリカ連合)の新議長(任期1年)にジンバブエのムガベ大統領が選出されたというニュースが出ていた。げげげっというのが、率直な感想だ。ムガベはもう90歳である。しかも、「失敗国家」という新語をつくったような独裁者である。どういう経過で、彼が選ばれたのか、興味のあるところである。

さっそく、ムガベはこんな就任演説をしたようだ。「アフリカの資源はアフリカやその友人のものだ。もう帝国主義や植民地主義者のものではない。」

…あたりまえのことだが、あなただけには言われたくないという感じである。思慮の浅い勢いだけの発言は、外交戦で時に大きなデメリットを生む。ムガベの就任が、サブ=サハラ・アフリカの諸国にデメリットがないよう祈るばかりである。