2013年2月27日水曜日

日経 英語で笑わす「はとバス」男

はとバスのHPより 外国人向けのツアー案内
今朝の日経の最終面、文化の欄に『英語で笑わす「はとバス」男』という記事が載っていた。通訳案内士/東京近郊はとバスツアーでガイドを務める佐藤卯一さんの話だ。これがなかなか面白かった。

バスに乗る前から、英語で笑わせる仕事は始まる。搭乗券を確認する時、「2B」の番号を持つ人に順番が回ってきたら、「トゥービー」なので、すかさず「To be, or not to be.」とつぶやくらしい。シェイクスピアのハムレットの有名なセリフ(生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。)である。なるほど。欧米人なら知らない人はいない。毎回大ウケするらしい。

皇居で楠木正成の銅像を見て、「誰?」と聞かれたら、「トム・クルーズです。」(映画ラスト・サムライにひっかけている。)「OH」と受けるらしい。もちろん正確な説明もするが、最初からそういう硬いガイドをするよりはるかに良い。お客さんは勉強のためではなく、楽しむために旅をしているのだと、佐藤さんは考えている。

バスの集合時間に時間前に集まるのは欧米人のお客は苦手だ。そこで、「バスは10時ちょうどに出発します。1分過ぎてもバスはいません。乗り遅れた人はあそこの素敵なホテルに自費で泊まって下さい。」と言うと乗り遅れる客はいなくなったそうだ。

ウソでは人は笑わない。「言われてみればそうだね。」くらいがいいらしい。東京に来た客は人の多さにびっくりする。「東京の人口は?」と聞かれたら、「日本の人口は、とてもよく管理されています。1億2345万6789人です。その約10%が東京の人口なので、1234万5678人と0.9人です。」
「日本の女性はなぜスリムなの?」と聞かれれば、「満員の通勤電車に乗りづらいからです。」
「東京はピカピカの車しか走っていないね。」と聞かれれば「日本のビジネスマンのステータスの象徴として車を所有します。汚い車ではガレージの飾りになりません。」

…こういうウィットに富んだガイドさんがいるのだった。私は特に最初の『2B』の逸話が好き。シェークスピアは、聖書、ギリシア神話と並んで欧米人の教養の中核である。日本では、シェークスピアはおろか、聖書もギリシア神話も、高校では全く学ぶ機会がない。(私は聖書は詳しく教えるが、ギリシア神話までは手が届かない。)欧米で通用する教養ある人材を育成するのなら、、これらは文系理系に関わらず、大学ではきっちと抑えるべきものだ。

もし、使える機会があれば「2B」のギャグ、是非とも使ってみたい、と思うのだった。

2013年2月26日火曜日

レンティア国家 赤道ギニア

平野克己先生の「経済大陸アフリカ」、物凄く面白い。今日は第2章の「資源開発がアフリカをかえる」の記述から、赤道ギニアの話をエントリーしたい。第2章の内容のポイントを挙げるためのイントロダクションとしたいのだ。

1973年の第四次中東戦争以後、石油メジャーは中東における上流権益を失った。1980年以降石油低価格時代の供給増を北海油田や北米油田がささえた。しかし90年代後半から石油メジャーは新たな権益を求めて各地で探査に乗り出す。アフリカにおいて、この最初の一歩となったのが赤道ギニアだった。スペインの植民地だった赤道ギニアは1980年代末の時点で、1人あたりGDPが$300台の最貧国で、旧宗主国から1人あたり$150のODAを受けて命脈を保っていた。独裁政権だったが、ある意味では安定しているわけで、エクソン・モービル社によって海底油田の開発が進められた。わずか数年でGDPと同額の原油を輸出する産を油国となり、98年からは天然ガス生産も始まり、年平均40%を超える成長率で成長し続けた。今や韓国並みの1人あたりGDPである。その一方で乳幼児死亡率は未だに10%を越えており、平均寿命は50歳に満たない。今でも1人あたり$50のODAを供与されている。1人あたりのGDPが2万ドルを超える国でODAを受けているのは世界中で赤道ギニアだけだ。「開発なき成長」「資源の呪い」の典型である。

このような極端な例だけでなく、スーダン、アンゴラ、チャド、モーリタニアといった国で石油開発が進展した。ウガンダやガーナでも油田が発見され大規模投資を呼び込んでいる。またギニアやモザンビークの鉄鉱石、タンザニアの金、ナミビアのウラン、ザンビアの銅、マダガスカルのニッケルなど鉱山開発投資がアフリカに流入している。こういう、レント(資源産出から税金やロイヤリティを通じて徴収する収入)を主要な収入源とする国の経済は、資本主義経済とは違った原理が働く。このような国家を「レンティア国家」と呼ぶ。そもそも中東産油国を想定したものだが、そこにはレント収入の確保と分配が国家運営の基軸となり、生産志向の希薄な、国家主義的で保守的な政治が行われ、開発よりも権力維持のためにレントを使うようになるので、消費性向が高い、現状維持的で開発志向に欠けた政府が出来上がるとされる。

アフリカにだけ目を向けているとわからない、極めて重要な視点である。アフリカでは、こういう資源開発がどんどん進められていてニュースになる。それらは「レンティア国家」となり、開発を忘れた国家(貧困を撲滅する気がない国家といってもよい。)になっていくわけだ。うーむ。

2013年2月25日月曜日

立花隆「天皇と東大」を読む Ⅳ

立花隆「天皇と東大」、やっと第2巻を読破した。第2巻の後半戦は、血盟団事件の話がその主軸となる。東大の学生であった四元義隆がこのあたりの主人公格である。前回のエントリーでも書いたが、四元義隆は中曽根元首相や細川元首相の相談役として有名な右翼である。

驚いた記述があった。(連合赤軍の)重信房子の父親が、血盟団(というか、井上日召・四元・池袋正釟郎ら)に関わっていたのだ。話は少しややこしい。池袋(西園寺公望を暗殺する予定だった学生)の中学校時代からの親友が重信父だった。当時代用教員をしていた彼を、安岡正篤の私塾から生まれる日本農士学校に入れようと上京させた。その教授となる伊藤・渡邊という人物は、重信父と同年代で、以後のことを考えるとうんと抑えようとかなり無礼な態度をとったようである。それに激怒し、もともと安岡が口だけだと軽蔑し、飛び出すつもりだった四元と池袋、これに井上も入って彼らをボコボコにシバいたらしいのだ。ところで、重信父自体は大人しい人であったので血盟団事件には関与していないらしい。(池袋の裁判での上申書に詳細に記されているという。)

重信房子は、父の事を著作の中で次のように書いている。『67年の羽田闘争(佐藤首相の訪米を阻止する闘争)の後だったと思う。泥まみれになって帰った私に、父が言った。「房子、今日の闘争はよかった。だけど、あれには、人を殺す姿勢がないな。」私は驚いて、酒の盃を手にしている父をみつめた。(中略)父は続けた。「2.26事件にしても、血盟団にしても、歴史はあとで右翼だとか何とか言うが、我々は正義のためにやったのだ。政治家が腐敗していたから、我々が権力を変えて、もっと人民がうるおえる社会にしたいと思ってやったのだ。房子は、今左翼だといわれているけれども、とにかく、自分が正しいと思うこと、これが正義だと思うこと、それだけをやれ!」…「物知りにだけはなるな。」ものごころついたころからよく聞かされた父の言葉である。』

血盟団事件について、立花隆はこれでもかというほど綿密な史料で詳細に説いていく。この血盟団事件+5.15事件が、議会から軍へと権力移譲し、左翼から右翼への分水嶺となっているからだ。この辺の現代史は久しぶりに熟読した。なかなか複雑である。陸軍の桜会の十月事件の話とか、血盟団の方向性を決めたのは、井上日召ではなく海軍の藤井斉(上海事件で戦死)であるとか、団琢磨暗殺後、井上日召は頭山満の屋敷に隠れていたとか、血盟団は維新後を北一輝の国家社会主義でなく権藤成卿に託していたなど、多くの学びがあったのだった。

こういう昭和初期の社会思想を高校の日本史で語るのはかなり難しい。だが、教える方は知っていないと大局が見えない。明日から3巻に突入する。

2013年2月24日日曜日

Amebaピグワールドhousetrailer

このところ、ハードなエントリーが続いている。ちょっとライトに、Amebaの話を書きたい。私は昨年からピグライフという庭いじりのゲームを楽しんでいる。(ラベルの「Amebaピグライフ」参照)その後ピグアイランドという島を舞台にしたゲームやピグカフェというゲームもスタートした。(私自身も一応スタートしてみたが、どうものらなかったので初期状態のまま、ほったらかし状態である。)昨年末には、ピグワールドという、昔PCゲームではまったシムシティのような町づくりのゲームが始まった。これは、なかなか面白い。(もちろん課金しないで頑張っている。笑)

ピグライフ同様、様々なイベントがある。今行われているのは、何故か50年代のアメリカ風の家を増やしていくというイベントである。私はこういう半強制的なイベントは嫌いなのだが、クリアーするとトレーラーハウス(和製英語:米語で無理やり言えばhouse trailerと逆になる。)を建てることができるというので、ついつい頑張ってしまうのだ。(笑)実は、私はトレーラーハウスに大きな憧れを持っている。

息子が小学生の頃(20年ほど前になる。)、北海道を何度も旅した。十勝の更別村のオートキャンプ場に、トレーラーハウスがあることを知って喜び勇んで予約した。しかし行ってみたら1日ずれていて結局泊まれなかったという悔しい経験もある。
更別村のオートキャンプ場のトレーラーハウス
アメリカで初めて自分でハンドルを握ってドライブしたのは、サウスダコタ州ラピッドシティ近郊のR80である。この道では、多くのキャンピングカーを見た。いや、自走するキャンピングカーというよりけん引されたトレーラーハウスが多かった。また、各地のアメリカの住宅には、広い庭に、どでかいトレーラーハウスが置かれていて、住んでいるのか、休日用なのかわからないが、とにかく圧倒的なアメリカの豊かさと自由への渇望(アメリカ人は自由を求めて移動することを厭わない。この辺、先祖代々の土地にしがみついて来た日本とは大きく異なる。)を幾度となく見せつけられたのだ。トレーラーハウスは、ある意味、現代の幌馬車であり、アメリカの自由への意志の表れであると私は思っている。

いいよなあ、トレーラーハウス。せめてトレーラーハウスに一度くらい泊まってみたいもんだ。

「経済大陸アフリカ」を読む2

完読してからエントリーをしようと思っていたのだが、平野先生の「経済大陸アフリカ」、新書だがとても1回や2回のエントリーで対応できないほどの内容の濃さである。そこで今日は、第1章の「中国のアフリカ攻勢」のみを整理してみる。これまで、多くの中国のアフリカ進出へのアプローチを読んできたが、おそらく全てが先進国やアフリカからの視点である。平野先生は何故中国がアフリカに進出しなければならないのかを数々の資料を挙げながら詳細に論じられている。そのポイントを整理してみた。

すでに中国は世界の工場である。製造業生産、商品輸出ともに世界一となった。しかし、平野先生は中国は未だ開発途上国である、と断言されている。先進国がくぐりぬけてきた多くの問題を未だ抱えているし、先進国に比べそれだけ不安定だということになる。その最大の問題が、エネルギー効率で、先進国並みの産業構造や技術基盤をもたない中国は資源エネルギー効率で著しく劣る。単位GDPあたりエネルギー消費量、すなわち付加価値1単位を産出するのにどれくらいのエネルギーが使われているのかを2008年で比較すると、アメリカのおよそ3倍、日本の4倍以上のエネルギーを中国は必要としている。こんな効率の悪い国が世界の工場になってしまった。この変化がグローバル経済の最大の問題なのである。しかも1人あたりのエネルギー消費量はアメリカの5分の1、日本の3分の1であるから中国の所得水準の上昇によって、さらに莫大な資源消費が見込まれるわけだ。

中国のアフリカ進出の最大の目的は、この膨大な資源エネルギーの囲い込みにある。まさに自国経済の存立にかかわる国家安全保障上の課題。中国は、1999年にその対アフリカ基本方針を定め、翌年にはFOCAC(中国アフリカ協力フォーラム)を開催した。先輩にあたる日本のTICADとは趣が全く違い、ずばり投資と商談の場となった。中国の対アフリカ政策は、1つの中国の原則で台湾を排除すること。(現在も台湾と国交があるのは、ブルキナファソ、ガンビア、サントメプリンシペ、スワジランドの4カ国になってしまった。)さらに内政不干渉を意味する国連憲章の目的と原則を順守することの2つである。ビジネス=援助ミックスによって以後10年間、かつてイギリスやフランスが成しえなかった広範な関係を構築する。

アフリカで資源を得、その結果経済成長し、消費財需要が増加したアフリカにあらゆる工業商品を輸出し回収する。このWin-Win関係を、先進国は「新植民地主義」とこぞって批判した。平野先生は、様々な論点からこの「中国=新植民地主義論」を批判している。曰く、中国のアフリカ政策の収支は現状ではむしろ赤字。潤っているのは今のところアフリカ側。悪しきガバナンス政府に対する中国の内政不干渉に対しては、「開発途上国はやがて民主化して先進国のようになっていくべき」という価値観の上に成立している論議で独自の政治体制をもつ中国政府は共感しない、と主張している。

さらに私が最も懸念している中国の進出が現地雇用を生まないことに対して平野先生は、アフリカの労働コスト(アフリカの正規の工場労働者の賃金はかなり高い。)や質の問題を指摘する。中国企業はインフラ建設を低い費用と短い工期で受注する。残業や休日出勤に耐え、中国語のマニュアルを理解できる現地労働者はいないというわけだ。

…なるほど。うすうす感じていた事を見事に整理していただいた。アフリカの開発経済学を中国側から見るとこうなるのである。欧米が作り上げた開発経済学の様々な理念をぶっとばす、中国の切実なエネルギー確保への先見の明。これが、今のアフリカと中国の関係を作りあげた。まさに歴史的必然であるわけだ。

2013年2月22日金曜日

サントメ・プリンシペの固有種

サントメ・プリンシペの記事が、Global Voiceに載っていた。サントメ・プリンシペという国、ギニア湾に浮かぶ島嶼国である。昔、JICA大阪で、この国の研修員さんと会ったことがある。「Where is your country?」と聞くと、「サントメ・プリンシペだ。」と言ったので、「Oh, on the GINIA sea.」と凄い英語で言うと、彼は大喜びしてくれて、握手を求めてきた。「君は、私の国を知ってくれていた2人目の日本人だ。」たしかに日本での知名度はムチャ低い国だ。台湾を承認している数少ない国のひとつで、台湾人は日本人よりはるかに歓迎されるらしい。(と、「観光コースにないアフリカ西海岸」という本に載っていた。この本を読んでいたのでこの国の事を知っていたのだった。)元ポルトガルの植民地で、カカオ生産で有名。

記事を読んで初めて知ったのだが、このサントメ・プリンシペは、WWFによって生物多様性の面で重要な地域200に選ばれている。固有種の鳥が25種いるそうだ。これは飛び抜けた多さで、8倍の面積をもつかの有名なガラパゴス(22種)を越えているという。もしダーウィンが、サントメ・プリンシペに来ていたら夢中になったに違いないという新聞記事が出たほど貴重らしい。

ところが、パームやしのプランテーション建設が進んでいるようで、一気に環境破壊が進んでいるという。パームやしは、マレーシアやインドネシアの例もあり、極めて評判が悪い。栽培によってその土地の地力を奪い、油脂加工工場は深刻な環境破壊を呼び起こす。

一部のプランテーション経営の外国企業と汚職政治家が儲かるだけだとも言われている。うーん。なんとかならんのか、と私も怒りを感じる次第。これらの固有種は貴重な観光資源として生かした方がはるかに現地雇用を生み、経済的効果を生むと思うのだが…。
http://jp.globalvoicesonline.org/2012/10/27/17349/

2013年2月21日木曜日

日経 稲森和夫氏の数字

今朝の日経の第二面「迫実」が面白かった。このところ、稲森和夫氏の話が載っている。稲森氏は私がよく行く京大のアフリカ地域研究資料センターの入っている建物を寄贈した人物であり、京セラ、KDDIの経営者としても有名である。このところの話は、JAL嫌い(ANA好き)の稲森氏が名誉会長に逡巡しながらも就任することになり、経営を立て直す話である。

稲森氏は就任後、全社の業務報告会を開く。各責任者に問題点をビシビシ指摘するので、担当者はかなりまいったらしい。80歳にもなる稲森氏が、A3版の細かな数字が並ぶ書類をなめるように見て指摘するのだ。現在のJAL社長である植木氏も、本部長時代かなり指摘された経験をもつ。「パイロットが使うヘッドセットの修理代は何故増えているのか?」この質問に答えられず辟易としたらしい。以後各責任者は何を聞かれても答えられるよう現場に入り、報告会に備えるようになったという。

稲森氏は約100社ある子会社の社長とも面談した。月月火水木金金。休日は関係なしで、朝から晩までぶっとうしだったそうだ。稲森氏曰く「細部を見なければ全体は見えない。」

さて、今日のエントリーの主題。植木氏はある時、稲森氏に質問したそうだ。「(A3版の書類の膨大な数字の列の中から)何故問題となる数字が見えるのですか?」稲森氏曰く「おかしなところは、向うから数字が目に飛び込んでくるんや。」

植木氏は34年のパイロット歴をもつ。コクピットに座ると、異常な数値は探さなくとも目に飛び込んでくるようになったことを思い出したという。経営も同じだ。そう思うのだが、まだまだ稲森氏の境地には達していないと言う。

…私もちょっと思い当たるフシがある。SHRを行う時、当然挨拶をするのだが、教壇に立つ前の数秒の間に生徒たちの様々な会話が耳に入るし、行動や顔色が見える。が、問題がある場合、その会話や顔が向うから飛び込んでくるのだ。ベテランというのは、そういうものかもしれない。