2014年5月31日土曜日

テニス部の試合を応援に行く

普通科のペア 強いぞ~ 
ソフトテニス部のIH団体戦を応援に行ってきた。以前から一度は応援に行ってあげたかったのだが、やっと実現したわけだ。場所は舞洲のテニス場である。一番奥のコートで、第1回戦が行われた。相手は、府立I高校である。本校のソフトテニス部は、かなり強い。技術も体力も、そしてメンタル面もよく鍛えられている。結局、1ゲームも落とすことなく勝利した。

実は、前任校で、3年間ほどソフトテニス部の顧問をしていたことがある。テニスの試合は時間が読めない。接戦になると長くなる。3年担任の時、個人戦の応援で試合のはしごをしてクタクタになったこともある。ほとんど1回戦負けだったけれど…。1日仕事だった。(笑)

団体戦は、3チームが1セットずつ戦うようだ。最初に普通科の2人が登場した。彼女たちは私が1年で担任したW君と2・3年で担任しているK君である。強い強い。相手の前衛の構えるラケットめがけてスマッシュを決めたりする。ロブも絶好のポイントに決める。全く危なげがなかった。凄いな。中学での実績もあり、テニスをしに本校に来ているので強いのは当然かもしれないが、普段の教室では見れない姿を見せてもらった。体育科の2チームも、少し調子が悪かったようだが、先行されても絶対デュースに持ち込み、勝つのだった。さすが強豪校である。

女子のソフトテニスには流儀があると、思う。いつも笑顔で試合する。勝てば、必ず大げさに喜ぶ。礼儀正しく相手にプレッシャーをかけるのだ。応援するメンバーも、様々な応援の掛け声があって、一体で応援する。まさに青春物語。久しぶりに接して、なつかしかった。(笑)

ヘルニアによる左肩の痛みがひどくて、1回戦だけ応援して帰らせてもらった。だが、長年の約束が果たせて私自身は満足している。いい時間を過ごさせてもらった。テニス部のみんなありがとう。

追記:K君からの連絡によれば、ベスト5で力尽きたそうだ。残念だが、近畿大会もまだある。最後まで頑張ってほしいと思う。

2014年5月30日金曜日

日経 井上陽水の氷の世界

今朝の日経の文化面に、井上陽水が「氷の世界」をメインにしたツアーをしている、という記事も載っていた。へぇーと思ったのだ。私の高校時代は、拓郎・陽水・かぐや姫の時代だった。私は、拓郎派だったが、もちろん、陽水もかぐや姫も大好きである。妻は、完全に陽水派である。妻によると、拓郎は、田舎っぽく、陽水には都会的センスがあると、いつも主張する。(笑)特に、大人になってからの曲には、その差が歴然だというのである。

なるほど…と思うこともある。たしかに陽水の歌詞は洗練されている、と思うのだ。「心もよう」を始めて聞いた時は衝撃を受けた。この曲は大ヒットし、アルバム「氷の世界」が出たと思う。「あかずの踏み切り」「氷の世界」「帰れない二人」「小春おばさん」…。名曲ばかりである。特に歌詞がするどい。

ただ、高校生だった私には、拓郎は「陽」であり、陽水は「陰」の関係にあった。私は、拓郎の「陽」を好んだのだと思う。

「傘がない」は陽水の、ある意味プロテストソングだ。「都会では、自殺する若者が増えている。今朝来た新聞の片隅に書いていた。」と、くる。だが、問題は今日の雨であり、彼女に会いに行きたいのに傘がないと歌う。拓郎の代表的なプロテストソングは、「晩餐」だろう。「僕らは夕食時だった。(リフレイン)つけっぱなしのTVだったから。(リフレイン)岡山で戦車が運ばれるとニュースで伝えていたけれど。僕らは食べる時間だったから。」新聞の片隅とつけっぱなしのTV。両方とも、若者の政治へのシラケを歌っているのだが、まさに「陰」と「陽」である。

好みの問題だと思うのだが、陽水が、今「氷の世界」を歌うことに違和感はない。だが、拓郎が「人間なんて」や「伽草子」をメインにツアーしたとしたら、正直違和感を感じてしまう。でも、私はやっぱり拓郎派なんだなあ。(笑)

日経 ロバのパン屋の記事

http://www.kyoto-np.co.jp/economy/article/20130807000079/2
日経の最終面には文化のページになっていて、「私の履歴書」をはじめ、なかなか面白い記事が多い。今朝は、「ロバのパン屋」の本家である京都のパン屋の社長さんの話が載っていた。私が子供の頃、「♪ロバのパン屋は~チンカラリン」という楽しい音楽とともに、馬車に曳かれた移動パン屋が時折やってきた。京都が総本家だとは知らなかった。記事を読むと、いくつかチェーン店があったようだ。ふわっとした蒸しパンが売りだったそうだ。そういえば、蒸しパンを食べた記憶があるような気がする。私の記憶では、曳いていたのはロバではなかった。記事によると木曽馬だったらしい。また偽者の業者も出現したらしい。うーん、そっちのほうだったかな、などと考えていたのだった。

ロバのパン屋の歌がYouTubeにあった。凄い時代になったもんだ。私の記憶にある歌はすこし歌詞が違うような気がするのだ。子供の頃の話しだし、それも思い違いかなあ。(笑)

ともかく、朝から、なにか、ほんわかした雰囲気で今日が始まったのだった。
https://www.youtube.com/watch?v=3Ck5JKVaGRM

2014年5月28日水曜日

ムビラサミット 是非関西でも

http://ameblo.jp/mbirasummit/
右の五十肩、左の頚椎ヘルニアによる痛みをこらえながら、先日送られてきた道祖神のDoDo World Newsを楽しく見ていた。田中真知氏の「コンゴ・アゲイン」という特集記事はキンシャサの大学で日本語を教えていた高村伸吾さんとまたまた丸木舟で、キサンガンニからザイール河を40日間かけて下る話だ。(田中真知氏は奥さんと20年以上前に丸木舟で一度ザイール河を下っている。これも私は楽しく読ませてもらった。/アフリカ旅物語・中南部編)パートナーの高村さんは、京大の院で文化人類学を学んでおられるとのこと。もしかしたら、公開講座の際にお会いしてるかもしれない。

また「マダガスカル川くだりとツィンギー12日間」を旅して、というツアーリポートも楽しく読ませてもらった。いいなあ。マダガスカル。55万円かぁ。

さて、今日のエントリーのメインは、そのDoDo World Newsに載っていた小さな情報記事。東京で素敵なイベントが行われるらしい。タイトルは、「ムビラサミットEAST Vol.9」(ムビラというのは、ジンバブエの指ピアノである。私もジンバブエのハラレで買って持っている。実に魅力的な楽器である。) 

指ピアノ奏者を日本中から集めた祭典らしい。一度聞きに行ったこともあるサカキマンゴー氏をはじめ(10年10月31日付ブログ参照)、なんと早川千晶さんも参加するらしい。東京・浜松町というから、羽田空港の近くだろう。アフリカンレストランで行われるらしい。うわあ、行きたい。だが、大阪人としては到底無理だ。あーあ、である。是非関西でもやってほしいもんだ。

2014年5月27日火曜日

タンザニアのマサイマーケット

http://www.on-the-pla.net/diary/2011-11/diary2011-1110.html
世界一周デート(吉田友和・松岡絵里著/幻冬舎文庫)上巻・アフリカ編で、最も面白かったのは、タンザニアのマサイマーケットの話だ。アルーシャから、「ダラダラ」(乗り合いバス:ケニアで言うマタツー)を乗り継いで1時間半。原色に満ち溢れた、”ザッツ・アフリカ”の世界だという。(笑)

マサイが愛する赤い布や車のタイヤを使った黒いサンダルが青空商店に並び、女性用の布カンガが山積みになっている。食用の緑のバナナが巨大な房ごとに埃っぽい地面に置かれ、トマトやじゃがいもなどの野菜やマメも並んでいる。と言ってもマサイの主食は牛乳と牛の生血、祝いの時には肉である。吉田氏の表現をかりれば「ザ・肉食系」となる。マーケットのニョモ・チョマ(スワヒリ流の肉のバーベキューの店)には山羊の生首が網の上に乗っていたりする。その店の奥の広場には、赤い布をまとったマサイ族の男たちがぎっしりと、まるで赤い海のように集まっており、牛や山羊などの家畜の取引が行われていた。牛は一頭50000シリング(約6万円)かららしい。

マーケットの帰りのダラダラでの話。子供は助手席に座ることが多いらしい。そこに座っていたおじいさんが、窓からお母さんの手で5歳くらいの子供を受け取った。赤の他人のひざの上でおとなしく座っている。さらに、赤ちゃんを連れたお姉さんが、赤ちゃんを窓から助手席に入れた。男の子のひざの上には赤ちゃん。助手席は三段重ねである。二人が感心していると足元の生きたニワトリが泣き声をあげる。マサイマーケットは、家に着くまでがマサイマーケットだったという話だ。実に楽しい。

…私もブルキナで、トゥルカナのマーケットを覗いたことがある。ゴロンゴロンというサヘルに近い街の近く。こちらは、赤い布ではなく青いターバンが特徴的だった。ほんとアフリカのマーケットはワクワクするのだ。

2014年5月25日日曜日

毎日 変なムズング・変なゴリラ

今朝の毎日新聞の朝刊「時代の風」に、公開講座でお話を伺った京大の山極寿一先生のコラムが載っていた。多文化共生という問題について、示唆に富む内容だったので紹介しておきたい。

山極先生が子供の頃「変なガイジン」という言葉が流行したことがある。日本語や大阪弁のような地方の言葉を流暢に話すのに、しぐさは日本人の常識的ではないという外国人のことだった。

御自身も30年前からアフリカでゴリラの調査をし始めたとき、現地では変なガイジンだった。と、いうより、スワヒリ語では、変な「ムズング」(ガイジンにあたる言葉で、もともと白人に対して使われていたようだ。我々がアジア系の人々にガイジンという言葉を使わないように、スワヒリ語でも他国籍の黒人には使わない。)だった。現地の言い回しや表現も交えてスワヒリ語で話すと、みんな目を丸くしたそうだ。しかも彼らにとって珍しくも高い価値もないゴリラを見たいだけというのだから、ますます変なムズングだったわけだ。

さらに、山極先生は、野生のゴリラを観察するために、ゴリラのしぐさや声をまねて、ゴリラのような振る舞いをすることで、群れに溶け込むことに成功する。子供ゴリラと取っ組み合って遊び、おばさんゴリラにからかわれ、オスゴリラ隣り合って昼寝する。ゴリラからは「変なゴリラ」と思われていたと思う、とも。

今では、多くの外国人が日本に暮らすようになり、変な言葉も変なしぐさも、あまり気にならなくなった。もう「変なガイジン」は死語になった。それは私たちが文化の枠を超えて、人間として共有できる作法に敏感になったからだと、山極先生は言われる。日本人の作法を逸脱するガイジンたちの行動を通して、私たちは外から自分たちの文化をながめ、その欠点に気がつくようになったのである。トイレは水洗になり、男女の別が常識になった。妻の前を威張って歩く夫の姿を見かけなくなり、レディーファーストが励行されるようになった。ひょっとしたら、日本人が世界の隅々に出かけていって多様な文化を肌で知り、自分が「変なガイジン」になった経験を通して、人間の作法を考えることになったのかもしれない。

一歩進んで、人間を超えて生きる作法にも目を向けて欲しいと山極先生は訴える。ゴリラの母性の強さとあっさりした子離れに感心した。派手な身振りでメスに求愛するオスも、決して強制的にメスを意のままにすることはない。そこには自然の作法とでもいうようなエチケットが存在する。これらを現代の暮らしの中で再検討することが、今求められている、と。

頚椎ヘルニアの疑い

先週は右肩の五十肩だけでなく、左肩が無茶苦茶痛かった。遠足で行ったUSJでも正直楽しむどころの騒ぎではなかったのだ。昨日、H城鍼灸院に行ってきた。院長先生は、私の問診を終えてから、肩と首をじっと見て、「急性の頚椎ヘルニアですねぇ。第六脊椎です。」と言った。レントゲンを撮ったわけでもないが、信頼できる「鍼の神様」の言うことなので、なるほど、と納得した。

その後、かなりの数の鍼が打たれた。特に、首の動脈のすぐ横のツボにも打たれた。下手に打つと、天井に届くほどの大出血となるらしい。(笑)さすが神様である。

この頚椎ヘルニア、すっと治ることもあるらしいが、下手をすると人生が狂うこともあるようだ。うーん。鍼灸院をでたら、とりあえず痛みは引いたのだけれど、またすぐ右肩が痛くなった。すぐには直らないらしい。整形外科に行ってレントゲンを撮っても、痛み止めをくれるだけらしいので、帰りに寄ったドラッグストアーで、痛み止めを買って飲むことにした。すると、嬉しいことに一気に痛みが引いたのだ。かなり胃腸が荒れるらしいけど、肩の痛みとはかりにかけると胃腸の痛みを私はとる。それくらい、この一週間痛かったのだった。ふー、やれやれであある。明日も夜に鍼灸院に足を運ぶ予定だ。