2015年4月7日火曜日

毎日 シエラレオネ学校再開

シエラレオネの小学校 イギリス風で制服がある
http://happymilk.coopnet.jp/hmblog/201411/6-1/
エボラ出血熱の影響で、全土で7ヶ月にわたって閉鎖されていたシオラレオネの学校(小学校から大学まで)が、予防体制が整ったという理由で、今月中に再開されるという記事が毎日の夕刊に載っていた。すでに、ギニア・リベリアは2月に再開していて、これで3カ国揃って再開となった。学校再開をめぐって与野党で対立していたようで、そもそも閉鎖自体にも問題があったという指摘もある。

ユニセフなどの調査によると、ギニア・リベリアでは再開した学校に戻った子供は8~9割で、閉鎖中に親が子供を働かせ始めた可能性や、未成年者の妊娠が前年より3割増加したというデータもあるらしい。

3カ国の教育システムは脆弱で、立て直しが急務という声や、今回の危機を教育などのシステムを立て直すチャンスに変えるべきだという声が上がっている。

…アフリカの教育については、おしなべて脆弱であることは事実だ。先年少しだけ覗かせてもらった地球研のアフリカの教育研究フォーラム(昨年10月25日付ブログ参照)でも、様々なな問題が提起されていた。特に、未成年の妊娠の増加について、広島大学のOさんがザンビアの問題を語られていた。英語による発表だったので、私のリスニング能力では詳細まで聞き取れなかったのだけれど、学校が閉鎖された間に、そういう問題が起こりうることは十分ありえる話である。そこからまた様々な差別や貧困、格差などの問題が生まれることは必定である。

…たしかに危機であるが、立て直しのチャンスである。関係者の皆さんがポジティブに取り組もうとされていることに敬意を表したい。

2015年4月6日月曜日

地獄八景亡者の戯れ

上方落語の至宝、桂米朝さんが亡くなってからというもの、我が家ではTVの特集をよく見ている。今晩もNHKのクローズアップ現代で特集をしていた。直接高座を見に行ったこともないのだが、大阪人は、みんな米朝さんのことが大好きで尊敬していると言っていいだろう。

私が子供の頃は、笑福亭仁鶴さんが、深夜ラジオで大活躍していた。桂三枝もばんばん新作落語をやり始めていたし、さらにヤング・オーオーという変な若者向けの番組があって、若い落語家(桂文珍さんなど)なんかが一気に登場し笑福亭鶴瓶さんもあっという間に全国区になった。上方落語全盛の時代を生きてきたわけだ。だから、米朝さんの上方落語再建の苦難の時代は知らない。

米朝さんの一番弟子、桂枝雀さんは、ほんと面白かった。仁鶴さんも好きだし、文珍さんの落語も、鶴瓶さんも好きだが、その「味」では今でも枝雀さんが最高であるというのが、我が夫婦の結論。桂米朝さんの落語は、これら上方落語の弟子や後輩とは気品が違う。これも夫婦の結論。

ところで、昔々、私が最初に赴任した商業高校では、教員の劇を毎年文化祭で上演していた。最も若手だった私も、美術担当をしながら出演を重ねた。その中で、「地獄八景亡者の戯れ」というのをやったことがある。米朝さんの落語を元にしたものだった。私は、三途の川を渡る船の船頭の鬼役だった。(笑)船の下部にドライアイスの効果を使い、なかなかの舞台だった。

ふと、そんな昔のことを思い出した次第。

2015年4月5日日曜日

現代アフリカ経済論 学習ノート3

シャカ王
http://zar.co.za/shaka.htm
「現代アフリカ経済論」(北川勝彦・高橋基樹著・ミネルヴァ書房/昨年10月15日発行)の昨日のエントリーの続きである。今日は、ちょっと小タイトルをつけてみた。

ムフェカネ
サヘル(サハラ南縁)でもイスラムの聖戦が行われている時期、南部アフリカでムフェカネ(あるいはディフェカネ)と呼ばれる大変動があった。戦闘的なズールー王のシャカが台頭し、戦乱が広がるのである。この戦乱で、多くの避難民が発生、大混乱になる。この緊張した状況の中、イギリスは1884年から10年間の間に自らの植民地を形成する。ムファカネが引き起こした重大な結果は、一部の支配者による機微な指導力でアフリカの黒人の連帯が生まれたことで、スワジランドは、ムファカネから無傷で、白人支配を受けながらもまとまりを維持する。難民の逃げ場となったバソト王国はこの時代に生まれ、後にレソトとなった。

シエラレオネとリベリアの相違
奴隷貿易をイギリスが禁止するようになって、イギリスは拿捕した奴隷船の人々をシエラレオネのフリータウンで釈放した。したがって、フリータウンは最初のパンアフリカ社会となった。その中でもマジョリティだったのが、ナイジェリアに多く住むヨルバ人であった。彼らはヨーロッパ要素(宣教師の教育)の混じった新しい文化と言語を作り出し、クレオール社会を形成した。彼らは新たな合法的貿易の仲介者となったし、その教育の成果を生かすべく故国に帰国した者も出た。
一方、リベリアは米国から解放された奴隷たちが入植して生まれる。入植者たちは、いったんアフリカとの絆を絶たれた世代であり、現地のアフリカ人とは切り離されたアイデンティティと文化をもっていた。米国の支援のもと、現地のアフリカ人を支配する。

黒いコメ
アメリカ大陸産の食料作物が世界に拡大した「コロンブスの交換」は世界史でも有名であるが、アフリカの食料作物も他大陸に伝播している。それはコメである。当時、コメの生産は東アジアと西アフリカで盛んで、奴隷としてブラジルや米国に連れて行かれたアフリカ人によって栽培された。これは西アフリカのグラベリマ米である。初期のコメ栽培は自家消費のために行われたらしい。ブラジルや南カロライナで河口の満ち干に適合させた西アフリカの技術(マングローブ・ライス)が行われたという。

…こういう細かな補足事項が面白いし、嬉しいのだ。

2015年4月4日土曜日

現代アフリカ経済論 学習ノート2

ハイレ・セラシエ
http://www.steelpulse.com/culture.shtml
「現代アフリカ経済論」(北川勝彦・高橋基樹著・ミネルヴァ書房/昨年10月15日発行)を通勤時に、三色ボールペンで線を引きながら読んでいる。面白くて仕方がない。印象に残った内容をまたエントリーしたい。今日は、「アフリカ経済と世界史」の部分からである。

アフリカでは家畜の飼育が作物の栽培に先行した。牛を含む家畜は中東から地中海沿岸にもたらされ、南のサハラに入りさらに広がっていった。その後も大陸外から多様な家畜が流入する。サハラがオアシスを除いて約4000年前に定住できなくなると、かつてサハラで栽培された小麦や大麦が生育せず、ソルガム、ミレットなどとアフリカ在来種のコメが、ナイル上流やチャド湖周辺で栽培されるようになる。さらにこれらの地域で綿花・ゴマも栽培されるようになる。

エジプトで著された初期のキリスト教の著作はコプト語で書かれており、ギリシア語版聖書に先立つものであった。また北アフリカ、ナイル渓谷とクシュ、エチオピアにはユダヤ教徒が暮らしていた。紀元1世紀、エジプトの人口の約15%はユダヤ人だった。またエチオピアのユダヤ人は高地に長く居住しており、クシュ語の変形を使用して自らの礼拝式(典礼)を発展させてきた。アフリカにおけるユダヤ人の存在はキリスト教が広まる一要因になった。

…エチオピアの歴史は、シバの女王とソロモン王の神話をもっている。彼らの息子であるメネリクがもたらした「契約の箱」は、現在でもユダヤ教とキリスト教、イスラム教の共通する聖なる遺物であり、ソロモンの血統と契約の箱があることで、ゼオン(天のイスラエル)と呼ばれた。このアクスム王国、さらにその流れを引くソロモン朝は、途中何度か政権を失うが、1974年のハイレ・セラシエ皇帝が国外退去するまで続いている。日本の神道と皇室の関係を彷彿とさせるような話である。

アフリカ東岸には8世紀から9世紀にかけて、サンゴ石でできた都市があった。この都市を作ったのはアラビアからの移民だと言われてきたが、古代ギリシア時代からここに定住し、アラブ人と交易していたパンツー系の人々であった。20世紀前半の欧米の研究者たちの偏見であったようだ。

2015年4月3日金曜日

ケニア 大学襲撃事件に思う

ケニアのガリッサ大学でソマリアのアルシャバブが、キリスト教徒の学生を人質に立てこもり、銃撃戦となり150弱の人々が犠牲になったようだ。ソマリアの内戦にAUの一員として従軍しているケニア軍への報復であることは間違いない。

アルシャバブの復古主義的ジハード派の立場からすれば、彼らの地に侵攻してきた異教徒へのジハードという論理が成り立つことは、このところの学びで理解したつもりだ。人定法を定めるキリスト教世界が構築した法治国家という概念も、人権などという概念も、神の定めたシャリーアの前には不正義でしかないというわけだ。

もちろん、これは、復古主義の人々の「正義」である。一般のムスリムは、そこまで突き詰めて考えていない。一神教世界であるイスラエルに行ってみて、よくわかったのだが、イスラエルのユダヤ教徒のマジョリティは世俗派という、ユダヤの律法に対して全てを守っているわけではないという人々である。彼らはユダヤ教というアイデンティティを保持しつつも、突き詰めて信仰生活を送っているわけではない。

イスラムの復興主義者と好対照なのは、黒いスーツとコート、帽子を身にまとった、徴兵されない律法学者でもある超正統派ではない。超はつかないがシオニズムの推進者である正統派だと私は思う。彼らは、危険を顧みずパレスチナの地に入植し、実効支配していく。

単に「ユダヤ人は…」とくくれないのと同様、ムスリムもステレオタイプで括ることはできない。少なくとも、高校の倫理や世界史の学習でフォローするくらいの知識では、現在の状況を把握することが難しくなっていると私は思う。

ブティストの私からすれば、暴力的な報復が、また因となり縁となって負のスパイラルを生むだけだと思うわけだが、先日読んだ中田考氏の本では、一神教世界は神によって成り立っており、原因も結果もないらしい。一神教を勉強すればするほど高い壁にぶち当たる。

だが、国際理解教育を推進する立場からも、一神教理解は異文化理解の核心であるとえいる私は考えている。なんとかして、生徒諸君に理解の緒をあたえたいと悩んでいるところである。新3年生の世界史は、一神教の話から入るつもりだ。

2015年4月2日木曜日

選手宣誓とナチス式敬礼

http://vivitrend.net/wp-content/uploads/2015/03/sensei03.jpg
先日、毎日のスポーツ欄だったかで、浦和レッズの人種差別事件を論じた記事があった。そこで知ったのだが、よく体育祭などで行われる右手を高く上げて選手宣誓をすることが日本ではフツーだが、これはナチス式敬礼を源流(オリンピックのベルリン大会以来)としているということだった。

ギリシアのサッカー国内リーグで、ギリシア代表でもあったヨルゴス・カティディス選手が、ゴールを決めた際、このポーズをとって喜びを表現。これが大問題となって代表から永久追放になったという。ドイツでは、このポーズをとると犯罪であるらしく、高校野球でもいつしかこういう右手を挙げるポーズをしなくなった。画像は今年の選抜。手を挙げていない。こういうスタイルが、今やグローバル・スタンダードなわけだ。

まさか、ナチスの功績を称える意味で、右手を上げて選手宣誓するわけでもあるまいが、止めたほうがいいと私も思う。今年は人権主担でもあるし、体育祭での宣誓のポーズについて体育科に確認してみようかなと思う。

ところで、本校の新年度時間割も今日一日中かかって、やっと三学年分、全て完成した。いやあ、疲れたのであった。明日は、確認作業とPCによる書類化作業である。

2015年4月1日水曜日

ナイジェリアの大統領選速報

新大統領 ムハンマド・ブハリ氏
http://africajournalismtheworld.com/
tag/maj-gen-muhammadu-buhariretd/
日経や毎日の、朝刊・夕刊それぞれで、ナイジェリアの大統領選挙の報道がなされている。要するに、野党候補者で、以前クーデターで政権を握ったこともあるプハリ氏が当選した模様だ。ブハリ氏は、民政移管後、3度も大統領選で敗北している。現大統領は南部出身のキリスト教徒、ブハリ氏は北部出身のイスラム教徒と、好対照である。

日経・毎日とも、北部で暴れているボコハラムへの憂慮から、国民は、南部の人々も含めて強いリーダーを求めたのではないかという論調である。たしかに、現政権は手をこまねいていたように見える。その反動であるのは間違いあるまい。

同時にナイジェリアは、石油産油国として世界中の注目を集めているアフリカ最大の人口大国であり、GDPでも南アを追い抜いたという観測もある。ナイジェリアの経済成長は、サブ=サハラ・アフリカ諸国にも大きな影響を与える。プハリ氏の手腕に期待するところであるが、これまでの実績を見ると保守派で、強権主義的政策を打ってきている。今ナイジェリアに必要なものは、ボコハラムの掃討だけでなく、国民一人ひとりを豊かにする政策である。すなわち投資を拡大できる金融政策をはじめとした良きガバナンスの構築がなにより求められている。新政権を注視していきたい。