2012年7月10日火曜日

日本は何故欧米化したのか

期末考査を終えて、現代社会はいよいよヨーロッパ哲学史に突入する。まあ、最も倫理らしいトコロだ。木の絵を黒板に書いて、およその流れを語ることから私のヨーロッパ哲学史は始まる。根っこにはヘレニズム(ギリシア哲学)、ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教)。これらを1学期の中間・期末の学習で終えた。根っこを教えた上で、幹を語っていくのだが、今日のエントリーは、その前段階の話。
日本は何故欧米化したんだろう?我々の生活は、タカ・アンド・トシのギャグではないが、かなり欧米化している。夏や正月に着物を着ることもなくなったし、パン食も増えたし…。生徒はなんとなく欧米化していることに納得するのだが、何故?と聞くと考え込む。「では角度を変えて、いつ頃から欧米化したのだろう?」と聞いてみる。これには「明治維新」という声が上がる。まあ、常識。では、何故そうなったのだろう?と聞くと、当然中学校の歴史分野では、そこまで教えていない。「ペリーが来たからです。」という声も上がる。いい答えだ。

『天皇の世紀』を読んでみると、この辺の事情がよくわかる。実は、江戸幕府は、長崎のオランダ領事館を通じて、ペリーの黒船艦隊が4隻で、旗艦がサクケハナ号であり、乗員の数や砲の数、その性能など、あらゆる情報を入手していたのだった。江戸幕府をなめてはいけない。で、ペリー艦隊に攻撃されたら、江戸城をはじめ江戸の町が火の海になることを深く認識していたのである。江戸城は、完全に行政府であり、海に近く防御は不如意であったのだ。で、浦賀に艦隊を止め置き、ちんたらと解答を1年伸ばすのである。まあ、結局開国するのだが、要するに日本は、欧米の軍事力に負け欧米化を迫られたといってよい。
もう少し、突き詰めていくと、欧米の科学技術力に負けたのだ。では、この科学技術力を欧米はどうして手に入れたのか。それは、これからのヨーロッパ哲学のお楽しみ、というわけだ。

ここから、スコラ哲学やルネサンス、そしてベーコンの帰納法、デカルトの演繹法へといざなうのである。なんか日本史のような現代社会(倫理)になってしまった。(笑)

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