2012年12月31日月曜日

人にはどれだけ物が必要か

大晦日の毎日新聞の2面・山田孝男の『風知草』は、経済再生とは何か?というテーマで書かれていた。数字しか見ない経済再生を批判し、地球を守る経済再生の必要性について、鈴木孝夫慶大名誉教授(言語社会学)の著作と生きざまをもとに書かれていた。鈴木教授の著作に『人はどれだけの物が必要か』(99年中公新書)があり、次のような民話が紹介されている。

ロシアの田舎にパホームという貧しい小作人がいた。ためていた金で小さな土地を買うと、暮らし向きがよくなった。
近隣との境界争いに嫌気がさして広い土地を買うと、暮らしはさらによくなったが、慣れるとまだ狭いと感じた。
「よく肥えた土地をいくらでも安く変える」という評判を聞いて辺境の地パシキールへ出向くと、村長が言った。「1日歩いた分だけの土地を1000ルーブルで譲りましょう。ただし、日没までに戻れなければダメです。」
パホームは時を忘れて遠くまで歩き、刻限に気づいて半狂乱で帰着するなり、血を吐いて死んだ。下男が穴を掘って彼を埋めた。きっかりその穴の大きさだけの土地が、彼に必要な土地のすべてだったー。

記事には、『(鈴木名誉教授が)モスクワ留学中の88年、トルストイの民話「人にはどれほどの土地がいるか」をロシア語で読みなおし、それに触発されて書いた。』とあるので、トルストイの作か、鈴木名誉教授の作かはよくわからない。だが、この民話、極めて示唆に富んでいると私は思う。

…欲望と節度。2013年は、政治・経済という二軸だけでなく、数字を越えた人文的な第三の軸から物事を見ていかねばという発想が、さらに見直される1年になるような気がするのだ。

2012年12月30日日曜日

マダガスカル産バニラ使用

最近は正月といっても店が開いているし、年末だからといって買いだめする必然性もないのだが、年末=スーパーで買い物というコードは普遍的である。(笑)私の役割は、当然、妻のアッシーであり、荷物持ちだが、気分はそのご褒美として、ときどき気にいった食品をカゴに忍ばせる。(子供かっ!)

今日は、変なポテトチップスを発見。糖尿MAX!という感じの食品。妻の管理下で食することになった。先日は、長ーい魚肉ソーセージを見つけたぞ。実に30cm以上ある。値段は驚きの格安105円。(笑)

そうそう、もうひとつ。『マダガスカル産バニラビーンズ使用』の「ジャンボシュークリーム」を発見。私のように、「マダガスカル産」というコピーに魅かれて買った消費者は少なかろうと思う。これも糖尿MAX系食品故、妻の管理下で半分コする予定。

でも、マダガスカル産のバニラが、こういう形で認知されることは喜ばしいことだ。これからもアフリカ産の様々なブランドが生まれることを期待したい。

今年この1冊 2012

大晦日にエントリーするのは、どうかと思うので、二年連続・30日付で恒例の「今年この1冊」をエントリーしたい。
正直、今年はあまり多くの本を読んでいない。通勤時間に熟睡することが多いからだと思う。と、同時に、私の不勉強・認識不足かもしれないが、今年は開発経済学関係の日本語の書籍に、これといったものを見つけれなかったので、「今年この1冊」と問われた時、うーんと唸る1年だったのだ。やはり、私の「今年この1冊」はアフリカの開発経済学にかかわるものでありたいのだ。

文庫や新書で素晴らしい本には今年も何冊か出会った。「岩倉使節団-誇り高き男たちの物語-」(泉三郎/祥伝社黄金文庫/本年9月10日初版)、「日本近代史」(坂野潤治著/ちくま新書・本年3月10日発行)、『トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所』(中田整一著/講談社文庫/本年7月12日第1刷)、『警察庁長官を撃った男』(鹿島圭介著/新潮文庫7月1日発行)、謎の1セント硬貨-真実は細部に宿る in USA-』(向井万紀男著/文春文庫・本年2月15日発行)などである。

最近、私の中では、アフリカの開発経済学の「学び」が、10年近くになって、ひと段落したような感覚がある。一方、アフリカを見る視点としても世界史や現代政治を見る視点としても重要な近代国家論関係の本も、だいぶ読み漁ってきて、目が肥えてきたように思う。

この近代国家論の解体と未来を指摘し、その先見性に唸ったのが、JICA新理事長の田中明彦氏(当時東大副学長)の著書『新しい中世』である。この本、年頭に読んだのだが、妙にずーと心に残っている。そういう意味では私の「今年この1冊」としてふさわしいのかもしれない。もちろん今年発売された本ではないのだが、今年、JICA新理事長となられた故に読んだのだし、私の超個人的な決定なので、まあいいか、ということで、2012年度の1冊は田中JICA理事長の「新しい中世」としたい。

なお、「イスラエル人とは何か」(ドナ・ローゼンタール著・徳間書店2008年9月第1刷)を、本年度の特別賞としたい。この本、イスラエルの多文化共生を理解するのに絶対必須の名著である。

2012年12月29日土曜日

ピロシキとパルナスの話

昨日、眼鏡を買いに行った後、妻とイタリア料理を楽しんだ。先日、「帰れま10」でピザの特集をやっていたので、美味しいピザが食べたかったのだ。京阪・枚方市駅の近くで初めて入った店だった。前菜もパスタも、そしてビスマルクというソーセージ入りのピザも、なかなか美味しかったのだ。もしカメラをもっていたら絶対写真を撮っていたはずなのだが、まさかそんな展開になると思わなかったので撮っていない。歳をとったのか、妻と突然、外で食事することが増えた。いつもカメラを持参しなければ…。

そもそも、この店に入るきっかけは、ピロシキなのであった。イタリア料理店なのにピロシキを販売しているのだった。私は、子供のころからピロシキ大好き。昔々阿倍野の近鉄の東側に「パルナス」という有名なロシア料理の出店があって、ピロシキを売っていた。ピロシキはロシア風の豚まん(関東風に言えば肉まん)で、めったに食べれない少年時代のごちそうの1つであった。

ところで、このパルナスというロシア料理店というか製菓店は、昔リボンの騎士などのアニメのスポンサーで「じっと目をとじてごらん~」というCMを流していた。YouTubeで検索してみると、そのなつかしいCM映像があった。そうそうこんな感じだった。妙に子供を不安にさせるロシアの存在。時代は冷戦下真っ盛り。我々の年代には、ロシアというかソ連のイメージがこういう感じで脳味噌の中にチンダル現象しているわけだ。ううむ。感激である。
そういえば、ピロシキのCMもあった。パルナスのピロシキなのでパルピロ。うーん安易なネーミング。この2つを合体させた貴重な映像記録である。興味のある方は、是非ご覧いただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=YKw4T_10sfQ

ともかくも、ピロシキは大好物である。妻は、180円のピロシキを手土産として5つ注文したのだった。50歳を過ぎても、食べ物に関して貧乏性(あまり金をかけない)の私は、「おお、贅沢ー。」と思ったのだった。(笑)

2012年12月28日金曜日

離煙の賞金で眼鏡を替える

買った眼鏡(左上)と今の眼鏡(右下)
「離煙できたら賞金を出す。」と妻が言いだした。私が煙草をやめれるなどと信じていなかった妻の軽口だったのだが、私がコツコツと離煙パイプを変えているのを見て、「3万円」という極めて中途半端な賞金額を設定したのだった。(笑)

で、結局毎冬のボーナス闘争は封印されたまま、私はこの賞金を手にしたのだった。私は考えた。この3万円を最も有意義に使う方途。それは、前任校からの転勤前にチェンジした眼鏡の買い替えである。だいぶ目が悪くなったこともあるが、なによりズレルのがつらい。鼻に汗をかく夏など本当に悲惨であった。

今夏、イスラエル行の前に、妻の鞄を捜しに行った時、良い眼鏡を見つけたのだ。今のものと似ているものの、信じられないほど軽いフレーム。なんでも樹脂製らしい。しかもパッドクリングス付き。(要するに鼻に汗をかいても落ちないようになっている。)というわけで2万円。デフレ・スパイラルからの脱却は個人消費から。(笑)

2012年12月27日木曜日

1日早い仕事おさめ

仮想ゲームの貨幣
先日の北海道修学旅行弾丸ツアー(下見)の振休を取らなければならないので、明日は休み。よって、今日が1日早い仕事おさめの日となった。政経の補習、クラスの生徒の三者懇談、来年早々の授業の準備など、コツコツやっていたのだった。

昨日は、ESDのための仮想世界ゲーム(高校生版)の用意をしていた。紙幣の印刷とカットに時間がかかったが、これで万全である。

本校では、クラブも遠征や試合に出ていたりして先生の人口密度が低い。職員室もまばらである。

ところで、離煙というか禁煙というか、ここ2週間ほど喫煙から遠ざかっている。今でも吸いたいのだが、まあ我慢できる。煙草もなんとか、うまくおさめれたようだ。

2012年12月26日水曜日

アフリカの”資源の呪い”

タンタル コンデンサー
先日のセミナーでも、コンゴ民主共和国のレアメタルと難民の関わりの中で「資源の呪い」という語彙をY先生が使っておられた。ポール・コリアー風に言うと「天然資源の罠」ということになる。
Global Voicesの12月4日版に『資源の呪いを越えて』というタイトルで、この資源の呪いについて特集していた。コンゴ民主共和国、ナイジェリア、そしてマダガスカルの話題が載せられている。興味のある方は是非一読いただきたい。
http://jp.globalvoicesonline.org/2012/12/04/17310/

この『資源の呪い』というコトバ、天然資源豊富な地域を長期的な貧困に導くメカニズムを解析する複雑なコンセプトをさすという。しかも、かのスティグリッツが資源の呪いのコンセプトを提示しているらしい。ポールコリアーの最底辺の10億人が出てから、どんどんこういう概念(シニフェ)が一般化し、様々な人に語られ、シニファン(コトバ)が変わっていっているようだ。

ところで、先日の高校生セミナーの際、「武器」について調べている生徒の班があって、JICAのスタッフから、「質問に答えてあげてもらえないか?」と頼まれた。彼らは武器の値段を知りたがっていた。「地雷やカラシニコフなどは、製造元や販売場所で大きく価格差があるよ。」と答えたのだが、一番いい解答を、その後ふと思い出した。『最底辺の10億人』の中に、ゲリラ部隊をつくるのにいくらで済んだという話が出ていたことを思い出したのだ。スタッフに資料室から借りてきてもらい(さすがJICA関西、「最底辺の10億人」を置いている。)、その箇所を見つけて生徒に手渡した。

『1万ドルと衛星電話があれば(一応ゲリラ部隊らしき装備が揃い、反乱をおこし、先進国の企業を脅し収入を得るには)足りる。』という記述が載っていた。天然資源の罠の項だったか、紛争の罠の項だったか忘れたが…。彼らの発表の中で、そのコトが語られていた。ちょっと嬉しかったのだった。